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生成AI 対 ライター

川口市出身の自称読書家 川口竜也です!

先日訪れた日本科学未来館にて、「コトバにならないプロのワザ〜生成AIに再現できる?」という特別展が行われていた。

ライターとして仕事をしている以上、チャットGPTなどの文章生成AIなどは話題に上がる。

好きな動画配信者がチャットGPTを使って遊んでいたが、実際問題、このような生成AIは馬鹿にできない。

記事のタイトルを考えてと言ったら、無限に案を出してくれる。〇〇について重要なポイントを3つ上げてと言ったら、数多くのデータから最も的確と思える答えを提示してくれる。

先日ものは試しにと「Chat PDF」を使ってみたのだが、自分で考えるより遥かに早く、文章ファイルの内容を要約してくれる。大学時代にあったら、卒論を書くのにめっちゃ重宝したと思う。

現状、AIで作成した文章は見破ることができるとGoogleさんは回答しているものの、今後文章の精度が上がったらどうなるかは分からない。

すると心配すべきは、ライターとして今後どうAIに立ち向かって行くかである。スペードも作業量も多い生成AIに、どう立ち向かって行くのかと。

前出の特別展にて、チャットGPTが生成した詩に対して、詩人 谷川俊太郎さんが以下のようなコメントを寄せていた。

言いたりないところに、空間なんかあるみたいなね、言いたりないから詩なんだ、というのがあるのね。
詩を書いていても、こんなの変じゃない?というところにいい詩が生まれることもあるんです。

谷川俊太郎さんのコメントから部分抜粋

あくまでも詩を前提としているが、現状チャットGPTが生成する文章は、素人目から見ても人間味に欠ける時がある。どこか完璧を目指しすぎているというか、余白がない感じがする。

勿論、情報を届けるため文章は完璧である必要はあるのだが、読み手が人間である以上、人間に届くような文章にしなければならない。

人が欲しがる文章というものが、必ずしも完璧なものとは限らないし、そうではないからこそ小説や詩のような文章が読まれるのだとも思う。

つまり何が言いたいのかと言うと、私にしか書けない文章を書けてこそ、ライターとして卓越する条件なのかもしれない。

ライター9ヶ月目のペーペーが言うには烏滸がましいが。

今はただ、ライターとしてもスキルと考え方を体得していこう。それではまた次回!

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