私は死んでもお前に感謝しているからね。①
先日、最愛の母が亡くなった。
肺腺がんを患い、2年3ヶ月という闘病の末、命数を使い果たし旅立って行った。
私にとってかけがえのない、たった一人の母がこの世から居なくなってしまった事実を未だ全て受け止めきれてはいない。
自宅に一人で居ると母の声が聞こえて来る気がする。風化させたくない母との思い出をnoteに書き綴りながらこれからの自分がどう生きていくべきか考えてみようと思う。
マジメな内容とふざけた内容が混在するので、文面でかなり温度差があると思いますが、お付き合い頂ければ幸いです。
母との関係性
まず、私の拙い駄文にお付き合い頂く方々に私と母の関係性を知って頂ければと思う。
私と母は恐らく一般的な親子関係と比較すると【本当に仲のいい親子】だったのではないかと思う。
産まれてから母と私はずっと同居しており、互いに親離れ子離れが出来なかった親子である。
「マザコンじゃねぇの?」と感じる方もいるかと思われるが、一般的なマザコン(基準は様々だが)とは異質な関係性だった。
別に母の言う事に従っていた訳でもないし、ベタベタして甘える様な事もしていない。
『傍に居たい』ただそれだけだった。
傍に居て、常日頃から冗談を交えて話し、笑いの絶えない親子であった。
あまり他人に聞かせるような話ではないが、ちょっとしたエピソードをご紹介しよう。
これは生理現象だから誰しもが致し方ない事だと思って下さいw
私が屁をした時のエピソードです。
母「お前の屁は臭いから嫌だ!」
とか騒ぐもんだから
私「可愛くて若い息子(もう40代ですがw)の屁を嗅げば細胞が活性化するかもよ?」
母「やかましい」
私「ぎゃははは」
これだけで親子関係が測れるとは思えないが、こんな事が日常茶飯事な関係でしたw
闘病生活
2018年1月。
年明けから母が頻繁に咳をする。
元々、気管支喘息があったため、恐らくまたその症状が出たのであろうと本人も家族も考えていた。
1ヶ月経過してもなかなか咳の症状が改善されない。かかりつけ医にもう少しちゃんと診てもらうべきだと母に言い、病院へ向かわせた。
レントゲンに気になる影が見えるとの診断であったため、最寄りの総合病院にて再検査した方が良いとの事だった。
2018年4月。
仕事中だった私の携帯電話が鳴る。
母からだ。
つづく。
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