フレンチは「足し算」、和食は「引き算」。じゃあ「かけ算」は?
2023年春、久々の海外旅行にいった。当時フレンチにハマっていたのもあり、行き先はフランス。パリの三つ星レストランにいったり、色んなところで美味しいものを食べて、実に楽しい旅だった。
しかし、旅の中で一番テンションが上がった料理はと言われると、実は旅行5日目に食べた日本食と日本酒だ。もちろん三つ星レストランのフレンチは素晴らしかったのだが、フレンチに食べ疲れてついパリの和食屋に入ったところ、味噌汁や日本酒が細胞1つ1つに染み渡っていく感覚を覚えてしまった。ああ、これはどんな高級フレンチでも勝てない。
これは自分が日本人であり、子供の頃から食べ慣れたものを摂取したからこその美味しさである。フレンチよりも日本食が優れているなんてことでは全くない。
そもそも料理に優劣なんてなく、あるのはベクトルの違いと個人の好みだけだ。各地の食文化と料理は、全て優劣なく素晴らしい。
それはともかくとして、自分は日本食の何に「日本食らしさ」を感じているのだろうか?
というのも、自分はトンカツを海外でよく食べるのだが、トンカツは大して日本食らしくないのに日本食だと感じる。トンカツは原材料が豚とパン粉だし、ほぼカツレツである。これは何故なのだろう?
また、フランスで食べた料理はどれも美味しかったがどれも重く、1つ1つが重量級のパンチを喰らっているような感覚になった。これはフランス以外も含め海外の料理全般で思うことが多く、苦手なポイントなのだが、このような印象の違いは何により、なぜ生まれたのだろうか?
そんなことを考えているうちに、更に問いを深めて
「自分は日本食の何を美味しいと思っているのか」
「その美味しさは何故生まれたのか」
「なぜ和食は日本でのみ生まれたのか」
そんなことを帰りの飛行機で考えるようになった。
この連載(なんと連載予定である。乞うご期待)では、これらの疑問に答えるために自分が調べたことを、できる限り分かりやすく紹介していく。
最初のテーマとしては、ライトでとっつきやすい「フレンチは足し算」「和食は引き算」という言葉について考えつつ、フレンチと和食の特徴、そして各国の料理の特徴をざっくり掴んでみよう。
なぜ「フレンチは足し算」で「和食は引き算」と呼ばれるのか
料理の世界では「フレンチは足し算の料理」「和食は引き算の料理」と呼ばれることがある。
まずはこのキーワードをもとに、和食とフレンチの違いを考えよう。
和食が「引き算」と呼ばれる理由は、和食は素材の本質を邪魔する要素を取り除いていく方向性の料理哲学を持っているためだ。和食は食材の持つ自然な風味や旨みを最大限に引き出すことを重視し、シンプルな調理法や味付けが用いられることが多い。
例えば「鯛」を調理するとしたら、刺身だったり焼き魚にするシンプルな調理法が一般的であり、調理は「臭みを取り除く」ような方向性となる。必要最低限の塩や醤油、山葵などで味を「整える」ことはあっても、それが味の主役になることはなく、あくまで鯛の素材の良さを引き立てるような使い方だ。
一方フレンチは複数の食材や調味料を足し合わせることで、新たな味わいや食感を生み出すことを目指し、「足し算の料理」と言われる。
フレンチで白身魚を調理するなら、小麦粉とバターでムニエルにしたり、様々なソースをかけたり、ハーブや香辛料をいれたり、味を「足していく」のが一般的な調理法だ。フレンチの厨房内で最も偉いのが料理長、次がソーシエと呼ばれるソース担当であるように、フレンチでは様々な食材を複雑に足し合わせるソース作りが非常に重要であり、相対的にメイン食材の味わいをそのまま使う発想はしない。和食において「刺身に合わせる醤油を作る担当」という役割は存在し得ないので、ここは大きく異なる点だろう。
他の例でいうとジビエ(=野生動物の肉)や羊肉の使い方がわかりやすい。
日本でジビエはあまり馴染みはない。食べるとしても「いかに臭みを取り除くか」を考えるのが日本料理の特徴だ。独特の臭みや味のある羊肉もジンギスカンでたまに食べることはあるが、食卓に並ぶことは少ない。
対してフレンチでは、ジビエは盛んに使われるし、むしろメイン食材だ。鹿肉や鳩肉はフランス旅行中にもよくメニューに見かけた。そしてその調理法は「いかに臭みを使うか」にある。「あの香りを取り除くなんてとんでもない!」という価値観だ。フレンチでは獲ってきたジビエを冷蔵庫で10日間ほど寝かせ、溶けた内臓がお尻から落ちてくるくらいの腐敗と紙一重のタイミングで調理をする。
また子羊は日本的には「肉の臭みが強い」として敬遠されがちだが、これはフレンチにおける最高食材でもある。
こういった料理哲学の違いが、日本人が本格的なフレンチを食べた時の「全部こってりしてて重い」ような印象に繋がっているように思う。
なぜなら、至高のフレンチというものは、幾重にも味を重ねて作る未知の味を愉しむものであり、シンプルな味ではありえないからだ。
自分の感覚だと、フレンチは「絵の具を何重にも重ねて、細部まで丁寧に描かれた傑作絵画」のような印象だ。鑑賞するのは楽しいが、それを10作品も見続けてると胃もたれしてくるのは否めない(好きだけど)。
対して和食は「数本の線と白黒の濃淡だけで描かれた水墨画」のような印象。情報量を少なくすることで、本質を際立たせるようなアプローチ。
水墨画10作品だとそれはそれで味気ないとも思ってしまうので、いい感じのバランスをとるのが個人的には一番好きだ。例えば和食とワインのペアリングコースや、日本食材のフレンチに日本酒を合わせるくらいのバランスが良い。これは水墨画にアクセントカラーをつけたり、シンプルな西洋絵画を見るような感覚。
料理を食べれば文化が分かる
この記事の本題からは逸れるが、日本とフランスで調理場での考え方も異なるようだ。
フランスではどんなに若い料理人でも「人と違う何ができるか」が試され、自分の意見を主張することを求められる。日本はその逆で、「シェフの言う通りに動く」「全体の輪を乱さない」「伝統の味をひたすら守り続ける」ことが大事である。
すなわち、フランスは「加点評価」であり、日本は「減点評価」で考えており、これも足し算と引き算の構造になっている。
(参考文献:フレンチの王道 シェ・イノの流儀)
更に話題を広げると、こういった傾向は国民性そのものではないだろうか?
日本人は決まったものごとを真面目に取り組み、改善を回し、100%の効率に近づけることが得意だが、イノベーションを起こすことが苦手だ。日本人の組織は減点評価になりやすい。
対して欧米の組織は加点評価で、新しいものを作り出す土壌があるように思う。
せっかくの記事なので壮大なことを言うと、筆者はその国の料理を食べることで、その国の文化を知ることができると考えている。食文化というものは文化の1つの側面であり、注意深く観察することで、文化の全体像も推測することができる。また文化はその土地の風土が強く表れるものの1つでもあり、風土を知ることは文化を知ることにも繋がる。
旅先で漫然と美味しいものを食べるのも良いが、こういった食文化に思いを馳せてみるのも楽しいのではないだろうか。
「かけ算の料理」はどこの国?
さて、「足し算」「引き算」について考えてみたが、では「かけ算の料理」は存在するのだろうか?軽く調べたところ、統一された見解はなさそうだ。
当然ながら「かけ算」の厳密な定義は存在せず、こんなものはただの言葉遊びだ。しかし、面白そうなので考えてみよう。
個人的に考える「かけ算の料理」は、2パターンある。
まず1つはベトナム料理で、味覚全てを刺激するような「味覚のかけ算の料理」だ。
ベトナム料理は「辛くて酸っぱくて塩っぱくて旨くて苦い」のような、色んな味が脳内(口腔内)で炸裂するのを楽しむ料理スタイルである。例えばパクチーがたくさん乗ったフォーにライムやチリソースをかけて食べるスタイルがそうだ。
こういった料理スタイルは、味を「足している」とも言えるが、単に足し合わせたというよりは、別ベクトルの味が生み出す科学変化や相互作用を楽しんでいるイメージがあり、「足し算」よりも「かけ算」がしっくりくる。
個人的にベトナム料理はレベルが高い気がしており、そしてその理由はフランスが植民地支配していたからなんだろうなあと思っている。文化が交わる場所は食が美味い。
もう一つの答えはインド料理で「多様なスパイスが生み出す複雑な味わいの料理」だ。
インド料理の各スパイスが持つ独自の風味が、他のスパイスや食材と組み合わさることで全く新しい味が生まれる。スパイスが織りなす小宇宙とも言うべきカレーを汗をかきながら食していると、内なるチャクラを開くイメージがある。その相互作用が、「足し算」というよりは「かけ算」のイメージにしっくりくる。スパイス一つ一つが強い個性を持ちながらも、互いに影響を与え合い、料理全体の味を作っており、インド料理は多層的で複雑な味わいを生み出している。
和食とフレンチで共通して多用されないものの一つがスパイスであり、辛味である。これをベースとしたインド料理が「かけ算」であると考えるのは分かりやすいかもしれない。
さて、この2つの結論はいかがだろうか?
この質問にただ一つの正解はないが、雑談のネタにはちょうど良いので、シェフと気軽に話せるタイプのレストランではよくシェフにこの質問をしていた。
当然ながらシェフごとに考え方は異なり、様々なシェフの考え方が知れて面白かった(面倒臭い質問してすみませんでしたシェフの皆様)。
その答えによると、上記の自分の結論に賛同してくれる人がいたり、「いや和食も素材の良さを掛け合わせて作るからかけ算だ!」という人がいたりとバラバラだった。やはり答えはないのだろう。
面白い答えを見つけた方、ぜひ教えていただきたい。
※タイトルの「じゃあ掛け算は?」の答えが薄っぺらくて申し訳ないので、有識者の方々、ぜひ熱弁奮ってメッセージください
イタリアンは?中華は?スペイン料理は?
さてさて、以上の話を調べてみてからというものの、日常で食べる様々な料理について「これは足し算だろうか?引き算だろうか?」と考えるようになった。
各国の料理について、個人的な所感を述べてみよう。
まずイタリアンは、引き算の料理に近しい。というか和食に近しい。
イタリアンの世界観は、複雑な調理をせず、地域ごとの素材がもつシンプルな味を美味しく食べる料理だ。パスタやピザの小麦粉と、トマト、オリーブオイル、にんにく、新鮮な魚介、チーズをシンプルに調理し、それぞれの素材の美味しさを引き出すのがイタリア料理だ。フレンチのように複雑で繊細な調理を行なうようなことはしない。
また、フレンチに比べイタリアンは地域性が強く、郷土料理を愛する文化があり、郷土料理とはすなわち素材を活かしたシンプルな料理であると言える。フレンチは歴史ある宮廷文化を発祥とした中央集権的な特徴を持ち、相対的に地域性が乏しく、素材よりも技巧を重視している印象がある。
イタリアンは「素材の味をそのまま」という観点で和食に近く、引き算のような印象があるが、本来の意味の「引き算」は、余計な味を取り除く意味であった。イタリアンはこういった調理哲学はあまりないので、厳密には「引き算」とは呼べなそうだが、じゃあ何なのかと言われるとかなり難しく、この表現の限界が見えている気がする。お世話になってるイタリアンのシェフにも「僕は足し算だと思いますねえ」と言われてしまった。
強いて言うなら、定数kを足す料理だろうか。「k =オリーブオイルと塩」なイメージ。伝われこのイメージ。
※ちなみに、ここでは分かりやすさのため「イタリアン=オリーブオイル、トマト、パスタ」のイメージで扱ったが、これは日本人向けのイメージであり、実際のイタリアンはもっと地域性がある。例えば北部はオリーブオイルよりバターの文化とも言える。しかし、素材の味を活かすという基本路線は変わらないと筆者は考えている。
スペイン料理は、かけ算の料理のニュアンスがある。
端的に言えば、旨味の強さを主な特徴としつつ、酸味とスパイスも顔を覗かせる料理だ。
スペイン料理の個人的な印象は、隣国のイタリアンとフレンチに近しい点がありつつも、大航海時代に各種のスパイスを持ち帰ったり、様々な国と取引を行い、また古くはイスラム勢力の支配下にあったことから、少しエスニックな風味を持つ料理という印象だ。
これは方向性としてはベトナム料理に近しい。しかし、やはりフレンチっぽいところもあるし、イタリアンっぽいところもあるし、足し算とも引き算とも言えそうであり、結局のところ分類は難しい。酸味という特徴も、モダンな西洋料理全般で言える話かもしれない。
掛け算の特徴を持つというよりも、常にイノベーションに挑戦してきた料理文化であり、その結果いろんな要素を持っていると説明するのがしっくりくるかも。
(そもそも、料理を分類するなんて試みがそれ自体無謀なのだ…という今更のちゃぶ台返し。とはいえ、無理やり枠に嵌めるのも面白くわかりやすいので一旦このまま進めよう)
中華はスパイスを多用するという面でかけ算の料理だろう。
しかし「中国料理という料理は存在しない」とよく言われるように、中国では各地域で異なる食文化を持っており、中華という言葉でひとくくりにできるものでは本来ない。インドに近い西の地域である四川料理はまさしくスパイスの料理だし、海沿いで南にある福建省あたりは素材の味を活かした素朴な料理が多く比較的和食に近い。各地方の料理を中国料理とまとめてしまうのは、イタリアンとフレンチとスペイン料理を「ヨーロッパ料理」とまとめてしまうようなものなのかも。
ちなみに、福建省のお隣にある台湾の料理で、特に台南の料理(台南は昔の首都。京都のような位置付け)は、牛や羊からとった臭みのないシンプルなスープをそのまま楽しむ文化があり、台南は「引き算」の料理だと強く感じた。
まとめ
ここまでの話をまとめると、以下のようになる。
引き算の料理:臭みなど不要な味を「取り除く」料理スタイル(例:和食)
足し算の料理:様々な味を「足していく」料理スタイル(例:フレンチ)
かけ算の料理:五味やスパイスを「掛け合わせて」味の化学変化をおこす料理スタイル(例:中華やインド料理)
そして、こういった食文化は、その国の文化・風土自体をも表している。
日本は減点評価の国だし、欧米は加点評価だ。中国やインドの文化には、多様な人種・民族・階級・歴史が絡み合って作られるカオスを感じるし、それが料理の力強さ複雑さにも表れているように思う。
「足し算」「引き算」といった定義は全くもって厳密ではなく、各国の食文化というものはそう簡単に分類できるものではないが、様々な国の料理の「違い」を意識するのに、とっかかりとしては易しく、楽しい考え方なのではないだろうか。そして、その裏側にある文化に思いを馳せてみるのも面白いだろう。
連載の第一回ということでライトにまとめたが、次はいよいよ「和食はなぜ日本で生まれたのか」について、深掘りしていこうと思う。乞うご期待。
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