見出し画像

願えば願うほど面白いように叶う

 本作品の全部または一部を無断で複製、転載、配信、送信、ホームページ上に転載する事を固く禁止します。
また、本作品の内容を無断で改変、改竄等を行うことも禁止します。
 本作品は有償、無償にかかわらず本作品を第三者に譲渡する事は出来ません。
 本作品は縦書きでレイアウトされています。
また、ご覧になる機器やアプリにより、文字、画像表示の差が認められることがあります。


初めまして、きなこ餅と申します。
この度はご購入下さり、誠に有難うございます。

私は、不思議な事に学生時代に願っていた事が、全て順番に叶っていきました。欲しい物も収入も結婚、出産、宝くじ当選、海外移住...等、
夢が叶う年齢も内容まで自分が願っていた通りにピッタリと叶いました。細かい出来事は数えきれない位に全ての願いが叶い、更に、願ってから叶うまでの期間も段々と早くなってきました。
最初はなぜ願いが叶っていくのか分かりませんでしたが、自分の言動と結果を注意深く観察するにつれ、願いが叶っていくプロセスやコツが段々と分かりました。

この本では、その不思議な能力を身につけた人生の経緯と、願いを叶える現実化の体験やそのコツを、エッセイ本にまとめました。
どうぞ宜しくお願い致します。
きなこ餅

【目次】

第一章  生い立ち          
第二章  モラルハラスメント
第三章  ご近所ママトラブル
第四章  運気を上げる 『厄介事対処法』
第五章  運気が好転!念願の海外移住!
第六章  人生を変える 『願いの叶え方』
第七章  願いが叶い過ぎて困った事          
第八章  目に見えないもの
第九章  願いを叶えやすくする『心の調整』
第十章  願いを叶えやすくする『身体の調整』
第十一章 願いを叶えやすくするカギは『潜在能力の開花』
第十二章 想いと言葉

第一章から第三章までは、私が体験してきた様々な出来事から導き出された、開運や願いを叶える為の重要な気付きや根拠をご紹介していきます。表面的なテクニックだけを伝えるのではなく具体的な実体験をご紹介する事で、大切な小さな事に気付いていく過程と実感をリアルに味わって頂き、ご自身の日常生活の中に埋もれてしまい見つけ辛くなっている気付きを見つけやすくし、少しでも皆様の願いを叶える為のお役に立てて頂ければと思います。

《第一章  生い立ち》

山あり谷あり波乱万丈な人生が始まったのは昭和五十年代の事。未熟児としてこの世に生を受けました。出産予定日より2ヶ月以上も早く産まれ、母はお医者様から
「この子は明日まで持ちませんね。一応保育器には入れておきますけどね。」
と言われ、母は絶望の底で一晩中祈り続けたそうです。
そんな母の祈りが通じたのか、私は沢山の管につながれ懸命に生き、なんとか退院の日を迎えたのです。
「四歳までに一度でも風邪をひかせたら駄目ですよ。」とお医者様に言われ、虚弱体質による命の危機がありながらも、無事に幼少期を過ごす事が出来ました。
 
やがて、中学生になり、これから始まる新しい生活にワクワクしました。中学一年生は、親友も出来、友達に囲まれ楽しかったです。
中学二年生になり、一番の親友が転校してしまい、仲良しの子達とはクラスが離れ離れになりました。それでも、新しい友達も出来、平和で楽しく充実した日々を送っていました。
夏までは…。
 
夏休みが終わり、学校が始まると状況は一変していました。
朝、いつものように「おはよう。」と友達に声をかけても、みんな目をそらし返事はありませんでした。気のせいかと思い、他の子にも挨拶をしましたが、誰一人挨拶が返ってくることはありませんでした。まるで、自分が道端の小さな石ころになったようでした。

信じられませんでした。状況が受け入れられませんでした。
次の日も挨拶をしましたがクラスの女子全員が明らかに私だけをガン無視している事がはっきりと分かりました。怒らせるような事をした覚えは全くありませんでした。いつも笑顔で人には親切にするように、自分がやられて嫌な事は他人には決してしない、という事を心掛けていたので、なぜ自分が無視されているのか、理由が分からず戸惑い悩みました。
仲良しだった友達グループに理由を聞こうと近付いても、彼女達はキャッキャッ笑いながら、蜘蛛の子を散らすように四方八方へと逃げていきました。そして、少し離れた所から私を見て内緒話をしており、心がギューっと締め付けられるように痛くなりました。
友達がいるのは当たり前ではないと、友達の有難みを生まれて初めて知りました。
 
体育の『好きな人とペアを組んで練習』が苦痛でした。
私だけいつも先生とペアを組んでいました。それはとても屈辱でした。
休み時間はいつも一人でした。他の子が楽しそうに喋っているのを見ると、自分の悪口を言っているんじゃないかと不安になりました。休み時間には本を読むようにして、
『私は他の子と話すより、読書をする方が好きなんだ。』 『私は寂しくない、大丈夫。』 と自分に必死に言い聞かせていました。しかし実際は本の内容なんて全く頭に入らず、周囲の声ばかりを気にしていました。
お弁当の時間は、班で机を向かい合ってつけるのですが、私の机の周りだけ広い隙間が空いていました。私とは誰も机すらつけたくなかったのでしょう・・・。
母がせっかく作ってくれたお弁当の味は、殆どしませんでした。
 
そんな毎日が続き、私は深く傷付き疲れていきました。
親にはたださえ苦労や迷惑を掛けているので、話せませんでした。人並み以上に出来の良い兄弟がおり、私は親を悩ませることも多かった為、これ以上、親の困った顔や悲しむ顔を見たくありませんでした。

私は悩み続けました。クラスの女子全員から無視をされている状況で、誰も私の味方はいませんでした。みんな目すら合わせてくれませんでした。
学校で誰とも口をきかない日が何週間も続き、ただ『誰かと普通に喋りたい。』 そう願うようになりました。誰かと普通に喋る事が出来るのは、決して当たり前ではなかったのだと気付きました。

そんなある日の放課後、私は委員会活動で下校が遅れていました。
教室へ行くと、元仲良しだった子が一人だけでいて、帰る準備をしていました。いつも無視されているので、また無視されるだろうと諦めていました。すると、彼女は周りに誰もいない事を確かめた後に、
「実はね…。」と私が何故イジメられているのか詳しい理由を話してくれました。

話によると、クラスの女子の中で声が大きくリーダー的な子が、
「きなこ餅って、裏でみんなの悪口言っているから無視しよう!」
と言い、皆はそれに従っているとの事。教えてくれた彼女は、
「勿論みんな、きなこ餅ちゃんが悪口言ってるなんて信じてないよ。でもね、一緒になって無視しないと次は私達が無視されるから…。ごめんね。だからみんながいる時は話しかけられないの。」と。
申し訳なさそうに言う彼女に対して、怒りはありませんでした。彼女の気持ちは理解出来るから。誰だっていじめられたくない。話してくれた事が、本当に有難く感じました。『誰かと普通に喋れる。』それだけの事が私にとってはどれほど嬉しかったか。
 
しかし、リーダー格の子と取り巻き、その他の女子からのイジメは止む事はなく、誰かが私の姿の意地悪な落書きを教室の壁にしたり、プリントを渡されなかったり、無視以外にも悲しく心がえぐれるような事が沢山続きました。
 
夜、眠るのが怖くなりました。眠ったらすぐに朝になってしまうからです。少しでも朝が来るのを遅らす為に、寝ないように本を読みました。眠くなると、自分をつねったり、叩いたり、舌を噛んでいました。朝、目が覚める度に絶望感で一杯でした。親は当たり前のように「学校へ行きなさい。」と言います。
やがて、朝なると腹痛や微熱が出始め、中学校を頻繁に休むようになりました。でも、風邪じゃないのは自分が一番よく分かっていました。

母は心配し学校を休ませ、病院へ連れて行きます。私は風邪ではないのがバレて学校へ行かされるんじゃないかと、とても緊張し怖かったです。
しかし、かかりつけのおじいちゃんのお医者様は、毎回、「風邪なので、ゆっくり休ませてあげましょう。」と、母に言って下さいました。
恐らくイジメによる不登校に感づいていたのでしょう。今でもお医者様には感謝しています。

やがて、家で溜め息ばかりの私の様子に、母が「学校で何かあったの?」と聞いてきました。私は「何もないよ。大丈夫だよ。」と笑顔で答えるつもりでしたが、言葉が詰まり、耐え切れずに大号泣してしまいました。
 
母は私の話の一部始終を聞き、後日、中学校で先生と話をしてくれました。
先生は放課後にイジメの中心人物と取り巻きに、私に対するイジメが事実なのか話を聞きましたが、彼女達は
「それは、きなこ餅さんが勘違いしているだけで~す。私達は何もしていませ~ん。」と話し、早く問題を解決させたい先生も彼女たちの話を信じ、
私は先生から
「勘違いだろうから、あまり気にしないように。気にし過ぎだからそう感じる。」と諭されました。イジメた彼女達は先生の後ろで私の方を見ながらニヤニヤしていました。
 
家族は、「学校は勉強をしに行く所で友達を作る場所ではない、と割り切りなさい。」「卒業までの我慢だから。」と言いました。私はその言葉を呪文のように心の中で繰り返し、学校での時間を何とか過ごしました。《学校には絶対に行かなければいけない》という呪縛に苦しみました。
腹痛と微熱で休む日も以前よりも増えてきました。

一日休むと、次の日は学校へ行くのがもっと怖くなりました。
二日休むと、恐怖で一杯でした。
三日休むと、もう自分の人生は終わったと感じました。
 
家族は、「高校に入ったらきっと良い事が待ってるから。」とよく言ってくれました。
しかし、その日一日を過ごすのがやっとな私は、未来を夢見る事も、そこに希望を見出す事も出来ませんでした。良い事なんて自分には永遠に来ないと思えました。

何度もマンション最上階の非常階段から下を眺めました。
『実名入りの遺書を書けば仕返しが出来るだろうか…。』
『どうしたら楽になれるか…。』
そればかり考えていました。

そして、死を意識し始めた頃から身の周りで不思議な霊現象が起きるようになりました。
金縛りは毎日で、老若男女様々な声や、他の人には見えない人をよく見かけました。
最初はストレスのせい、気のせいだと思っていましたが、とてもリアルで詳細でした。
テレビでニュースが流れると、そのニュースに関わる匂いがしました。例えば、焦げ臭さや血の匂い、生臭さ、お線香の香り、香水、タバコの匂い、などです。
私の家の一部があの世へ行く通り道になっている事も知りました。怖がりの自分に霊感がある事が嫌で、この霊現象にもとても悩みました。
やがて、私が常に死を意識していた為、その世界と波長が合ってしまっているのだと気付き、ネガティブな気持ちや恐怖、不安、悲しみ、混乱、怒りで心が一杯になっていると特に霊現象にあいやすかった事が分かりました。
その後、色々と試し、チャンネルを合わせないように波長を合わせない術を身に付けました。
 
精神的に息も絶え絶えでやっと中学を卒業し、同じ中学の子が殆どいない離れた高校へ無事に入学しました。卒業出来た事、そして高校へ入学出来た事を、心の底から、ご先祖様や神様に感謝しました。

いつも暗い顔をし下を向いていた自分にサヨナラし、自分の悪い所は全部直し、笑顔の自分に生まれ変わろうと強く強く誓いました。
私は中学時代にイジメを経験し、友達がいる事、普通に喋れる事が決して当たり前ではなく、どれだけ有り難い事なのか思い知りました。辛いあの経験がなければ、気付かなかったでしょう。
とても辛かったですが、損だけではなく学び得た事もあったと感じました。
 
やがて、高校では新しい友達に恵まれました。みんな優しく、人の痛みが分かる本当に思いやりがあって明るい子達です。私は幸せでした。しかし、心底信用するのに時間が掛かりました。
高校で新しく出来た友達を心から信用し、中学時代のようにある日突然みんなから無視され、また裏切られたら、と思うと怖かったのです。
友達を大好きになればなる程、怖くなりました。『この子達は信じてもいいんだ。』と心から信用するのに一年程かかりました。高校の三年間は中学時代を取り戻すかのように毎日がキラキラ輝き、宝物のような楽しく充実した日々を送りました。
 
不思議な事ですが、中学時代にかつて私をイジメていた中心人物の子達が、その後それぞれ、高校でイジメられていたり、辛い状況にあった事を人づてに知りました。何人もが、自分達が私にやってきた事がそのまま他人からされていたり、不幸な出来事にあっていました。
最初はただの偶然かと思っていましたが、何人も続いた為、世の中には目には見えない何か法則があるのではないか、自分がやった悪行はブーメランのように返ってくるのではないかと気付き始めました。この頃は、まだ半信半疑でしたが。

ここから先は

24,990字 / 15画像

¥ 700

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?