奉呈文冒頭キャプチャー

縄文人の宇宙観???

「ホツマツタヱ」「ヲシテ文字」との出会い

約3年半前のある日のこと。

よく分からないまま、誘われるまま参加したのが「ホツマツタヱ」という古代文献についての勉強会でした。

チョット狭い階段を上がっていき、会場に入ると女性たちの賑やかな話声が。

参加者は30人くらいだったでしょうか。

僕以外全員女性で、男性は講師であるホツマツタヱ研究家の いときょう先生と僕だけ。

こういう歴史に関する勉強会って男性が多いような印象を持っていた僕は、まずそこで驚いたものです(笑)


初めてなので、テキストを購入して、

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勉強会が始まりました。

先生のお話を聞いていると、所々で

「ん?」「えっ?」「う~ん、、、」
と驚いたり、疑問に思ったり、戸惑ったり(笑)


「ホツマツタヱ」について予備知識がなかったこともありますが、言葉自体は知っているのに、関連性が見いだせなかったことも。

「えっ、ここでその言葉が出てくるの???」
という感じで。

それが「縄文」とか「縄文人」という言葉です。

聞いている感じだと、古事記や日本書紀の神代(神様の時代)のお話みたいなのは、なんとなく分かりました(古事記、日本書紀が難しくて挫折しましたが 笑)

でも、その神代(神様の時代)と「縄文」「縄文人」という言葉が僕のアタマの中では繋がらなかったのです。

分かります?この「???」な感じ(笑)


もっと驚いたのが「ホツマツタヱ」という文献がヲシテ文字という古代文字(神代文字)というもので書かれているということ。

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(※ホツマ出版株式会社で販売されている「ヲシテ文字表」です。)


「縄文?縄文って竪穴式住居とか縄文土器とか貝塚とか、毛皮まとって生きていた時代のことだよね?」

とアタマの中に「???」の嵐が(笑)

しかも、「日本には漢字以前に文字がなかったのでは?」と、確か学校でそう習ったよなあという言葉がアタマをよぎります。

「???」

終わってみたら、あまりの情報密度の濃さにアタマの中が真っ白となっていました(笑)

こんな感じで僕の「ホツマツタヱ」との出会いは、振り返ってみると、笑っちゃうくらいの驚きと、疑問と、戸惑いの時間だったのです。

「ホツマツタヱ」は縄文時代の歴史書

後から分かったことなのですが、ホツマツタヱは宇宙創成、天地開闢、神代の時代から、景行天皇とその皇子 日本武尊(※ホツマツタヱではヤマトタケ)までの物語をまとめたものです(時代区分としては、縄文時代後期あたりから弥生時代まで)。

古事記、日本書紀と重なる部分が多いので、比較をしてみると新たな気づきをたくさん得る事ができます。

下記は「ホツマツタヱ」の冒頭に出てくる「奉呈文(ほうていぶん)」と呼ばれるものの一部です。

スクリーンショット-(4)

ホツマツタヱをのぶ
【本文】
あめつちの ひらけしときに
フタカミの トホコにをさむ
タミまして アマテルカミの
みカガミを たしてミグサの
みタカラを さづくみまこの
トミタミも みやすければや
トミがをや しいるいさめの

【訳】
天地(あめつち)の ひらけし時に
ふたかみ(イサナギ、イサナミ)の ト矛に治む
タミ増して アマテルカミ(天照大神)の
御カガミを 足(た)して三種(みぐさ)の
御宝(みたから)を 授く皇孫(ニニキネ)の
トミタミ(臣・民)も 身安ければや
トミが祖(おや) 強(し)いる諫め(いさめ)の

【引用:やさしいホツマツタヱ/いときょう著 P28】


「ホツマツタヱとは、このような書物ですよ」という紹介文のようなものですね。

実際はもっと長いのですが、ここでは冒頭をチョットだけ。

「ホツマツタヱってこんな感じですよ」というのをイメージしていただけたらいいかなと。

分量的には、全40アヤ(章)、10700行余りとかなりボリュームもあります。

しかも、「長歌体」で全部五七調で書かれているんですよね。

「俳句(五七五)」や「短歌、和歌(五七五七七)」などで使われる五七調です。

「短歌」は聞いたことある人が多いと思いますが、「長歌」というのはあまり耳慣れない言葉かもしれません。

「長歌」は、五七調を三回以上繰り返して最後に七を加えたもので(五七五七五七、、、七)、平安時代あたりから徐々に衰退していったようです。

「ホツマツタヱ」は、三回以上どころか全文(10700行余り)長歌ですから驚きですね(しかも神代文字で)

縄文人の宇宙観と精神性

この日の勉強会で一番印象に残ったこと。

それは「縄文人の宇宙観と精神性」というものです。

縄文の人たちは、ビッグバンという宇宙の始まりから、この世界の成り立ち、輪廻転生という概念を持ち、ホツマツタヱで記されているヲシテ文字はその宇宙観や精神性を反映しているということ。

あまりの壮大な話に思考が追いつかず、終わってみたらアタマが真っ白になってしまったのですが、不思議とこの日に聞いた話を疑うということはなかったんですよね。


また、宇宙観・精神性としても奥深いのですが、古事記・日本書紀で神様と呼ばれていた方々が、ホツマツタヱでは実在した人として壮大な物語を繰り広げます。

「えっ?神様が実在した人?」

と驚く人もいるとは思いますが(僕も最初は驚きました 笑)、

「そもそも神とは?そもそも人とは?」という問いかけができるのもホツマツタヱの奥深さです。


ホツマツタヱの魅力って本当にたくさんあって、例えば、

・はるか昔、僕たちの祖先である縄文の人たちの壮大な宇宙観と精神性とは?
・その宇宙観と精神性をどのように語り継ぎ、育んできたのか?
・様々な困難から学び、語り継がれてきた教訓とは?
・神社と御祭神との深い関わりや謎とは?
・古代東北地方にあり、政(まつりごと)の重要な一角を担っていた「ヒタカミ(日高見)」の国とは?
・古事記・日本書紀では分からなかった瀬織津姫の存在と天照大御神(※ホツマではアマテルカミ)の関係とは?
・天孫降臨と水田開発の関係とは?

などなど(ここに挙げた七つは、ほんの一部です)

「ホツマツタヱ」は日本や日本人の精神性を深く学ぶことができます。

これから少しずつ記事に書いていきますね。


僕はホツマツタヱに出会ってから、歴史には本当にたくさんの見方と解釈があることを知りました。

「どの書物が正しい、どの書物が間違っている」
という論争があることも。


僕自身は、どの書物も「歴史の全体性」の流れの中の表れとして記されたもので、一つ一つの書物は「歴史の全体性」を知る貴重なピース(断片)だと思っています。

「ホツマツタヱ」を学んでいても、「古事記」や「日本書紀」を否定するつもりはありませんし、逆に「ホツマツタヱ」に出会ってから、あんなに苦手だった「古事記」や「日本書紀」にも目を通すようになりました。

言葉(文字)で表せることはかなり限りがあるので、視点は多い方がいいからです。

歴史という真実

「歴史」という真実は、一つの書物では語りつくせるものではない、と思うからです。


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