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【休職体験】1回目は過労による適応障害

2016年から5年間の間に、3回の休職と復職を経験しました。全6回の記事となりますが、休職体験を紹介させていただきます。

僕が休職する時も、休職者の体験談で救われました

  • 周りにツラい状況をわかってくれる人がいない

  • 今の自分の状況がわからない

  • この先どうなるかわからない

そんな不安な気持ちを少し和らげてくれたのが経験者の記事でした。

僕の休職経験も誰かの心を少しでも癒やして、寄り添うものになれば良いなと思って綴っていきます。

10年目の試練

1回目の休職は勤務して10年目の事です。
今思えば、当時の働き方を続けていれば、遅かれ早かれ、体を壊してただろうなと思っています。

30代が早いのか遅いのか分かりませんが、30代でメンタル不調からの休職を経験しておいてよかったかなと思っています。
(これは今は回復しているから言えることで、不調の最中ではこんなこと考えられていないと思ってます。なので不調の人はメンタル不調になって良かったなんてことは今は考えないでいいです。)

どんな休職経験だったかと言うと、その原因は『過労』。無理のしすぎです。

「まだできるだろう。まだできるだろう」と、自分を痛め続けてきました。その結果、2016年8月から2017年2月まで休職。
復職に向けては、心療内科に通院しながら自宅療養の生活です。

それまでの働き方

休職になった時期のことをお話しする前に、それまでの働き方についても少し述べさせていただきますね。

というのも、10年目に急にメンタルがやれたかというと、そうとは思っていないんです。

メンタル不調になる働き方をしていたなって…。
それまでの働き方も話しておいた方が、休職直前のことも伝わるはずですので、時間を戻してお話しさせていただきます。

2007年に今の会社に入社しました。とある電機メーカーで、ソフトウェアエンジニアをしています。業務用機器や、民生機器を開発する仕事です。

入社当初から、追い込む環境でした。周りの先輩・同僚は誰もが一流大学出身。僕は偏差値50くらいの大学。負けたくないという思いでした。

エンジニアの人は、比較的真面目な人が多いと思っているので、周りが出来る人達だと、何とか追いつこうとするのは良くあると思います。(もちろん他の業種でも真面目な人は多いと思いますが)

その気持ちから出てくる働き方は

  • 会社から帰ってきても家やカフェで勉強

  • 何かトラブルとかが発生したら、「僕が何かやってしまったか」と責任感から行動

  • 発表や資料作成なども、指摘されないように何度も練習や見返しする

という感じ。

エンジニアという仕事の性質から、自分の書いたソフトウェアに不具合が見つかる事も多々あります。タイミングが悪いと冷や汗、心臓バクバクです。

不具合を解消しないと、他チームに大きな迷惑がかかるとか、リリースの約束を守れないことになるとか…。最悪の場合だと、製造ラインの工場を止めることになるから、徹夜で不具合修正…なんてこともありました。

他人と比べることはできないと思いますが、そこそこ大変な仕事だったと思います。僕自身、真面目な性格でもあるので、できることを増やしたいし、日々努力して効率よく仕事したいと思っていました。

頭の回転が遅いとか、記憶力が低いとか、コンプレックスだったんだと思います。自信もなかったんですね。

けど、真面目に仕事に取り組んでいる姿勢で、周りからの信頼は得られていたと感じています。順調にステップアップしていき、チームリーダーも入社3年目から任されました。

休職直前の働き方

さて、休職直前の働き方です。

この時は2つの仕事をしていました。

  1. スマホの開発プロジェクト

  2. 新規事業の提案

開発プロジェクトの業務状況

メイン業務は1つ目の方ですね。
休職したのは、2016年8月。プロジェクトに参画したのは、1月のこと。
4人チームのリーダーが、僕に与えらた役割です。

スケジュールがタイトだから、プロジェクトの急速立上げが必要だと言われてアサインされました。

かなりの激務。いや、異常なほどだったかなと…。

だって、通常リリースまで2,3年かかるのに、それを1年でリリースする日程が組まれてるわけですからね。

更に、新規開発用途も多い、チャレンジングなプロジェクトでもあったので、周りのメンバーの空気もピリピリしてました。

ちなみに、このプロジェクトは僕が倒れた後、リリース日程が変更され、2年遅れでリリースされました。結局3年かかった開発を、1年でやろうとしてたわけですから、そりゃ無理がありますよね…。

新規事業提案の業務状況

新規事業提案はやりたくて、やり始めたことではないんですよ(笑)

もともとは、「若手で組織を活性化するためにはどうしたらいいか考えて」という、超ザックリなテーマでお題を投げられました。

お題がザックリなので、コレッといったアイディアも思い浮かばいわけです。その時、事業部が主催する、「新規事業アイディアコンテスト」が開催されたので、上司から「ちょうどいいし、応募してみたら?」っていう提案。
曖昧な議論を続けるより、形として残る方がいいかなと思って、応募したわけです。

この時の若手メンバーは5人。僕はリーダーとして、引っ張っていく立場でした。(僕がリーダーになる経緯も、色々ありましたが、省略します)

で、応募してみた結果、なんと10案件中グランプリを受賞してしまったわけです。入社してから表彰されることは初めてだったので、素直に嬉しかったです。

けど、嬉しい反面グランプリ受賞者は、めでたく事業化に向けて、詳細を検討し、事業部長にプレゼンできるという副賞がもらえます(笑)

プロジェクトの業務で忙しすぎるのに、これもか…。
完全にキャパオーバーですよね。

プロジェクトも新規事業も両方やりたい

無理なことは頭ではわかっているつもりでも、どちらも自分にとっては良い経験ですし、成果を上げたいって気持ちがあったわけです。

それに、一度やり始めたことを途中で投げ出すのが嫌だったんですね。

なので、その時の働き方は

  • 平日の日中はプロジェクト業務

  • 夕方くらいから、新規事業提案

  • 夜から再度プロジェクト業務(なので帰りは終電)

  • 土日どちらかは休日出勤

  • ピーク時は休日出勤は土日どちかしかできないので、出勤できない日は家からネット接続して仕事

完全にアウトな働き方ですよね(笑)
もちろん、会社がこれを知っていれば止められることはわかっていたので、コッソリやっていました。

ゴールデンウィーク明けの急な体調不良

さすがに体に出てきました。それがゴールデンウィーク明けです。
GW前からも、しんどさはありましたが、気力で持ちこたえてたんでしょうね。

GW明けは、体が起き上がらず、気力もない。メンタルやられた経験がある人はわかるとは思うんですが、エネルギー切れって感じです。

結局、体調はしばらく戻らず、1週間休みました。
正常なメンタルの人から見れば、休んで羨ましいって思うかもしれませんが、休んでる時も仕事の事を考えてしまうし、毎朝、「今日は行けるのか!?やっぱり行けない…。明日は行けるように頑張ろう」っていう葛藤をしてるのがツラかったです。毎朝、会社に連絡するのもツラいんですよ。

この一週間休でる僕の状態を見かねて、妻から「心療内科受診しよう」って提案されました。

『あぁ、行きたくないなぁ。うつ病とか診断されるのかなぁ』とか、『心療内科の受診経験があるっていうのも嫌だなぁ』という気分はありました。ですけど、妻をこれ以上心配させるわけにもいかず、初受診。

病院に薬を出されただけですね。
もっと話を聞いてくれるのかなと思っていったんですけど、軽く現状聞いて、薬飲みつつ様子見ましょうっていう感じ。
もっと丁寧に状況とかヒアリングしてくれるのかなと思ってたんですが、そうでもなかったですね(笑)

悪化する体の異常。とどめは夏休み後

7月になると、更に体に異常が出てきました。湿度が高い梅雨や、寒暖差が激しいのもあったんですが(この時はこんなに気候が体調に影響を与えると思ってもみませんでした)、朝起きると、体は冷たいのに、首には大量の冷や汗。体が重い症状も頻度が増してくる…。この時で、少しずつ休み取りつつ、力を振り絞って業務をこなしていました。

とどめを刺したのは、夏休み。

休み明けなんですけど、この時は全然体が動かなくなりました。起きられないし、会社に行くのも不安、行こうと思って準備を進めると吐き気。吐き気まで来たときには、体が無理なんだなっていうことを認めました。

結局10日間休み、それでも何とかしなきゃと思って出社。死んだ目をしてたと思います。

出社するやいなや、課長から「ちょっと会議室で話をしようか」と呼び出し。『何言われるんだろう。休みすぎだろう』とか言われるのかなって…。

会議室に入って最初の一言は「よく来てくれた。このまま来れなくなったらどうしようか。心配してたんだ」
続いて、「篠崎はまず休んでくれ。それでしっかり体を休めて、そこからまた力を発揮してほしい。そして帰ってくる場所は必ずあるし、開けておくから、心配せずに休養をとって欲しい。プロジェクトも問題ないから、そこも心配しなくていい。」
その話を聞きながら、もう涙が止まらなくて、『会社で泣くなんて…涙こらえろ』って思っても、これきれず涙。会社で初めての涙でした。

プロジェクトを続けられない情けなさと、やっと休めるっていう安心感と、課長の温かい言葉と、そういうものが入り乱れて、涙が抑えきれずに上司の前で号泣していました。

涙がこらえられないのも、気持ちが崩壊してるんだろうな、とっくに限界きてたんだろうなと思って、休職に入ることにしました。

長くなりましたが、これが一回目の休職に入るまでの出来事です。

この後、休職中の過ごし方をお話ししていきます。 


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