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ゲームをしていない時間を恐れて、スマホに手を伸ばす~浪費すべき時間について考える~

ゲームに支配されてるなぁと、思いながらも今日もオートで動くキャラクター達を見つめ、ため息をつく。最近、そんな日々が続いている。


いやぁ、もうどれだけの時間を費やしただろうと考えたところで、全く思い出せない。それほどの時間を、ゲームと共に過ごしてきた。
4歳年上の兄を持つ私は、物心がつく頃には家にゲーム機あった。
うん? あれは兄が買ってもらったものと思い込んでいたけれど、父親も喫茶店でスペースインベーダーをしていただのと話しているのを聞いたことがあるから、もしかすると父親が自分用に買ったものなのだろうか……
そんなことも知らないけれど、とにかく、ゲームが近くにあるのが当たり前に育ってきた。

初号機はもちろん、あの白と深い赤で彩られたファミリーコンピューターだ。『くにおくん』(運動会やアイスホッケー好きだったな)や『ドラゴンクエスト』(確かⅢ)を兄に習って、片っ端から家にあるソフトに手を付けていた。今あれがあったら高く売れ……と、それはやめておこう。とにかくファミリーコンピューターと聞くと楽しい子供時代が思い出される。

その後も、スーパーファミコン、プレステ、プレステⅡぐらいは家にあって、誕生日には良くソフトを買ってもらった。3人兄弟の普通の家庭に育った私は誕生日とクリスマス以外にプレゼントをもらう機会はなかった。

伝えておきたいのは、ゲームは全くうまくないということ。
超が付くほどの不器用で、特にリアルに忠実なスポーツ系のゲームは苦手(昔は必殺技があって、力わざで楽しめた)で、全く興味もない。
高校や大学の頃に流行っていたウイイレなるサッカーゲームをやらされようものなら皆に絶句され、ウイイレ大会が行われようものならカモにされるのが目に見えているから、皆が楽しそうにしているのを横目に見ながら、絶対に参加しなかった。

ゲームの中でもRPGに分類される、物語のあるものしか興味がない。
そして、もちろん、細かな技術を要しないものであることは必須だ。


幼い頃は本を読むのが苦手だったから、テレビかゲームでしか物語に触れることはなかった。アニメは毎週その時間が来るのを待てるタイプじゃないから、何度もすっ飛ばして、続きが分からず飽きてしまうこともしばしばだった。

その点、ゲームは自分のペースで進められる。
不器用でもRPGなら、ひたすらレベル上げをしていても誰に迷惑をかけることもない。次の街に行くまでに○○レベルまで上げるぞ! と、勢い込んで同じところをぐるぐる回っていても全く苦痛ではなかった。ずっとお城や街の周りを回って時間を費やしていた。

子供だったから、良かったのだけれど、今でも同じループに引っかかってしまっている。

今はもっぱらスマホゲームに移行して、無課金勢として地道に頑張る日々が続いている。
えっ、頑張る……? いや、違うな。今は一度クリアしたフィールドはオートで動いてくれることも多いから、ただ、画面を見つめているだけのことが多い。結局そこで得たアイテムをキャラクターに費やしてレベルアップさせ、新たな物語へと進んでいく。

一緒なのだ。
進化しているのはただただゲームの方で、自分は子供の頃と一緒で、全く成長していない。

そうは思うのだけれど、一度沼にハマってしまうと抜け出すのに苦労する。数多あるゲームの中から、ダウンロードとアンインストールを繰り返し、『黒猫のウィズ』に『ケイオスリングス』『アークナイツ』『リボルバーズエイト』それに最近は『白夜極光』と、自分にとって難易度のちょうどよいアプリを見つける。やめては新たなゲームに手を染めてを繰り返す。
中には飽きることもあったけれど、どちらかと言うと新しいゲームにはまってから前のゲームのアンインストールをすることが多いから、ほぼ途切れることはない。

一体今まで、何時間を費やしてきたのだろう?
そんなことはずっと前から気付いていたはずなのだ。でもやめられない……。ずっと目を背け続けて来た。

でも、なぜだろうと不思議に思うこともあるのだ。
仕事も遅刻なく毎日出勤しているし、本を読む時間だって確保している。カメラやnoteの更新もする、そんなあれやこれやと、やりたいことがある中で、どうしてもゲームを続けなければいけないのだろうかと。自分に問いかけてみた。
すると、面白くてやっているのも確かにあるのだけれど、それだけじゃないと、心の声がする。

だって、ゲームをやめてしまえば何をすればよいのか分からないのだ。

そう、ここまで毎日のようにゲームをし続けて来た私は、怖いのだ。
電車の待ち時間で、電車の中で、休日の朝布団の中で、たまにカフェに入って、毎日のように触れて来たゲームがなくなれば自分は何をすればよいのだろうと。海外で過ごしていた時間でさえ、ゲームは手元にあったのに……。

でももし、スマホの中にゲームが入ってなければ、私はゲームをしているのだろうか?
テレビも見なくなったから、ゲーム機を引っ張り出してまでゲームをすることもなければ、きっとそれほどしたい訳でもないのだ。

ただ、手軽にできるからしているだけ。

そうなのだ。きっと悪いことではないし、やはり物語の世界に身を置けることもメリットとと言えばそうなのだ。苦しい時に無心になれる場所であることも確かだから。
でも残念ながら、小説や映画をみたあと程に物語が頭の中に残っているのかと言えば……全くと言っていいほど、過去していたゲームのストーリーを思い出すことが出来ない。

それに最近、5時起きでスグにnoteのネタを書き始めるようになってからは、朝のゲーム時間が自然となくなったのだけれど、それでもゲームをしたい衝動に駆られるわけではないのだ。帰りの電車で手持ち無沙汰でついついゲームアプリを開いてしまう程度だ。

あくまで手持ち無沙汰だから、ゲームをしてしまっていた。


無料であることも憎かった。憎すぎる。他に時間を費やそうとすると、どうしてもお金をかけてしまうのだけれど……
でも最近感じるのだ、お金も大切だけれど、それ以上に時間も大切だろう? と。以前にも今を大切にすることを最近第一優先にしていことを書いたのだけれど、最近ますますそのことを感じる節が自分の中にあって、明日もし自分がこの世から姿を消すことを分かっていれば、ゲームの世界に飛び込むだろうか? と考えると、きっとそんなことはない。

そう考えるとたどり着く答えはスッと一つに絞られた。
世の中には素晴らしいゲームがたくさんあり、日本が発信し続けているコンテンツの一つではあるから、全く否定する気はない。
でも、今じゃない。いつかまたゲームをしたいと思う時が来るかもしれないけれど、その時はまた、始めればいいことだ。

今しばらくスマホと言う名のコントローラーを仕舞おうと決意し、『アンインストール』の文字にそっと指を置く。

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