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与えること、与えられること

川口市出身の自称読書家 川口竜也です!

かれこれ1年近く読書会を開催していることもあって、誕生日やイベントの日に参加者からプレゼントを頂くことがある。

私はあくまでも好きなことを語るための場を提供したに過ぎないのだが、川口さんのお陰で素敵な本に出会えましたと、言葉でなくカタチで返ってくることもある(勿論返礼を強制したことは一度もない)。

昔から「与える人は与えられる」とよく言う。京アニの「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」の歌 "ふたりごと"の中でも「与えることで 与えられていく」という歌詞がある。

そうだよね、何となく分かる。けれども、その真理を深く考えたことはない。

そこで手に取ったのが、近内裕太さんの「世界は贈与でできている」ニュースピックス (2020)。以前から気になってはいた本で、会社でタダで借りれるから紐解いた次第(与えられてる!)。

この本は人に与えることの素晴らしさがなんたるかを説くスピリチュアル的な本ではない。

序盤に、キャサリン・ライアン ハイドの「ペイフォワード」を教訓に、贈与(与えること)について述べている。

贈与は、受け取ることなく開始することはできない。贈与は返礼として始まる。

同著 45頁より抜粋

贈与は、自分から始めることはできない。

例えば、自分の子供を育てることは無償の愛だというが、それも今まで自分が親から愛情を与えられたからこそ、自分の子供に与えようという現れなののだという。

私の読書会とて、自然発生的に生まれたわけではない。読書会って面白いものだと知った(与えられた)からこそ、自分でもやってみよう、もっとこの面白い読書会を広めようとしたともいえる。

では、一番最初に与えた人は誰か? そうなるとまた難しい話になってしまう。それを人は神と呼んだり、見えざる手と言う。

ときに、私達が普段当たり前のように使っている言葉さえも、誰かに与えられたものなのである。

この本の中では、「窓」という言葉を私達はどうやって知ったのだろうかと問立てる。辞書で調べなくても、どうしてこれが「窓」なのだと知ったのだろうか。

これもまた、幼き頃から生活を通じて与えられてきたのである。

「ほら、窓見てごらん、お月さまが出てるね」といった活動と言語的コミュニケーションが合わさったやり取りを通して、徐々に学習してきたのです。

同著 124頁より抜粋

そうやって世界は回っている。贈与とは、なにも形あるものや金銭が絡むものだけでなく、言葉や知識として与えられる。

ただ、与えられることは、同時に負担になることもある。

与えられたからこそ、誰かに返さなければ、親に恩返ししなければ。それが乗じると「生まれたからには何かしなければ」となってしまう。その重荷に耐えることができず、身を滅ぼしてしまう方も少なくない。

与えられたものは、どんな形であれ返さねばならない。

そう思うことは辛いけれども、非常に人間らしい。人間だからこその感情なのだ。

私達は、何かが足りないことにはすぐ気がつくけれども、何かが満ち足りていることにはなかなか気付けない。

与えられることは、そんなふと忘れてしまうことを思い出させてくれる。

だからこれからも与えていこう、という話ではない。ただ、自分が与えられたことは、しっかりと返していこう。そうやって世界は回っているのだから。それではまた次回!

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