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そのままの視点で、そのままの感性で

赤瀬川原ぺお

キーボードで「平」を打つとき、結構な確率で「ぺお」になってしまう。
赤瀬川原ぺお
ぺおって、なんか可愛い。

赤瀬川原平という名前だけは知っていた。
前衛芸術家。
「赤」が先頭にあるからだろうか、何処と無く怖い人物のような気がして、ぶっ飛んだ発想と思想で衝突を繰り返し、騒動を巻き起こしたりしてたんかな?
よく知らないので、漠然とそんなイメージを勝手に抱いていた。
ただ名前を知っているだけの、遠いひと。


SNSでふと目に留まった、この写真。

単純に、好きだな、と思った。
流れてきたSNSは、彼の写真展を紹介する記事だった。
「これが赤瀬川原平 ? ホントに ?」
他にどんな写真が展示されているのか気になり検索してみると、どれもこれも、私好みなものばかり。
これはもう、行くしかない、行かなきゃいけない気がする!
直感的にそう思った。
私は自分の直感を割と…いや、結構信認している。
直感全てを鵜呑みにはしないが、引っかかりを感じたときは、良いことも悪いことも当たるときが多い。
そよ風に靡く繊細な薄い生地が、華奢な針の先端に引っかかっている。
微かに、でも確かにその感触が脳に心臓に伝わってくる、そんな感覚。
そういえば、「心霊的なものは見えないけど、良い気配・嫌な気配に対する霊感があるね」って、占いで言われたこともあったっけ。

いや、私のことはどうでもよくて、赤瀬川原平、とにかく赤瀬川原平なのだ。
トマソンと呼ばれる建造物は、私も好きでよく写真を撮ったりしていた。呼び名があるなんて知らなかったが、由来がまたユニークで愛着が増す。
スクラップ&ビルドによって、そういう景色がどんどん排されている現代。どこもかしこも似たような建造物が建ち並んでいく様は、本当に悲しいし悔しいし退屈だ。
シュールで味わい深く、想像性の広がる風景を、多額な費用を注ぎ込んで積極的に消し去ってゆく。
失っているという感覚を、世の企業たちは持てないのだろうか。
トマソンに限らず、意匠に凝った素晴らしい近代建築の数々もまた然り。


本題に戻して、写真展。
トマソン写真の数々も、6名のアーティスト各々によるセレクションのテーマも面白く、どれも興味深かった。
が、私が最高に感奮したのは、トマソンよりもこんな写真。

赤瀬川原平写真展「日常に散らばった芸術の微粒子」
SCAI PIRAMIDEにて撮影

そして、こんな写真。

写真集「1985-1990 赤瀬川原平のまなざしから」

色、朽ちた様子、構図。
こういう感じが、たまらなく好きだ。
日頃からこういう類のものを見つけては、ぐふふと嬉しくなり写真を撮ってきた。

撮影 = kauyuiramu / 2023
撮影 = kauyuiramu / 2018

そんなわけで、私は赤瀬川原平氏から、
「そのままの視点で、そのままの感性でいいよ」
そう背中を押してもらった気がした。もちろん勝手に、ただ妄想的に。

直感って、やっぱり大事だ。
自分の「好き」という感覚、大切にしていこう。

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