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楽なのが幸せとは限らない

「会いたかったわ~」
画面の向こうから元気そうな声が聞こえます。

先日、リハビリに励む母の病院に面会に行きました。面会と言っても、画面越しのオンライン面会ですが、とても喜んでくれました。やはり顔を合わせて話をするのは大切だなぁと思いました。

わずかな時間ではありますが、母と話をしていて、いろいろと思うところがありましたので、ちょっと振り返ってみようと思います。

言葉に覇気が感じられる

母はここ1~2年、仕事を辞めて生活に張り合いが無くなったせいか、口数が減り、物忘れが増えていました。私が毎日昼休みに電話をしていたときも、会話の反応が以前に比べて明らかに鈍っていました。

しかし、リハビリ病院に入院して、2週間に1回の面会の時に、オンラインながら声をかけると、会話の反応が格段に速くなっていました。

手と足が動かない状態にも関わらず、心折れることなく、文字通り懸命にリハビリに励んでいる母の姿に、励ましに行ったはずの私たち家族は、逆に、大きな大きな勇気と励みを、母からもらったのでした。

仕事を辞めたらアカン、という予言

約40年、フルタイムで看護師の仕事に打ち込んできた母。深夜勤務も多く、今振り返ると本当に激務だったのではないかと思います。

そんな母は、働き盛りの頃から、子どもである私たちに事あるごとにカラカラと笑いながら予言していました。

「アタシは仕事辞めたらボケてしまう気がする」

母にとっての親(私、カツオにとっては祖父母)の介護のため、フルタイムの看護師の仕事を退職しました。そして、親の旅立ちを看取った後、パートタイムの看護師の仕事を続け、70代手前まで生き生きと働いてきました。

先に退職した父は、家で一人待つのが辛かったのでしょうか、母が仕事を辞めてゆっくりしてほしいという思いが強くなってきたようでした。

上記の母の「予言」が頭に残って離れない私は、母が仕事を辞めないようにした方が良いと父の説得を試みていました。
しかし、二人でゆっくり過ごしたいという父の思いは私の想像を超えて強く、母は古希を迎えるころに仕事を引退したのでした。

退職して、家でのんびり過ごし始めた母。これと言った趣味が無い母は、日々の家事以外は特に出かけることもなく、一気に張り合いが無くなったからなのか、急に老けたように見えました。

「今から新しい趣味を見つけるのも億劫でね」
母の言葉には、元気がなく、明らかに老いを感じている様子でした。

図らずも、若い頃の母の「予言」は当たってしまったのでした。
物忘れが多く、父は本気で心配するようになりました。

そもそも、仕事を辞めなければ、こんな風にはならなかったと思う、という話を父にすると、ケンカになってしまいました。

「いまさらそんなこと言うな!」と父。
「前から仕事辞めない方が良いって何度も言ってたやろ!」と私。

仕事を引退したら、旅行したり、のんびりしたり、楽をさせてあげたい。
それは父も私も同じ思いでした。何より、母が悲しみます。
「迷惑をかけたくない」というのが口ぐせの母でしたから、自分が原因で家族がケンカをするというのは、最も避けたかったはず。
幸せになるために引退を選んだことで、思いもよらない残念な方向に進みつつありました。

晴天の霹靂は怪我の功名なのか

しかし、私たち家族にとって、青天の霹靂とも言えることが起こります。
以前のnoteに書いた通り、母は3月に大怪我をして入院しました。

階段から落ちて、頸椎を手術しなければならないほどの激痛。
痛い、痛いと叫んでいたと言います。
本当に、本当に苦しかったと思います。

その耐え難い痛みに耐え抜いて、手術を乗り越え、回復につとめ、動かない手足をリハビリで懸命に動かそうとする母。
長い間フルタイムで働きながら、嫁姑問題と並行して子育てを両立し、文字通り一生懸命生きてきた母。
苦労も多く、何も悪いことをしていない人なのに。
ただ、懸命に生きてきた人なのに。
なぜ神様は、私の大切な母をこんな目に合わせるのか。
神をも恨む思いが沸き立ち、怪我をした時期を振り返られるようになるまでに、かなりの時間を要しました。

しかし、もしかしたら。
怪我をしなければ、物忘れは認知症に進行して、もう家族が誰だかわからなくなっていたかもしれません。
もしかしたら、怪我のおかげで、母は覇気を取り戻せたではないか、と思えてきました。

リハビリに励んで、再び自由に動けるようになりたい。
立ち向かうべきミッションを得た母には、明らかに覇気が戻ってきました。

人には生きがいが必要といいますが、神様は想像を超えた、とんでもなく厳しすぎる与え方をするものだと思います。
ただ、一つ言えることは、「元の生活に必ず戻るんだ」という母の強い思いが、脳を若返らせていることは間違いないということです。
   
怪我の功名と言えるまでには、母自身も、家族である私たちも、まだ心の整理はついていません。しかし、何かしら、母の怪我に前向きなことを見つけるとしたら、母の生きる力が蘇ったことが救いです。

それは何より、母が生き様をもって私たちに教えてくれていることなのだと思います。

日々苦しいことがあっても、めげないで。
楽なのが幸せとは限らない。

きっと母は、そんな難しいことを考えずに、「とにかく家族と一緒に暮らせるように、身体を動かせるようになるんだ」という一心で、リハビリにひたむきに取り組んでいるのだろうと思います。

人間万事塞翁が馬。
苦も楽になり、楽も苦になるということを学んだ、母との面会でした。

今回もお読みいただき、ありがとうございました。

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