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読書という孤独な旅

川口市出身の自称読書家 川口竜也です!

長編の物語を読んでいるとき、本を紐解いている時間が、まるで遠い国を旅をしている気持ちになることはないだろうか。

先日、神保町は春の古本まつりにて購入した、ガルシア=マルケスの「百年の孤独」。3週間ほど前から読み進めて、現在400頁、この旅ももうすぐ終わる。

ファンタジー寄りの物語かと思いきや、急に現実の戦争やストライキに巻き込まれた家族は、親の名を継ぎ「アウレリャノ」や「アルカディオ」と名付けられた子孫たち。

もはや誰が誰だか分からなくなってくるため、人物相関図に彼はどうなった、彼女はどこへ行ったと書き足しては、また少しずつ読み進める。

読み始めたときは、読み切ることが出来るだろうかと思っていたが、ようやく終わりに近づいていく。旅の終わりが見えてきた。

現実的に考えれば、400頁の本も、一日10頁でも読み進めれば、単純計算約1ヶ月と10日で読み終わる。

だけど、何日間も同じような物語が続くと、飽きはしないまでも違う話に触れたくなる。苦い珈琲には、甘いケーキが食べたくなるように。

そうやって、今日はやめておこうと思うと、また1日読まない日が出来て、次紐解く頃には、今どこにいるのか道を見失う。

見開き半分を越えたときの、もう半分が過ぎたのかという達成感と、まだ半分もあるのかという虚無感は、紙の本あるあるだと思う。

電子書籍でも、残り何ページかは掲示してくれるらしいけれども、あの本を開いたときに、あからさまに半分を過ぎたって感覚は、気持ちが良い。

それから少しずつ、少しずつ読み進め、右側の重量が明らかに増えたとき。この旅も終わりに近づいたなと思う。

以前読書会でお会いした人の中には、物語に面白味がなくなったら、残り数十頁であっても読むのを止めるという方がいた。

本は最後まで読む必要がないという前提に立てば、そりゃ途中下車しても良いとは思う。

けれども、約3週間、ここまで読んで止めるには遅すぎるし、もはや自称でも読書家を名乗る者として、意地でも読み切りたい。

そう思うと、読書という旅は、なんて孤独であろうか。読書は辛いものであるという意見も、分からなくはない。

それでも、読み進めねばならない。

きみはこれから多くの辛い孤独な夜を過ごさなければならないだろう。きみはたくさん泣くだろうし、いろんな不幸を味わうだろう。最高の至福のためには代償を払わなければならないからだ。

エリック・フォンネス・ハンセン
「旅の終わりの音楽」新潮社 (1998)より

必ずしも、最後の最後にどんでん返しがあるわけではない。今まで私は何を読んできたのだろうかと、首を傾げることになるかもしれない。何も得るものはないかもしれない。

それでも、あるいは、だからこそ、読み進める。旅の終わりを自ら見届けるために。それではまた次回!

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