見出し画像

1994年3月 ひとりモスクワ3

3月20日(日)

6:15頃 起きる。
8:00 手紙をかきつつ、のろくたと朝食。
 サラミとチーズ。揚げパンとジャム。桃ジュース。コーヒー。果物はキウイ。
 オムレツ(と、ウェイターは説明した)、裏は真っ黒に焦げていて塩味のみ。切り分けられたものだから多分他にも真っ黒オムレツを引き当てた客はいるだろう。
 でも見かけの割りに、シンプルな味付け。舌に合っておいしい。

 旅行社からもらった地図に「アンドレイ・ハブリョフ」美術館のあると言ふ。
 おいおいそれは、ルブリョフじゃあ?
 名前しか知らないが、とりあえず行ってみることに。
9:50頃 出発。
 地下鉄プローシャジ・イリイッチャПпощадь Ильича駅から歩いて
5分か10分、と思っているうちに、また道に迷う。

ここはどこわたしはだれ

 男の人をつかまえる。なぜか「りひと、にぇっと、りんくす!」と半分ドイツ語。でもていねいに教えてくれた。
 その人の言った通りに歩いてみて、また迷ったので今度は子連れの母に聞く。

 ようやく着く。
 入り口が渋い。美術館は教会の敷地内にあるようす。

私的トップ1、2を争う感動的美術館入口

 チケットは3枚買わされる。1枚600ルーブルと印字されたものが直してあって、2000に替わっている。なので全部で6000ルーブル。

敷地内の図

 敷地内でまず入ったところは、教会だった。ミサの真っ最中で、建物内はぎゅうぎゅう詰め。
 今まで聞いたことのあったロシアの聖歌の中では単調な節回しのどこか呪文じみた歌を聴いて、頭がぐらぐらした頃出てくる。

 他の建物内も見る。 入り口脇が、10~13世紀の、一番奥手のが14世紀くらいの、その手前が18世紀くらいのイコンや宗教画の美術館。

 16世紀頃の、真ん中に人物の全体像が描かれ、周りにコマ割で、その聖人の物語が描かれているというものが、けっこうおもしろい。
 ある聖人は、岩をのせられ、板を乗せられ、柱にくくられ、鞭うたれ、岩に埋められ、とにかく色んなひど~い目に遭って、「あの頃はイロイロありましたよ」みたいにさわやかに真ん中に描かれていたりする。
 遠近法のめちゃくちゃさ加減が、またいい。

 18世紀くらいになるとディテールには凝っているし、彫金の技術などもたいしたものなのだが、表情などは、15世紀頃の方が稚拙ながら真摯なものを感じた。

 19世紀。イコンの絵の上からかぶせて、後光や衣装を飾るための額が豪華絢爛。
 銅に七宝でステンドガラス風に色づけしたものが面白い。
 真珠の縫い取りをした衣装も見られる。
 下の絵も細密画のようで、筆が細かい。

 これでもか~っ、と細かく装飾された世界から、アバウトな雪の世界へと戻る。

 なぜか敷地内で、雪だるまを作っている少女がいる。
 ここに住んでいるのかしらん。
「ロシア語で何ていうの?」
「これ? ゆきばあさん!」
 写真を撮らせてもらう。

 お礼に飴をあげようと差し出すと、「ううん、いらない」と。
 欲がないのか、教育がしっかりしとるのか。でも、物おじしない、可愛い子だった。

 美術館の外の林に、アンドレイ・ルブリョフがたたずんでいた。
 銅像なのに、うつむき加減でどこかさびしげ。

 地下鉄の駅まで戻り、今度はクロポトキンスカヤ(Кропоткинская)を目ざす。
 次なる目的地は、プーシキン美術館。ボナールとピカソに会えるのがうれしい。
 駅を降り、また迷う。
 いかにも偉そうなおじさんをつかまえて(無茶はよしなさい)、道を尋ねると、意外にも
「ワタシも行くところだから、一緒に来なさい」と言ってる(みたい)。

高級官僚か?

 しかたなく、ついて行く。
 美術館の前は列が出来ている。並んで10分くらい待つ。

 空をみると、すごい勢いで雲が流れていく。どこかでカラスが高鳴きしてる。
 なんだか急に、冬も終わりかなあと思う。

 荷物預かりの場所まで教えてくれて、おじさんは実はとても親切だった。
 おじさんに「カク・ヴァス・ザブートゥ?(お名前は)」と尋ねると丁寧に「ミニャ・ザブートゥ・イーヴァン」と。
 ロシアの毛皮帽を脱ぐと、エリート役人風おやじから、頭のてっぺんにちょぼっと毛の残る、人のよさそうなイワンおじさんに変身した。
 ありがとうありがとうと何度もお礼を言いつつ別れる。

「どういたしまして!」
すっかりこちらも桁が上がったプーシキン美術館のチケット

内容があまりにも濃かったのでその時のメモ書きを。

Lorenzo Lottoのマリア様にびっくりして、クラナッハの聖母子が画面の隅に寄っているのが気になり(後から思ったけど大きな絵の一部分だったかも)、ブリューゲルの冬景色を見てモスクワの雪景色を思い、ピカソに感銘を受け、フリードリヒの絵の隅にペンキで数字がついているのにムッとした。
等々。

 美術館を出ると、雪が舞っていた。入り口にはまだ行列。
 一度に入れる数が決まっているのだろうか?
 ノヴォデヴィチ修道院近くのベリョースカに入るが、すっかりさびれた感じ。日本のビジネスマンたちがツアーガイドに連れられてがやがや入って来たくらいだった。
 せっかく入ったので、ウォッカ740ミリリットルくらいの普通のやつ買おうとした。4ドル、とついていたけど支払いはルーブル。
 同じウォッカが町の中の店だと4000ルーブルくらいだったのでやめたのだが、あまりにも「買ってくれ~、金落としてくれ~」って亡霊のような気が漂っていたので、仕方なくドイツ製のヨーグルトを買う。4ドル90。
 ウォッカより高いやんけ~!
 二階も行ってみたがさらに暗くてさびれているので、おそろしくなって出てくる。

 街の小店では、本当にイロイロなものを売っている。

資本主義を覗き見る少年

 コンドームも! 1個100Pから、ごうかな(?)ものは500Pだって。
 ビール、煙草、「羊毛」と書いてある靴下、櫛は5本で1セット売り。

窓口の左上に貼ってあるのが許可証ぽい
ビデオテープと革財布と下着?
ビール、菓子、スナック「高いわー」っておばちゃん言ってる

 ビデオテープやカセットテープが多い。ラベルはタイプ文字で、手作りもの。1本3000Pのハードロックのカセットを2本買う。
 ビールは350ミリリットルが1500~3500P。
 他にもミリタリーグッズとか、ミュータントタートルズのシールとかも。
 そう言えばアメリカ製?のAPOLO SOYUZという煙草もあった。裏面はちゃんとロシア語表記だった。

煙草と言えば、揃いの制服に身を包んだおねえちゃんたちがチラシと煙草を配っていた。とても軽い感じ。

 お店の売り子は若いカップルか、トルコ系のような人たちが多い。
 ロシアンカップルよりも、トルコ系のほうがよほど愛想がいい。

 個人経営(?)のおばちゃんは、商品をこのように手に持って立ち売りしている。これが全部売れたら家に帰るのだろうか。

 おばちゃんたちが売っているのは、西側の石鹸、シャンプー、煙草、缶詰、家で採れたらしい野菜、燻製の魚、花、毛糸の編み物、レースなどなど多種多様。

 途中、果物売りのおばさんが「ぶどう、試食しない?」と一粒くれた。
 甘い。キロ4000P。
 も少し安い、キロ3500Pの洋ナシを買って帰る。5個。
 国営店のウィンドウにも美味そうな果物が山積みで飾られている。市場より少し安い、でも店が開いていないか行列か売り切れか。

この日は開いていなかった

 モータースを見かけた。あんがい小奇麗だが、日曜なので開いていないのかも。

 路地の向こうに「オートリモートマシーン」と書いてあったが、看板なのか落書きなのか、いまひとつ不明だった。

建物の壁は、近年の混乱を受けてか、かなりカオス。

車は前に来た時より少し増えた気がする。
オクチャブリ映画館では、ミセスダウトをやっていたらしい

19:30頃 ホテルに戻る。
 朝部屋を出る時に、おそうじの方にチップの代わりにソフトキャンディを置いていったのだが、なんと、メモ書きに「ありがとう!」と残されていて感動。

「ありがとう、日本のソフトキャンディです、どうぞ」
「ありがとね!」

、残りのパンやビールで夕食。

 梨をかじってみるが、まだすこし未熟。持って帰れないと思ってディジュルナヤに持っていく。
「わー、くれんの? ありがとー」
 てな若いお姉ちゃんに代わっていた。
 暗いところに入れておくといいのよ、何でか知らないけど(と、いきなり梨をデスクの引き出しに突っ込んでいた)。
 あ、ルーブルに両替したくない? え、そっかー、明日帰っちゃうの、ざんねーん といったノリ。
 名をリューダЛюдаさんという。ノリノリの若者。英語もうまい、が、「買う」という英語を思いつかなくて「ちょ、っと待ってよ」とおもむろにホテルの電話で友だちに聞いている。「わかったー、sell、いーのそれで? はいはい」
 それは売る、では? とちょっと心の中で突っ込んだ。
 ニッポン人はおもしろい。すぐディジュルナヤの部屋に写真とりにくるけど、なんで?(カメラ持ってくればよかった、と思ってた私は思わずぎくりとする)それに、こんなところでイロイロ買物したりして。自分たちの方がイロイロいーモノ持ってるじゃない。ここに来て、日本のモノを売れば、儲かるんじゃない? そーよ、このホテルのここで売ればさあ、ねっ?

 と、きわめて率直なご意見、ありがとうございました。

 リューダさんに別れを告げ、部屋に。
 ぼーっとテレビみる。モンチッチのアニメやっていた。

コマーシャルも多い。時報は一分半もやっていて忍耐強い。(見ている私が)

 アメリカのテレビドラマはチェコかルーマニアか、東欧からの流用らしく、吹替がさらにちんぷんかんぷんだった。

 テレビをじゅうぶん楽しんだ後、ゆっくりとお風呂につかり、昨夜に比べれば早々と寝る。

 ※ 2014年6月1日 注)
 上記のルブリョフ美術館は、正式には
「スパソ・アンドロニコフ修道院(Спасо-Аандроников монастырь)(アンドレイ・ルブリョフ記念美術館)」という名称のようです。

← 1994年3月 ひとりモスクワ2
1994年3月 ひとりモスクワ4(終) →


この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?