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おじいちゃんのトートバッグ

 おじいちゃんは温泉街の中の、かつて病院だった場所に住んでいる。おじいちゃんのおじいちゃんがお医者さんだったんだって。
 でもおじいちゃんはお医者さんじゃなくて、この家の一階で土産物屋をしている。

「おじいちゃん、あのバッグは何?」
「ん?」
「ほら、あれ。あのピンク色をした」

 指をさした方にはカップ焼きそばが描かれているトートバッグが下げられていた。焼きそばは縦にも横にもバッグ全体に並んで描かれていて、蛍光ピンクだったり蛍光オレンジだったり、使われている全部の色がすごく派手な色だった。
 こういう絵、どこかで見た事ある。誰だっけ。アンディー何とかさんの絵。それに似てるなって思った。

「ああ、あれかい?」

 おじいちゃんはよっこいしょと言いながら立ち上がると、壁に引っ掛かっていた焼きそばのトートバッグをとってテーブルの上に置いた。

「どこかで貰ったんじゃなかったかなぁ、おじいちゃんにはちょっと派手で使ってないんだよ」

 手渡されたトートバッグは、色も焼きそばも全てがこの古ぼけた家には似合わなくて、何だか変だった。何でバッグに描かれてる絵がカップ焼きそばなんだろう。これを使っているおじいちゃんも想像が出来なかった。でもポップなデザインが少しカッコ良いなとも思った。

「何で壁に飾ってあるの?」
「飾ってはいないんだけどね。たまたまかな。捨てるのも勿体ないしねぇ。あげようか?」
「うーん……いらない」

 トートバッグの中を見ると、中にはいくつか物が入っていた。何だろう。古い紙の束と銀色の小さいもの。ボタンかな。
 特に目新しい面白そうな物は入っていなかった。おじいちゃんの持ち物だし、そりゃそうだよね。
 ふと顔を上げると、おじいちゃんはそこにいなくて私は家の外に立っていた。あれ、おかしいな。家の中にいたはずなのにな。
 玄関の引き戸を開けると、中にいた人と目が合った。

 そこはおじいちゃんの家じゃなかった。

 いつも佃煮が並んでいる棚が無くて、長椅子が壁に沿って並べられている。そこに人が二人座ってる。どちらも知らない人。
 二人ともじろりと私を見ては、直ぐに視線を逸らした。
 長椅子の向こうにはカウンターのようなものがある。カウンターの奥には女の人がいた。やっぱり知らない人。そこは本当なら店から居間に繋がる場所で、側には小さい棚と小さいレジが置いてあるはずなのに。
 ここ、おじいちゃんの家じゃない。
 私は怖くなって、一歩後ろに下がった。
 その時、ガラガラと引き戸が開けられて、振り向くと学生服を来た男の子が立っていた。

「あ……」

 とっさにその後に続く言葉が出そうになったけど、それは言ってはいけない言葉な気がして慌てて口を押さえた。

「おおい、どうした?」

 学生服を来た男の人の後ろから、同じような学生服を着た帽子を被った男の人がひょいと顔を出した。
 その人は最初に入って来た男の人より年上に見えた。見るからに優しげで、良い人そうな柔らかい雰囲気。
 私、この人のことも分かる気がする。

「初めての方ですか? まずは問診票に名前と住所を書いて下さいね」

 帽子の男の人はつかつかとカウンターまで進むと、中に手を伸ばして紙と鉛筆を取り出した。カウンターの中にいる女の人も特に何とも思っていないみたいで、下を向いて自分の作業をしている。
 男の人は私に向き直ると、カウンターから取り出した書き物一式を差し出して来た。

「これに名前と住所と、あとは症状を書きます。書けますか?」
「いえ、私……違うんです。違いますっ」

 怖くなって、後ろに下がって外に出ようとした。入り口にいる学生服の男の人──若い頃のおじいちゃんは「おっと」と言って端に避けた。きょとんとした顔をしていた。シワのないつるつるの顔をして、でも目元は私の知っているおじいちゃんだった。声もおじいちゃんがテレビを見ながら歌っている時の声だった。
 逃げるようにして建物から出て、ぴしゃんと引き戸を閉めた。閉めてはまた若いおじいちゃんをもう一度見たくて恐る恐る戸を開けた。
 細い隙間から中を覗くと、棚の上に土産物と佃煮が並んでいた。

「あれ?」

 そこには誰もおらず、いつもの土産物屋だった。木造の古めかしい店内。暗い色の木で出来た壁に、同じ色の棚が並んでいる。そして棚の上にちょこんと置かれたレジ。

「おじいちゃんっ! おじいちゃん!」
「どうした?」

 おじいちゃんの声がすぐに店の奥から聞こえて、間仕切りのカーテンから顔を覗かせた。
 どこからどう見てもおじいちゃんだった。

「とうもろこし茹でたよ。食べよう」

 おじいちゃんの手にはざるにこんもりと入ったとうもろこしがあって、ほくほくと湯気を出している。何事もない、平和ないつもの午後のおやつの時間。心臓がドキドキしているのは私だけ。

「ねぇ、私、どうかしちゃったみたい」
「そうかい。おじいちゃんは昨日会った人の顔も忘れるし、名前も出てこないことがあるけど。それよりもまずいことかい?」
「うん。まずいと思う」
「それは困ったねぇ」

 さほど困ってなさそうなのんびりとした声色で、おじいちゃんはカーテンの奥に引っ込んで行った。
 さっき見たのは一体何だったのかな。
 ふと、手元を見ると派手なカップ焼きそば柄のトートバッグをしっかり持っていた。古めかしい店中で、それだけがケバケバしくていびつだった。
 絶対にこの建物とおじいちゃんには似合わない。
 もう一度、袋の中には何が入っていたのか確認しようとしてやっぱりやめた。
 おじいちゃんに昔の話を聞いてみようかな。

「私もとうもろこしちょうだい。ねー、おじいちゃんって兄弟いたんだっけ?」

 派手なトートバッグを棚の上に置いて、私も間仕切りのカーテンをくぐった。

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