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自称読書家、美術館へ行く

川口市出身の自称読書家 川口竜也です!

今週末は読書会の予定もなく、天気も良いため絶好のお出掛け日和。

先日会社の図書スペースから借りた、末永幸歩さんの「13歳からのアート思考」ダイヤモンド社を読み終えた手前、折角だから美術館に行こうと決めた次第。

結局いつも通り神保町で降り、歩いて東京国立近代美術館へ向かう。企画展が面白そうだったから、ということもあるが最寄り駅の広告の桜の絵画が印象的だったため行くことを決めた。

学生時代にも美術館にはよく訪れた。上野の国立西洋美術館とか東京都美術館は何度か学生割引で観に行った。

卒業旅行で京都に行ったときも一日美術館巡りをしたこともある。京都国立博近代美術館や京都市美術館、それと何必館という京都の現代美術館にも行った。

私は絵画を見るときは、様々な角度から観ることを意識している。

時にはギリギリまで顔を近づけたり、逆に離れてみたりもする。斜めから観ることもあれば、膝をついて下から眺めることもある。

前に読んだ本の受け売りだが、ただ真正面から絵画を捉えることだけが正解の鑑賞方法ではない。飾られてた当時も、もしかしたら遠い位置にあったかもしれないし、高いところにあったかもしれない。

あと必ず荷物はロッカーに入れる。財布も携帯も持ち歩かない。鑑賞の邪魔になるものはしまっておく。

だがお恥ずかしい話、別にアートとか芸術に造詣が深いわけではない。歴史やアーティストの知識がないため、ただただ「いや〜すごい絵だ〜」としか言えない。

大学時代、西洋哲学史を受講した時に芸術とは何かという話を聞いた。覚えているのは、絵画などの芸術を見ると魂がより洗練され、肉体から出た時により清らかになる的なこと(だいぶ間違った知識と思われます)。

何の本だったか、実業界で活躍している人の話で「美術館に行くのは、絵画や彫刻で美人な人を探すため」と言うのがあった。地元の美術館は取引先との話のネタになるし、知識がなくても"美男美女"は良いものだと分かる。

今回は「13歳からのアート思考」を読んでから美術館を訪れたので、いつもよりも絵画に対するツッコミが多かった(笑)。というのも、美術館ではアートを観て自分がどう思ったかが大事らしい。

①「自分だけのものの見方」で世界を見つめ、
②「自分なりの答え」を生み出し、
③ それによって「新たな問い」を生み出す

同著 13頁より抜粋

末永さん曰く、絵画を観てわからないと思ったら、どこがわからないのか、こう思った理由はどうしてなのか考えることが大切だと語る。

なぜならその気持は自らの見方で観ているからであり、そこから自分なりの答えを出し、新しく疑問を生み出すことにつながる。

アートというものは、作者と観者が共に作り上げるものだという。作者が意図する答えもあれば、観ている人が自ら物語を作り上げることで完成するものもある。つまり、自ら価値を創造することにつながる。

その目線で絵画を見ると、なるほど、抽象画やいわゆるなアート作品もまた面白くなる。いや、自ら面白くしていると言える。

ただそれは知識や教養が全く必要ではないという意味ではない。

人によっては音声ガイドを必ず利用しよう、ガイドさんがいるならば頼もうと語る本もある。美術を楽しむためにはやはり知識は必要だし、聞くことで観えることも勿論ある。

つまるところ、自分なりに面白さを見いだせれば良いのだろう。読書や音楽も同じ様に、人から強要されるのではなく、自らが良いものだと価値をつけられれば良いのだ。

久しぶりに訪れると、また美術館巡りがしたいと思った今日一日。それではまた次回!

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