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映画「プリズンサークル」より。-処罰から回復へ-

ギリギリ間に合った!映画「プリズンサークル」。シネマ忘備録。

田端駅から徒歩5分のところにあるマイクロシアター、「シネマ・チュプキ・タバタ」にてアンコール上映があった。
以前から見たかったけれど、どうしても短期間で終わってしまってたので、どなたかのSNSの投稿を見て飛びついた。

ここは日本初のユニバーサルシアターで、映画には日本語字幕と音声ガイドがついてくる。席数が20くらいしかなかったのはいささかビックリ。それでも、田端の街中で、「業務スーパー」の真隣の細長いビルで、シアターというのは可能なのである。なんとも心強い。

ホントに細長いビルの一階にあるシアター

このドキュメンタリー映画は、島根県にある刑務所が舞台。プリズンとはいえ、「社会復帰促進センター」という名前の施設だ。
処罰から回復へと、受刑者たちを促していくための、いわば社会学習の場であり、もしかしたら彼らが自分と向き合うための、最初の場なのかもしれない。

監督である坂上香さんは、取材許可を得るまでに6年間、撮影に2年間かけたという。その熱量に、しばし圧倒される。。

規則正しい生活の中、週に3回、ここで服役する“訓練生”たちは、「TC (Therapeutic Community/セラピューティック・コミュニティ)」という名の、治療と回復のためのプログラムを受ける。もとは英国の精神病院ではじまり、米国や欧州各地に広がったと言われている。

椅子を円形に並べて、そこに二十名ほどが座る。まさに、サークルからスタート。
シンプルに考えれば、私が日常的にワークショップなどで行っているような、4人一組での対話や、書いたり話したり、ホワイトボードに意見をまとめたり…と、実は企業研修のスタイルとあまり変わらない。

自分を取り戻すための“プリズンサークル”

ただ大きく違うのは、そこは刑務所だということ。
そのサークルをかたちづくっているのは、法を犯し、罪を犯した人たちには違いない。

けれども、全く違う世界に生きる人にはとても見えなくて。子供の時に親から虐待を受けたり、壮絶ないじめを受けたり、窃盗を重ねたり。
愛情をかけられた経験があまりにも欠落している人たちだ。

「・・・そうですね、親には、ぎゅっと抱きしめてもらいたかったですね。頭撫でてもらった経験とかは・・・ないですね。」
淡々とそう話す若い男性。

誰かがその少年に、ぎゅっとしていたら、ここにいることはなかったかもしれない。

彼らのインタビューには、子供時代の経験が語られるけれど、それを監督は、“砂絵のアニメーション”で淡々と表現する。そうでないと重すぎて受け止めきれない。

そして彼らが発する言葉に寄り添い、じっくり伴走する支援員の方々。「〇〇!番号!」みたいに、軍隊式の刑務官の人たちとは、雰囲気も言葉使いも全く違う。
人間的に彼らに接し、またノンバーバルな部分での寄り添い方が本当にすばらしい。

二つの椅子を置いて語る「エンプティチェア」や「ロールプレイング」など、NLPやコーチングなどのスキルが登場するけれど、活用している現場が変わると、こんなにも意味合いが違うんだとくらくらする。

自分の主催するワークショップに置き換える

わたしも先日、ワークショップ研修がひとつ終わったけれど、参加者に自分の声で語ってもらうこと、書き留めてアウトプットすることにこだわっている。「やっぱり、それで間違ってなかったんだ」と、これを見て改めて思えた。
その人がその瞬間に、わずかでも自分自身を回復し、自己一致するための小さな一歩に伴走していると思いたい。

不慣れななかでも、自分の言葉で自分を語り、相手の言葉にも真摯に耳を傾ける。
そんなシンプルなことが、この社会の中で意外にもないがしろにされている。「聴くことは、負け」と男性のワークショップ参加者から耳にしたことがある。
驚くほど、わたしたちは「聴いてもらえていない」し「聴いてない」。

幼少期から一度も受け止めてもらえなかった人たちが、なにかのきっかけで法を犯して刑務所に入り、自分の話を同じ受刑者たちに語って聴かせている。
そして、語ることで涙して、聴くことで涙して、互いに癒される。

ラストシーンで、施設を出て新幹線に乗る青年の後ろ姿が映る。
「どうか神様この人が愛に出会えますように」と、祈らずにはいられなかった。

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