読書と水泳に共通するもの
川口市出身の自称読書家 川口竜也です!
暑くなったこともあり、久方ぶりに泳ぎに行きたくなった。小学生の頃からスイミングに通っていたこともあり、人並みには泳げる。
前に泳いだのがライターとして働く前だから、かれこれ半年以上は泳いでいなかったことになる。流石に身体が思うようには動かないが、自転車を漕ぐように、泳ぐフォームは身についている。
泳いでいる間は結構色々なことを考えている。基本的には好きな音楽を頭の中で流すのだが、泳いでいるうちに過去の記憶を呼び起こすこともある。
泳いでいる間に、高校時代の水泳部のコーチに入部してすぐ怒られたことを思い出した。なんで自分が泳ぐ秒数を把握していないのかと。
私は基本的にタイムを気にしないで泳ぐ。速く泳ぎたいという気持ちはあるけれども、大会に行くためには何秒縮める必要があるとか、自分が100メートルを何秒で泳げるのかなど、全然興味がなかった。
要するに、私にとって泳ぐことは、ただ泳ぐために泳いでいた。
単純に、私が泳ぐ目的と水泳部が掲げる目的が違っていたんだろうなと思う。
読書にも色々な目的があるように。
それを踏まえて考えると、目的とか目標を考えず自分が好きな本を読むという感覚は、学生時代から出来上がっていたのだなと改めて思う。
それはさておき、個人的な所感だが、水泳が好きな人は読書も好きな傾向にあると思う。
野球やサッカーのような団体戦と異なり、一人黙々と泳ぎ続ける点は、読書に通じるものがある。読書会があったとしても、本を読むときは基本一人である。
もっとも、私の水泳部時代の友人らが読書好きだっただけかもしれない。だが野球部やバスケ部に所属していたクラスメイトの中に、積極的に読書をしていた人は少数だった気がする。
それに、村上春樹さんの「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」にもあるように、決して目立つタイプではないが、健康で文化的な生活を送っている人は、水泳をやっているイメージが染み付いている。
フットサルやバドミントンのような社会人サークルと異なり、自分のペースで、自分に負荷を掛けていくあたりが、なんか読書にも通じるし、個人的には憧れる生き方である。
一度京都に旅行に行こうとしたときも、水着を持っていこうか真剣に悩んだことがある。濡れた水着を持ち歩いて観光するのは面倒臭いなと思い、結局やめたけれども。
まあ私の場合は、奥田英朗さんの「イン・ザ・プール」も影響が大きいかもしれない。流石に夜中のプールに忍び込もうとは思わないけれども、徐々に泳げるようになってくる充実感はある。
たまには小一時間泳いでみるのも悪くない。それではまた次回!
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