散歩するように 生きる
今日は秋晴れでとても気持ちがよかった。
空を見上げながら、ひとり連想ゲームが突然はじまる。
▼ 秋といえば、「運動会」
小学校のころから100m競争、対抗リレーが大嫌いだった。
▼ 運動会といえば、「陸上競技」
私は短距離走が遅いのがめちゃくちゃコンプレックスで、克服するためにはじめて入った部活が陸上部だった。でも足はいっこうに速くはならず、そして好きにもなれず、途中で退部してしまった。
▼ 陸上競技といえば、「人生」
陸上競技の種類って、人生の変遷に似ている気がする。
10代 → 100m競走
20代 → 100mハードル競走
30代 → 1000m競走
40代 → 10000m競走
あくまでも、私のイメージだけど、
7歳で小学生となり、人生というレース(競技)の幕が上がる。100m競走(競争)のスタートライン立ち、相対・比較の世界で勝ち負けを覚えていく。
【100mハードル競走】
20代になると、
体力のピークをむかえ次々とハードル(障害物)が設置される。学生時代と社会人生活のギャップに戸惑う。はじめて経験するハードル(障害物)の数々、思うように乗り越えられない。それでも、とにかく経験(量)をこなすだけの体力と機動力が求められる。
【1000m競走】
30代になると、
体力の衰えの自覚はまだないまま、でも20代のように短期決戦ではなく、中・長期的な目標を定めて走り方を変えていく。仕事の他にもライフステージが大きく変わる時期。選択肢が多い分、悩ましさもある。
【10000m競走】
40代になると、
体力の衰えが見え隠れするが、気力と経験値でリカバリーが十分に利く。同じ1周400mトラックを25周走ることになるため、同じコースの慣れという安心感と同時に、同じ景色を見続けることの虚無感もよぎる。
また、いつ敵が勝負を仕掛けてくるかわからないので、いつも気を張って休まることがない。
※ ※ ※
40代までの人生を陸上競技に例えてみた。
私は、子供の時と今も変わらず走ること(競走・競争)が苦手だ。ずっと走って、努力してきたけれど好きにはなず、陸上競技の人生から降りてしまった。
整備されたところをひたすら走っていたから、それほど危険でもなかったし、守られてはいた。
でも私は、ずっとずっと前から、
ずっと走るのではなく、ゆっくり歩きたかった。
無機質な景色ではなく、季節の移ろいを見たかった。
舗装された道ではなく、大地を感じるあぜ道を歩きたかった。
競争ではなく、仲良くリスペクトし合いたかった。
だから、陸上競技のように人と競い合って走るのはやめて、
散歩するように、生きてみたくなった。
散歩する道は日によって変えたりして、
途中で雨が降ってきたら雨宿り。
足元に咲く小さな花を見て落ち着く。
また歩きはじめて、
コーヒーの匂いにつられてしまったら、
Cafeに入るのもいい。
歩き疲れて木陰で足を止める。
ふと見上げると金木犀の香りが上から降ってきた。目をつぶってしばらくたたずむ。
決まった場所で競って走る幸せもあるし、
心のままに散歩する幸せもある。
年をとって自分という人間を知れた分、
自分に合う生き方を、
少しずつ選んでいければと思う。
運動会でにぎわう園児たちの声が、遠くから聞こえてくる。
運動会といえば「陸上競技」・・・
そんな、ひとり連想ゲームをしていました。
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