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新しく回転していたい 2022/11/28

午前中(12:50まで)4コマ授業して、午後空きにしても、帰り薬局とスーパー寄って風呂入って洗濯して干そうとしたらもう夕方なんだなあ 

めぐみ

なんかつまんないな。
いや、冒頭みつをみたいにしたことじゃなくて。
こんなにも時間が奪われるなら、こんなに必死に自分の時間を作ってるのが馬鹿らしくなる。
同時に、こんなにも自分の時間を売り渡してまで何のために働いているのかもわからなくなるのだ。

山崎ナオコーラの小説『かわいい世の中』に、豆子が一体自分は何のために働いているのか? と自問する場面がある。豆子は自分で働いて自分の生活を成り立たせたいと言う。「自分の金でやっていくということを、強く考えていきたい」
また、社会に参加したい、社会人としての自分らしさを見つけたいという意志を「社会欲」と呼んで、それは豆子なりの「金銭欲」と一致しているようだった。
私は人のお金でやっていく選択肢がないから自分で働き、やっていくしかない。それはただ、その方が面倒が少ないからそうしているだけで、豆子のように税金を支払うことに満足感や喜びを覚えたりしない。そこまで現在の社会とこの国を信じていないからだ。
しかし、働くことで結果的に社会と関わっているとたしかにいうことができるし、その満足感は味わっていると思う。突き詰めると、私は「社会」を信頼したいし期待したいけど、現在の社会はそうじゃないということに対して、ねじれと、愛情が思いきりぶつけられない切なさと、もちろん怒りを感じている。

うろ覚えだが、柳美里は「仕事は自分にとって自己実現の手段ではない」と書いていた。柳美里は、震災後に南相馬に移住し、その地の人々や若者のためになればという思いもあって本屋をオープンしたり、近くの高校で授業している。それを知った上でその言葉を読むと迫力を感じる。

私は何だろう?
なんで働いてるのか?
何で今の職場を辞めたいのか?
何で今の職場を辞めてもまだ働きたいと思っているのか?

一つは、柳美里と違って自己実現を目指すから、仕事(職場)が嫌になるのだろう。
じゃあ何か。もしかして、私が働くことは世界(地球)のためによいことだとでも思っているのか?
思ってる!
世界に幸せをもたらす。
できるだけ、私と関わる人が多いほうがいい。
私が存在していない学校はきっと火が消えたストーブみたいだろう。

…ということを思っているのは本当だけど、少し前は力強く「事実」として認識していた。
なんかそういうのが天から降ってきたのだ。
今は少し変わった。
それを「事実」として信じ続ける元気が今はない。

この世界に私が居たほうがいいだろうそうだろう? というような考えは、もしかしたら、柳美里が否定する「自己実現」と、豆子の視点を宇宙規模に拡張したようなものかもしれない。

違うか。
私は自分で考えよう。

自分が働くのは、自分が腐りたくないからだ。
新しいものを見ていたいからだ。
場所を変えたいのも同じ。
新しく回転していたい。

2022/11/29 めぐみ


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