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茶道とは完成された様式美であり浪漫である。



小学生の頃、茶道を習っていました。
流派は裏千家。2週に1度のお稽古でしたが、中学生になるとクラブ活動などの諸事情で続けられなくなり、それっきりになりました。
今ではもうめったに思いだすこともないのですが、「初釜」のニュースを目にするこの時季になると、お稽古に通った先生宅の間取りや家具の配置、まとめて置かれていた茶道具なんかを思いだします。

初釜とは、年が明けて最初に行われる茶会のことです。
当時のわたしにとって、初釜とは稽古はじめと同義で、そこで供されるお正月用の特別なお菓子をとても楽しみにしていたことを覚えています。
茶道を始めた理由も、「仲良しの友達に誘われて一緒にやりたかった」のと、お稽古で出される「特別な和菓子」がお目当てという、とても小学生らしいものでした。
お稽古の記憶をたどると今も真っ先に脳裏に浮かぶのは、丁寧にかたち作られた色とりどりの和菓子です。


お稽古では四季折々の季節感を考慮した手の込んだ和菓子が、必ず何種類か用意されていました。
ふつうの桜餅や柏餅なんかもありましたが、わたしのお目当ての主菓子(おもがし)は、色合いや造形に凝った芸術品のごとき和菓子でした。

Wikipedia「和菓子」より


春の和菓子は、淡いピンクで桜の花の色や形を模していたり、黄色と黄緑の細かい粒で飾られた菜の花もありました。初夏には淡い紫とブルーを重ねた紫陽花と、どれも見た目のかたちも色合いも美しく、食べてしまうのがもったいないほどでした。

手の込んだ主菓子もですが、和三盆なんかでつくられた干菓子(ひがし)も、小学生のわたしにはそこでしか食べられない特別なものでした。

Wikipedia「干菓子」より

干菓子(ひがし)とは、水分の少ない乾燥した和菓子のことです。
お干菓子は、わたしは茶道のお稽古でしか見たことがありませんでしたが、デパ地下や和菓子屋さんへ行けば普通に取り扱っていたのでしょうか?
今ならそのお干菓子も通販で選び放題、お取り寄せし放題ですけどね。


お稽古ではかならず友達とペアを組んで、交代で先生の指導を受けながらのお手前(お茶を点てること)と、相手が点てたお茶を戴く客の側の両方をやりました。
1回のお稽古でどちらも練習する理由は、お辞儀や茶室への出入りの仕方、お茶やお菓子の戴き方など、客として必要な作法も覚えるためです。

Wikipedia「茶道」より

お茶を点てる手順じたいは簡単なのですが、一筋縄ではいかないのがその作法です。
茶室では所定の位置に炉が切られて、そこで火にかけられている釜で湯が沸かされていますよね?
厳密には、炉には夏季に使われるものと冬季に使われるものの2種類あるのですが、ここでは端折ります。
その炉で湯を沸かしている釜の蓋を開けたり閉めたりするのにも作法があって、「釜の蓋は一度ずらしてからこう開ける」に始まり、「こうやって蓋の雫を切り、このように動かしてこの位置に置く」と、道具の扱いや配置が細かく決められているのです。

なんだってそこまで細かく決められているかというと、扱いを間違えると湯気や熱湯で火傷するかもしれないし、体の小さな小学生などは特にその危険性が高いからです。
蓋についた水滴が落ちて、炉や畳を濡らしたり汚したりしないためにも、こうした手順や扱い方が決められているようです。

Wikipedia「茶道」より


湯を汲む柄杓(ひしゃく)の扱いにも、「柄杓はこう持って湯はこのくらいの量をすくう」に始まり、使った後も「置き柄杓」に「切り柄杓」に「引き柄杓」と、この場合はこうするという作法がきっちりあるのです。
帛紗(ふくさ)はこう畳んで、抹茶を入れた棗(なつめ)は帛紗でこう拭いて、抹茶をすくう茶杓もこう持ってこのように拭く。茶杓は最後に軽く茶碗に当てて抹茶の残滓を落とす‥‥そんな感じ?
映画を2倍速で観るひとが増えているらしい昨今の風潮では、長時間の正座も含めて「どういう苦行だよ!?」と言われそうな内容ですね(笑)

ちなみに、お手前では「ここで客にお菓子をすすめる」という声かけのタイミングも決まっています。
もし茶会に呼ばれる機会があって、目の前にお菓子を盛った鉢を置かれても、客は自分のタイミングで勝手に食べたり、互いにすすめたりしてはいけません(ここ重要)
こういう決まり事を知らないと、大目玉のNG行為だと知らずにウッカリやっちゃいそうですからね。この機会にここだけ覚えておいてください。

にこやかに「どうぞゆっくりしていってください」と言われて額面どおりに受け取ったら、じつは「さっさと帰れ」という意味だった‥‥という怪しげな京言葉がありますよね?
初心者にとっての茶会はアレに近いものがあると思われるので、無作法をその場で怒られたりはしませんが、知らないと恥ずかしいおもいをさせられるかもしれません。

Wikipedia「抹茶」より

要するに、茶碗に適量の抹茶を入れて湯を注ぎ、茶筅(ちゃせん)という道具でお茶を点てるだけでも、細かく決められた手順があって、作法どおりに粛々と進めるのが茶道というものなのです(たぶん)

お稽古はTシャツにスカートのような普段着でやりましたが、正しい所作を覚えておけば、いきなり着物でお手前することになっても、袖や裾に煩わされることなく普段どおりに動けます。
それもこうした手順や作法のおかげなんですね。
茶道とはすなわち究極の様式美か、日本の伝統芸のひとつである、ぐらいに思っておけば、少しはイメージしやすいでしょうか?


茶道で用いられる道具や茶碗の良いものには、必ず銘があります。
客は使われている茶道具の来歴や銘を尋ねたり、使用した茶碗を手にとって「拝見」したりなんかもします。
銘は抹茶にもあって、わたしの先生が好んで用いられていた抹茶には、〈松の緑〉と〈橋立の昔〉なる銘がついていました。
ネット情報によると、一般に〈なんとかの昔〉とあるのは濃茶の銘に、〈なんたらの白〉のほうは薄茶の銘に用いられるようです。
白でなく緑ですが、おそらくは〈松の緑〉も同じ流れでつけられた銘ではないでしょうか。

小学生だったわたしは興味がなかったのか、このネット情報は初耳でしたが、〈松の緑〉という抹茶の銘だけはずっと覚えていました。

だって〈松の緑〉って、なんだかステキな響きだと思いませんか?
緑の松ではなく、あえて〈松の緑〉と表現したことで、その松の木の持つ由来や物語を連想させる不思議な響きが感じられます。
言うなればカタカナでなく漢字で書く「浪漫」に込められた意味合いと同種の何かのような‥‥?
〈松の緑〉なる銘には、由緒ある松の枝を彩る緑を思わせる茶の色合い‥‥なんて趣がいかにも込められていそうじゃないですか?
〈橋立の昔〉のほうも、そのまま書籍のタイトルにでもなっていそうな物語性を感じさせます。

そういえば、わたしの茶道の先生は京都のご出身でした。
今なら即座に「だからお抹茶に〈橋立の昔〉や〈松の緑〉だったのね」と思うところです。
が、和菓子目当てでお稽古に通っていた当時のわたしには、そんなのは知ったことではありませんでした。
先生の生い立ちや抹茶への思い入れなんかよりも、わたしにはその日の和菓子がどのようなものであるかのほうがよほど重要でしたから。

それでも、今も変わらず〈松の緑〉という抹茶の銘の響きには、そこはかとない浪漫と物語を感じます。
わたしにとって茶道とは、完成された様式美であり、浪漫であり、造形の美しい和菓子とのコラボであるのです。


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