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川崎の大人紹介#1 ひでさん [後編]

川崎のまちをフィールドに活躍している大人にインタビューをする企画「川崎の大人紹介」。若者時代のお話や、活動のヒントを川崎の若者にお届けします!

記念すべき第一回目はかわラボも大変お世話になっている、石井秀和(いしい ひでかず)さんにお話をお聞きしました!
石井さんは大家さんとして、ハードだけではなくソフトも大切にしながら武蔵新城エリアのまちづくりに携わっています。

今では川崎で活動する人の中で知らない人はいないくらい大活躍の石井さんですが、どんな学生時代を経て今の活動に至ったのか、私たちもワクワクしながら聞いてみました!


前編はこちらから→ https://note.com/kawa_lab_/n/na03b0286f272


2. 人生のお話(後半)

事前に紙に今までの人生をグラフ化していただき、それに沿って今までのお話をお伺いしました。


【家の外に出てみた社会人一年目】

- 前に「小さい頃から家を継がなくてはいけないと思っていた」とおっしゃっていましたが、逃げたくなった時とかはなかったのですか?

大学卒業して就職して外で働いたのが唯一の反発だったね。就職決まってから5年だけ時間くださいと伝えて、結局は5年も行かずに2年半で戻ってきたんだけど、最初はハード系のエンジニアをやっていました。


- エンジニア!すごく意外です。なぜその職種に?

大学が理学部の物理学科だったので、ちょうど時代的にも「ITバブル」と言ってパソコンとかのシステムをガラッと変えなくては行けない時(2000年問題)だったのでエンジニアを大量に採用していたんだよね。それに乗っかって。

とは言っても、ファミレスでバイトしてて楽しくて「人が好きだな」と感じたのもあっていわゆる「エンジニア」よりかは外回りな「カスタマーエンジニア」という職業をしてました。


【家を継いで新しい職業に】

- エンジニアのお仕事からお家を継ごうと戻ってきたのはいつだったのですか?

24に結婚したのでそれを機に戻ってきて、親父がやっていた今の会社に。最初は東京で経験してきたスピード感もなかったからイライラしたし、あえて従業員をあまり雇わないで自分たちで全てやる会社だったので、毎日仕事に追われてて正直もう沈められた感じだった

最終的に自分が責任を負っていかなきゃ行けない事業だから不安もありつつ、親父が始めた頃から比べると時代の流れ的に利益率も縮小していって。どうすればいいかわからなかった。


- 全く色の違う世界に移って悩んだ時期があったのですね。そこからの変わったきっかけは?

震災の頃くらいからかな、シェアハウスとかソーシャルアパートメントが増えてきて「人との繋がり」が付加価値だと言われ始めてたんだよね。それで同業者が動き始めているのを見ていたのでなんかやりたいとふつふつと思ってた。それと同じくらいの頃に父が亡くなってしまい、自分がやるしかないと覚悟を決めました。


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【リノベーションまちづくりとの出会い】

- 覚悟を決めてからはどんなことをしていたのですか?

もう覚えていないくらいぐわっと色々なことをやりましたね。

一番大きかったのは熱海の「リノベーションスクール」っていう勉強会に参加して、スモールエリアに限定してまちをどうしていくかを感える「リノベーションまちづくり」という考え方に出会ったこと。その考えにも参加していた人にもすごく刺激を受けて。そこで出会った仲間と事業を立ち上げたりしていました。


- なるほど。この「リノベーションまちづくり」という考え方が地域に目を向けるきっかけだったんですね。

それまで仕事では地域のことってあまり意識していなかったけど、「物件に価値をつけること」ってハードだけだと限界があって「人や地域に価値を見出すことに価値があるかも」と思ってきたんだよね。考えれば親父に「地域が廃れたら、俺らの商売は終わりだ」と言われてたのもあったけど世の中的にも社会的にもやらなきゃなと。あと、どちらかというとまちのためよりは自分が素直に「やりたい」と思ったから。


【石井さんの活動の原動力】

- 「素直にやりたいと思ったから」そこからの原動力がすごいです。

アメフトもそうだけど人生変わった瞬間を振り返ると、自分が何か動いたら次に何かがあるという成功体験が何回かあるので、「あまり考えずにとりあえずやってみる」ことは大切にしてます。

すごく覚えているのが、最初にカフェを始めたんだけど自分がやっていた事業となんかうまく繋がらなくてずっと悩んでいたんだよね。その時に熱海で出会った友人に「綺麗に絵を描き始める人もいるけど、点を打ち続けて円になる人もいる。石井さんは後者なんじゃない?」と言われて、ああそうかと。

この言葉を信じて今もずっと点を打ち続けているんだよね。


- なるほど。「結果出さなきゃいけない!」って思いながら何かを始めるよりは、「とりあえずやってみる」のですね。

そう。イメージとしては、出てきたパーツを使ってプラモデル作っている。設計図が決まっていた上で作るのは自分の経験としてあまりうまくいかなくって。

例えば「こういう生活できたらいいな」と思って設計し始めても、やりたい人がいなければうまくいかなくて、「これをやってみたい」って言ってくれる人が出てくると成功する。それを待っているんだよね。

だから自分のやりたいこととか得意なことはなんですか?っていわれるとあまり答えられないんだよね。自分の得意なことは割と曖昧。とりあえずやりたい人を繋げているのが楽しい。


- 石井さんはすごく楽しそうだなと思うのですが、楽しみながらやっているのはなぜですか?

多分、自分のやりたいことを探しているのではなく、自分の好きな方向に事業を変えてきたんだよね。

だから「まちづくり」というよりは、周りにいる人を幸せにすることを一番に考えている。みんな幸せだったらいいじゃないと思ってる。

- 本当にスタートは大きく想像するのではなく、身の回りからなんですね。


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3. これからの展望

- そんな石井さんですが、今後の展望などはありますか?

うーん。その場の判断でよくね?と思ってます。
先が見えない世の中だから正直悩むけど、その場でいいと思ってる。


4. 若者へのメッセージ

- 最後に、これを読んでいるであろう若者へのメッセージをおねがいします!

選択をし続けるのが人生の中で「変わる」「変わらない」の選択で考えると、「変わる」こともリスクだけど、「変わらない」ことも変わることを選んでいないことになる。どっちもリスクもメリットもあるよねってことを知っていてほしいかな。


- なるほど。ありがとうございます。では、川崎という街に対してはどのように感じていますか?

やりたいと思っている人たちが自己表現しているし、行政も協力してくれるし、面白い人がたくさんいる。あと、地域プライドが高くないから逆に挑戦しやすいと思うんだよね。

そういうの考えると、何か始めるなら魅力的なまちだと思います。

自分の盛り上げたいものがあるならば、それを頑張ってれば応援してくれる人がたくさんいる。他の地域と比べても「そんなん無理だよ!」という文化はあまりないから安心してほしい。

- すごいエールをいただきました。ありがとうございました!


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インタビューは以上になります。

高校生でアメフトのサークルに入った経験や熱海での勉強会など、石井さんの人生が変わったそれぞれの瞬間から「一歩外に踏み出してみること」の大切さを感じました。そして、その一歩は大きすぎる必要はないし、あまり先のことを考えずに踏み出してみても大丈夫なんだよという言葉になんだかとても安心しました。

石井さんありがとうございました!!
そしてこれからもよろしくお願いします!

取材メンバー
(聞き手)えびちゃん(書き手)はがちゃん(写真)ひーちゃん


5. 宣伝コーナー

【各種SNS】ぜひフォローを!!

石井さんの事務所のHP:https://seses-ishii.jp/

カフェ「新城テラス」
HP / Instagram / Facebook

コワーキングスペース「新城WORK」
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最後に:
これを読んで石井さんとお話ししてみたくなった川崎の若者のみなさんへ
お気軽にかわラボにご連絡ください〜!


川崎の大人紹介#1 は以上になります。
最後まで読んでいただきありがとうございましたー
次回もお楽しみに!

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