見出し画像

1991年プチてっちゃんユーレイル旅27(終)

【まとめ】ついに友人とのお別れの日。一路Frankfurt am Mainへ。意外なことに初めてICEに乗る。自由席探しに苦労したり最新トイレに驚いたり。大都市での一泊を経て、翌朝には空の旅へ。

12月2日(月) 霧
駅までAが送ってくれるという事で、ホームにてお別れ。
お互いしゅんとしてる。
8時過ぎのBerlin行きに乗る。たいそう混んでいた。自由席車両でも2/3以上はResavationの札がついている。ようやく空いている席に食い込む。
日本人らしき、いかにもビジネスマーン!みたいな人達もいた。

「空いてる席見つけた!」

はじめに乗ったのがIC Beethoven.次がICE597 Lessing。
今まで、何かで読んでいたのかもだが、ユーレイルパスでICEに乗れるかどうか知らなかったのだが、とりあえず来てしまった列車に飛び乗ってから、やって来た車掌さんにパスを見せると、OKだって。ひと安心。

597でも席探しにひと苦労。後ろの方まで来た時、ドルーピーみたいな車掌さんに聞いたが「かいんぷらっつ」と言ったので、「かいんぷらーっつ?」と情けない声で繰り返したら、すぐ近くに座っていたおばあちゃんに話しかけてくれて、彼女のかばんを除けてもらい、そこに座るよう言ってくれた。
おばあちゃんも、どうぞー、って。いい人たちで良かった!

ICEはやっぱり窓は開かない。車両仕切りが透明のガラスで自動開閉、アナウンスはまずドイツ語で次に英語。

10:10過ぎ。なんと今更気づいたのだが、ルートがRhein川沿いではなく、私的に初ルートだった!
Hannover→Bottingen→Kassel→Wilhelmshohe→Fulda→Frankfurt am Main、そこから先は行かないけどManheim→Stuttgart→Ulm→Augusburg→Munchenだって。
高架になっている所もあって、下に牧場があったりする。牛もおもちゃみたい。そして木々は凍っている。霧のせいかも。なだらかな山々が霧の中に連なって、どこまでも続いている。
さっき、隣のおばあちゃんも言ってたけど、トンネルが多い。

通路にはロッカー、身障者用も含めてWC、電話、小会議室、案内所?、パソコンの案内所もある。キーボードの隅の方にウルムラート付きのoやaもある。
見た感じは新幹線ぽいのに、普通のホームに入り、時には踏切もある。日本のジョーシキから言うと、とても不思議な乗り物。

トイレが面白い。用を足した後にボタンを押すと、始めはじゃーっと水が溜まり、次に、がばっといきなり全部吸い込まれていく。で、また水が溜まる。

Fuldaを出てすぐまた森。長いトンネルを出た後は、あまり霧と氷は見られなくなった。

Frankfurt am Main着! 大きな川を渡り、高層ビルのそびえたつ都会へと入る。

ここまで来るとさすがに日本人も多い。帰りまぎわなので事前に予約してあったホテルは日本人受け入れ多いのか、フロントのおっさんも、ドモアリガトゴザイマスとコンニチワを連発している。

高層ビル建築中
古めかしい建物もまだ多い
ボンサイも人気なのだね
そしてデビッド・ハッセルホフも!

買物しまくる。あやしげなTax Freeが沢山。86年に泊まった宿Kaiserhof近くも通る。かばん屋に見覚えあった。

Indian Imbissで食べる。でっかい、よく煮えたチキンふた切れと、細長~い米のカレー。銀のカップに入ったラッシー。久々のせいか、辛いがすごく美味。

斜め前に、ちょいと学のありそうなおじさん、器用に手でナンにカレーをすくっては食べている。ついつい、左手どうしてるか気になってみてしまう。

ラッシーのカップは持つが、やはり直接左手を口につけることはしない様子。
おっさんの所作がまた、かっこいい!エレガントとも言える。でも最後に右手の指をしゃぶるのが、かわいい。

とてつもなくおなか一杯になって、また、街を歩き回る。
駅のトイレはまた、変わったやつ。一種の宗教物みたい。

ホテルに着。
明日の朝5時半にモーニングコールを、とお願いした。
荷物もまとめたし、後は寝るだけ!いやまだ18時15分では。
しかし妙に疲れが出て来た。Aの所ですっかり気がゆるんだのかも。

旅のラストセルフィイン部屋
土産いろいろ買ったよ

12月3日(火) 暗くて天気不明
5:30のモーニングコール前からうつらうつらしていた。
6:14 S15 Flughafen行に乗る。前に座っているインド系のおじさん、もしかして昨日のミスター・エレガンスでは?
向こうもちらちらこちらを見てる。昨日見つめ過ぎかな? 気まずい。

空港着。手荷物検査の所にいるおにいさん。

カーキっぽい緑色のベレーとズボン、クリーム色のシャツ、そして銃

ふとんたたきみたいなので身体検査。
駅で映画雑誌買って空港でコーヒー買って、小銭は募金箱に入れて、DMはすっからかんになった。

駅のホーム端に缶ビール、ミネラルウォーターの束、むいたジャガイモ(ゆでてある?)など、まとめて積んであった。上にはボードがかかっていて「IC 619」と。旅に出るんだね、キミたちも。

8:15過ぎ、Boeing737でドイツの地を離れる。移動式カーテンでビジネスとエコノミーとが分けられている。
ハムチーズサンド、コーヒー、木いちごヨーグルト、チョコいただく。

9:00頃には既になつかしい感のあるBrussel空港着。
空港内ですぐさま、愛想のよい日本人おねえさん(おばさん?)が、東京にお乗り継ぎの方ですかー?お名前は?こちらまっすぐ行かれまして……と。
ハラショー。
次の便まで余裕あるので、土産を買って、ビール(Beck's)をダラダラと飲む。色は淡く、飲み口が苦いがさっぱりして軽く、口の中に残らない。麦についた朝露みたいですねー、と心の中でほめる。

13:00頃 Sabena機でようやく飛び立つ。サービスもよく乗り心地もよく、日本人スタッフもいる。なので特記すべきことなし。

ヨーロッパの地は一面雲に覆われている。生クリームに包まれた巨大なボール。

多分夕飯。チキンカレー。炒めたご飯がポソポソしていて美味い。インドインビスでの米よりややずんぐり。
サラダはゆで卵、トマト、ポテサラ、オリーブ1個、レタス。
冷凍フルーツ賽の目切、チーズ1かけ、パン、バター、クラッカー
炭酸のミネラルウォーター

外はだんだん暗くなってきた。今から大急ぎで東洋の太陽を追いかける。白いちぎれ雲の下は澱んだコバルトブルー。低く垂れこめた雲のかたまりなのだろうか?
真下を見れば、イヴ・タンギーの絵のようだった。

Aは今頃、お仕事かな? 合間に鶴を折っているかも。

King Ralphを聞く(座席から画面が見えない)。吹き替えだったのたで音だけで楽しむ。

17:30、てことは日本は夜中の1時半、あと五時間半飛行機かあ!
ヒマなので映画をずっと最後まで聴いていた。音だけで想像するのもまた面白かった。

うだうだ眠れずにいるうちに、22時過ぎ(日本時間6時)。もうハバロフスク上空は通ったのかな?朝めしが来ようとしている。
時計を日本の時間に直す。しぶしぶ。
頭が重くて気分がいまひとつすぐれないが、とりあえず食べる。

CAのおねえさん、ひっつめ髪のためか目元が上がり気味。髪も化粧もきちんとしていてキビキビしているが、目が赤いのが気の毒。
じぶんはというと、髪ボサボサ、目赤くして、毛布かぶって冷たいパンをかじっている。遭難現場からの救出者みたいかも。

おしごとおつかれさまです

朝ごはんの後外を見る。少し明るい。やがて、ナマコのような島が雲の間からみえる。北陸の一部? 佐渡島? 日本の領土には違いなさそう。

やがて、日が雲を白く輝かせる頃には島が切れ切れに姿を見せ始めた。
美しい。どうして同じ雲でも日本の上にかかる雲はこう美しく見えるのだろうか。
はるかかなたに富士山が見える。

隣の(空席のまた隣の)人と少し話をする。P社の人で、ブラッセルに住んで6年、1年に一度ほど、帰国するんだって。こんな時期に旅行? ひとりで? ベルギーも回ったの? へー!(物好き…)という感じでびっくりしている。ベルギーの日本人関係は世間が狭いらしく、もしかしたらあちらに住んでいるMちゃんの従姉のことも知っているかも、と少し思ったり。

8:00過ぎ、ほとんど揺れることもなくスムーズに成田空港着。
コインロッカーがない!
仕方なく大荷物とともに二階のジュエルで朝めし。1,000円。

10時か10時半に柏から知り合いのおばさんが迎えに来てくれるというので、ベンチでぼーっとする。
近くでKoreaのビジネスマンらしきスーツ姿の男性たちが談笑している。驚いたのが、みな缶ビール飲みながらバナナ食べてること。ビールとバナナ、合わないだろ? 味覚の違いなのか……おいしいのか訊いてみたかったが勇気がありませんでした。

そう、今日は12月4日(水) 晴
なによりも大切なのは、元気でそして
やる気があること
前向いてること、かな?

(おしまい)

← 1991年プチてっちゃんユーレイル旅 26



この記事が参加している募集

#一度は行きたいあの場所

51,809件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?