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アメリカ~大きく分厚い文明国家

アメリカ留学は2年間だったのだが、最初に来た時はいろんな事に対して面食らったものだ。特に、アメリカの「文明」の大きさ・分厚さを実感した。

アメリカ合衆国は草原、湿地、砂漠などが広がっていた地に、祖国を離れた外国人が入植・開拓してきた若い国家である。日本人がアメリカと聞いてしばしばイメージする様な、ニューヨークやシカゴなどの街並みはほんの一部分でしか見られず、感覚としては全土地の9割以上は農作地帯や自然が広がっている。

時折、そんな大自然の合間を縫って、忽然と幹線道路や高層ビル群が現れるのだ。今までに、アトランタ、ニューヨーク、ボストン、シカゴ、シアトルといった、いくつかの都会に足を運んできたが、いずれも「自然が広がる広大な土地を『文明』の力で切り開き、建設された街」という印象が強い。

上記の印象は田舎に行っても感じることが多いが、その例の一つが「大学」である。私が通ってた大学は、ケンタッキー中部にある創立200年の歴史ある教養系の大学だ。所在地のBoyle Countyという郡は、わが熊本県の県庁所在地・熊本市の約1.2倍の面積でありながら、人口は3万人弱ほどしかなく、人口密度は59人/km2と北海道より低い。そんな田舎に、立派な施設がそろった大学があり、全米・世界各国から優れた教員、学生を集める大学があるというのは驚きだ。日本じゃなかなかあり得ない。

アメリカには、教育重視の小さい学校や研究も行う大きい学校など、様々なタイプの大学があるが、名門といわれる学校には田舎に位置するものが少なくない。また、「偏差値」の様なものが存在せず(※「偏差値」という画一的な尺度で学校の序列ができているのは日本特有の現象)、各校が各々の教育の特色や求める学生像をアピールし、いろんな才能、経歴を持った学生を積極的に獲得し教育していく。大都市にある偏差値の高い学校がヒエラルキーの上位を占める、といった日本の状況とは大違いである。

この様な状況を見ていて思うのは、アメリカの大学教育は層が分厚いということである。全米各地、大都会だろうがとんでもない田舎だろうが、至る所に「名門」と言われる大学が林立している。日本のようなちっぽけな国から来た私は、アメリカがいかに高等教育に熱心であるかを実感し、身震いする様な思いで、毎日勉学に励んでいたことを思い出す。


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