みんな、ナポリタンが大好きだった。
先日、名古屋にいった折に、ひょんなことからナポリタンを食べることになった。食事の約束をしたのは名古屋に住んでいる妹だった。彼女が待ち合わせ場所に指定したてきたのは、名古屋人の誉れ、松坂屋だ。
「ここのナポリタン最高なのよ」と彼女が連れて行ってくれたのが、地下二階にあるシェ・コーベという洋食屋さんだった。ハンバーグやカレーなどもあったが、妹にいわれるがままに注文をした。
正直に言えば大した期待はしていなかった。
出てきたのは、名古屋スタイルのナポリタン。太麺の麺にソーセージと野菜、たっぷりのソース、熱々の鉄板に敷かれた半熟卵がまだふつふつといっている。
それをみた瞬間、全く予期せぬことがおきた。ぼくの心の奥底からいいようのない歓喜の感情が湧き上がってきたのだ。
ああ、忘れていた。ぼくはナポリタンが大好きだったんだ。
子どもの頃、ナポリタンはカジュアルだけれど、超人気の洋食メニューだった。レストランや喫茶店のショーウインドウには必ずナポリタンがあった。エビフライよりも、オムライスよりも、ナポリタンはちょっとした特別感があった。
ここでいうナポリタンは、名古屋スタイルのナポリタンだ。イタリアンとよばれることもある。木のプレートの上に、熱々の鉄板がのっていて、そこにたっぷりの半熟卵がしきつめられている。その上に、ケチャップソースのやや太めのスパゲッティがどんとのっている。東海地方の人たちにとって、ナポリタンとはこのスタイルをさす。ケチャプソースのスパゲッティに半熟卵がからみつく力強い旨さは、筆舌に尽くし難い。
イタリアのナポリではこんな美味しいものをいつも食べているのか、と子どもながらに憧れていた。しかしナポリとはなんの関係もなく、日本発の料理であることを知り、日本が産んだ”ナポリタン”を誇りに思ったりもした。
しかし社会人になった頃ぐらいから、ナポリタンは輝きを失っていった。イタメシはブームのなかで、シンプルなトマトパスタの旨さを知り、こどもっぽいナポリタンを敬遠するようになった。東京で暮らすようになってからは、名古屋スタイルのナポリタンを出す店もほとんどなく、気がつけば、何十年も食べることはなかった。
ナポリタンへの憧憬は完全に消失していた、はずだった。
しかし、ひとくち食べた瞬間、何かがスパークした。
やばい。うまい。うますぎる。
ケチャップ味の麺をほおばるたびに、身体中の細胞が歓喜の歌をうたいだす。はっきりと、そしてわかりやすい美味しさがたまらない。具材のひとつひとつが絶妙なやわらかさで、飲み込むようにずるずるとお腹におさまっていく。そのすべてに半熟卵がからみ、実に名古屋的なハーモニーを奏でる。そう、これはDNAに刻み込まれしソウルフードなのだ。
ぼくのなかのナポリタンスイッチがパチンとはいった。それからの3日間、なにかにつかれたように名古屋スタイルのナポリタンを食べ続けた。
きっとつぎに名古屋にいったときには、きしめんでも、ひつまぶしでも、みそカツでもなく、ぼくはナポリタンを食べるだろう。
すっかり忘れていたけれど、ぼくらはみんな、ナポリタンが大好きだったのだ。
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