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『生の短さについて』/本・哲学


生は浪費すれば短いが,活用すれば十分に長いと説く『生の短さについて』.心の平静を得るためにはどうすればよいかを説く『心の平静について』.快楽ではなく徳こそが善であり,幸福のための必要十分条件だと説く『幸福な生について』.実践を重んじるセネカ(前4頃―後65)の倫理学の特徴が最もよく出ている代表作3篇を収録.(新訳)

 少し前に『アディ・ラルーの誰も知らない人生』を読んだせいかな、ついうっかり人生の短さに思いを馳せたので読みました。この本自体は『読書大全』で知ったんだったか。
 表題の1篇だけ読もうかなと思ったけど、勢いで一冊まるっと読んじゃいました! なんというか、どうしても人生訓みたいに読んでしまうけど、まあふつうに人生訓なのかなあ。
 ちなみに……

 こんな感じでセネカさんに怒られそうな読み方をしてました!

 では、以下いつものように引用と雑感でっす。

・「生は、使い方を知れば、長い」(p.12)
 というのはまあ、言ってみればわりとふつうだけど、

 人は、誰か他人が自分の地所を占領しようとすれば、それを許さず、境界をめぐっていささかでも諍いが生じれば、石や武器に訴えてでも自分の地所を守ろうとするものである。ところが、自分の生となると、他人の侵入を許し、それどころか、自分の生の所有者となるかもしれない者をみずから招き入れさえする。自分の金を他人に分けてやりたいと望む人間など、どこを探してもいない。ところが、自分の生となると、誰も彼もが、何と多くの人に分け与えてやることであろう。財産を維持することでは吝嗇家でありながら、事、時間の消費となると、貪欲が立派なこととされる唯一の事柄であるにもかかわらず、途端にこれ以上はない浪費家に豹変してしまうのである。

p.15-16

 これはたしかにそうかもと思ったな。あと、普段時間がなくてヒィヒィ言うのに、どかっとまとまった時間ができると、それはそれでうまく使えないんだよなあ……。

・相続についてローマ人が考えたこと

 君を招き寄せる者たちは皆、君を君自身から拐かしているのである。(中略)何人もの相続人の葬儀で疲れ果てたあの老婆が君から奪った日数は[引用者:何日あったか]。遺産漁りの強欲を掻き立てようとして病人を装うあの老人が奪った日数は。

p.27

(5)ローマでは、身寄りのない金持ちの老人や病人の遺産を狙い、生前に取り入って遺産の分け前に与ろうとする遺産狙いが横行した。(中略)この一文に
は、遺産漁りに対する皮肉とともに、何人もの相続人の死を見届けた老婆、すなわち不死身のような老婆の遺産を手に入れるには時間がかかる、というセネカのさらなる皮肉が込められている。
(6) 遺産漁りを逆手に取り、今にも死にそうな病人のふりをして、それを利用しようとする上手の老人もいた。子供まで勘当して遺産漁りを集めようとする老人のことを述べた『マルキアに寄せる慰めの書』一九・二参照。

p.210

 ローマやべえ!!! 面白いなあ。

・かっこいい引用

 過去という、われわれ人間に与えられた時間のこの部分は、神聖にして聖別されたものであり、すべての人事を超越し、運命の支配権の及ぶ圏外に置かれ、欠乏にも、恐怖にも、疾病の襲撃にも脅かされることのない時間である。過去は掻き乱すことも、奪うこともできない。

p.35

 現在という時は常に動きの中にあり、流れ去り、駆け去る。やって来た刹那に、すでに存在するのをやめている。

p.36

 幾許かの時が過ぎたとしよう。賢者は回想によってその過去を把握する。時が今としよう。賢者はその今を活用する。時が未だ来らずとしよう。賢者はその未来を予期する。賢者はあらゆる時を一つに融合することによって、みずからの生を悠久のものとするのである。

p.52

 かっこいい! すごく引用されそう! 
 過去についてはわりと異議があるけど、とにかくかっこいいので強い。
 本を読んでてたまに思うんですけど、かっこいい引用を教える仕事があったりするのかな? 著者の引き出しなのかな? 編集者がいい具合の一文をストックしてる? はたまたそういう惹句集みたいな本があったりするのかしら……?

・「椀飯ぶるまい」という単語を見て

 へえー。

・「裾からげ」という単語を見て

 へええーーー。
 p.213によると性的刺激を与えるためらしい。禰󠄀豆子は違うと信じたい。

・p.40-41で、抑揚の小節をきかせて歌うことや、料理がどんな風に出てくるのか楽しみに待つことにすら手厳しいセネカさんが面白い。

・ローマやべえシリーズ2

 ほんの子供にすぎない奴隷がかわいそうにも酔客の吐き戻したものをていねいき拭きとっているさまを見るにつけても、(……)

p.41

(3)「彼ら(奢侈に耽る美食家たち)は食べるために吐き、吐くために食べる」(『ヘルウィアに寄せる慰めの書』一〇・三)。金持ちの宴会では、満腹すると、主に鳥の羽毛を使って吐き戻し、また食べた(『生の短さについて』一二・五も参照)。

p.225

 こういった甘やかされた者たち──人間としての生活や習慣を忘れてしまうことを甘やかしと呼んでいいとしての話だが──、その甘やかされた者たちの一人の話を私は聞いたことがあるが、その人物は、浴場から出て来たあと、大勢の手で担がれて輿に乗ると、こう尋ねたという、「私はもう座っているのかね」と。

p.42

 セネカさんが手厳しくなるのも頷けるやばさ!!!
 ていうか最後の引用のやつは、それもうほんとか? 盛りすぎてない??? ってレベル! 自分がいつか、鼻持ちならない金持ちの悪役になったときに言ってみたいセリフだなあ……!

・ロールプレイのお手本

 倨傲きわまりない人間であったペルシア王は広大な平原いっぱいに大軍を集結させ、その数を員数ではなく量で把握したほどの王だったが、雲霞のごときその精鋭といえども、百年もすれば誰一人生き長らえている者はいないという感慨に駆られ、はらはらと落涙したという。

p.55

(2)クセルクセースは陸上部隊を指揮していたが、ドリスコスの平原で兵員の点検を行なった際、あまりに数が膨大だったため、まず一万の兵をぎっしり詰めて集めさせ、そのまわりに石垣を積ませて一万人が入る囲いを作った上で、その中に次々と兵士を入れ、その回数で員数を数えた。総勢百七十万にのぼったという(ヘロドトス『歴史』七・六〇参照)。

p.220

 ほ、ほんとか??? と思うが、エピソード的に面白い。壮大すぎる。あとかえって時間かかりそうで面白い。

・若いかどうかは知らないセレーヌスの悩み

 学問の研鑽では、誓って、対象そのものを見据え、対象を念頭に置いて語り、また、語る言葉も対象に委ねて、対象が導くままに巧まざる文章があとに続くようにさせるほうがよい、というのが私の考えです。私はこう自問自答します、「何世代にもわたって残るようなものを書く必要がどこにある。後世の人々がお前のことを黙して語らぬことのないようにしようという、その努力をやめようとは思わないのか。お前は死ぬ定めを負って生まれたのだ。誰も何も黙して語らぬ葬儀のほうが面倒も少ない。だ
から、何かを書くにしても、公にしようとは考えず、暇つぶしに、飾らない文で自分の用のために書くがよい。その日その日のために勉学する者は、それほどの労を必要としない」と。しかし、またぞろ精神が思索の壮大さに高ぶったときには、言葉遣い
も野心的になり、心意気も語る言葉も何としても常より高揚したものを示したいと切望して、対象の威厳に合わそうとする文章を紡ぎ出してしまうのです。

p.72-73

 いやあ、すごくいい人っぽいな、セレーヌスさん。約2000年越しに親近感が湧くね!
 ここ、めちゃくちゃよかったので、長いけど中略しないで引用しちゃった。

・近頃の学問研究ときたら……

 学問研究は、出費の対象として最も自由人にふさわしい営みだが、それが理を有するのは、節度をも有しているかぎりにおいてである。持ち主が表題だけでも一生かかっても読み切れない万巻の書物や文庫に何の意味があろう。(中略)
 今や、水風呂場や風呂場ともども、図書室も館の必需の飾りとして設えられるご時世なのだ。(中略)
 こうして蒐集され、著者の肖像とともに並べられる聖なる博士才人のこうした著作は、見栄えのする壁飾りとして買い求められるのである。

p.101-102

 ふふ。これまた2000年ほど前の、見栄の積読批判だね!

 というわけで、面白く読みました。「幸福な生について」からの引用がなかったけど、これはとにかくずっと、「自己弁護の意図がまったくなかったとは必ずしも言い切れないであろう」(p.262)という内容で面白かったね!
 あと、テッド・チャンの『息吹』はストア派の思想が元ネタってことなのかしら? 手元にないのでわからんけども。
 次はフロイトの解説本を読みます。では!

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