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「バナナストローの12月〜私の医療事故⑤抜去・復活」

あなたは、自分の体に異物を入れたまま生活したことがあるだろうか?
異物とは、人ならざるものであり、人工物だ。

僕はあの12月、1週間であったが身体に異物を入れた状態で日常を過ごした。とてもグロテスクすぎてその状況を写真資料などで補完することはできないが、

バナナにストローがまっすぐ深く刺さった状態

を想像していただくと齟齬がないと思う。バナナはアレであり、ストローはカテーテルである。そう、このコラムのタイトル「バナナストローの12月」は、医療事故により尿道を傷つけられ、カテーテルを留置したまま生活しなくてはならなかった僕の状態を表していたのだ。

いわば、読んでいる皆さんは知らない間に、壮大な下ネタに付き合わされていたことになる。そこはご容赦願いたい。

そのバナナストローの状態で、病院から下界に放たれた僕。入院を経て既に弱っている状態の男を、追い討ちをかけるように最後まで苦しめたものは四つあった。

1:下半身を覆う不快感

2:下腹部の鈍痛

3:尿意

4:出血

である。

まず「下半身を覆う不快感」は、常にまとわりつく熱っぽい感覚。皆さんが怪我をした時、患部を中心に熱が出たような腫れぼったい状態になった事はないだろうか。体が患部を治そうと稼働し、その余熱が頭や顔など関係ない場所まで伝わってくる。あの感覚だ。

そして、「下腹部の鈍痛」。これは異物がバナナを貫いて、膀胱にまで刺さっているから当たり前の痛みだ。断続的にそれはやってきて何かをこなす気力や、考える集中力を削いでいった。

極め付けは「尿意」である。「え?オシッコしたい感覚でしょ?それ、そんなに辛いの?」そう感じた方も多いだろう。文句なしにこれが一番辛かったのだ。

なぜか。まず、

「一歩でも動くと尿意が襲ってくる」

のだ。これはストローが刺さっている膀胱が、動くと刺激されるのが原因だ。そして更に、

「残尿感が消えず、ずっとある状態」

を想像できるだろうか。バナナストロー状態では、通常の排尿はできない。カテーテルによって膀胱から尿を空気圧で吸い上げる仕組みだから、誰もが日常的にやっているカラダの「リキみ」で尿を出せないのだ。

これが、今思い出しても涙が出るくらいつらかった。トイレに行っても排尿の爽快感がなく、常に残尿感を抱いたまま行動する気持ちの悪さは筆舌に尽くし難かった。

最後の「出血」は言わずもがな。
刺さったストローの横から、ずっと出血が止まらなかった。あまりに血が出続けるので「この状態で1週間後にカテーテルを抜けるのか」と不安になり、二度も夜中の救急外来に電話してしまった。二回とも、

「大丈夫ですよ、血は損傷箇所とカテーテルが擦れて出てるだけですから」

と言われたが出るものは出ているし、焦燥は消えなかった。

これら「不快感四重奏曲」がカテーテルを抜くまで鳴り止まず、晩年のベートーベンのように耳鳴りで発狂しそうになった。以降、抗生物質と痛み止めを飲みながらこのオーケストラと付き合うしかなかった。

痛くとも、不快でもそれでも、仕事には行かねばならない。

まず退院日に、プレゼン準備のビデオ映像をつくっている現場に行かねばならなかった。

不快四重奏に耐えて歩くと、とにかく尿意が襲ってくる。製作会社に着くとトイレに駆け込む。カテーテルのキャップを外すと、空気圧から解放され、尿が出るが同時に突き上げるような不快感がこみ上げてくる。吐き気と鈍痛がする。しかも爽快感、スッキリ感はない。

1週間これが繰り返されたのだ。

トイレを出て、競合プレゼンのチームに合流し、今置かれている状況を説明すると皆、一様にドン引きしていた。それはそうだ、報道やドラマで聞いた事ぐらいしかない、医療事故の被害者が身体に異物を入れた状態でやってきたのだ。ただ、目に見えるチューブをつないでいるわけではないから、パッと見は普通の一般男性である。

「それは…ひどいね、ありえない」
「高額の医療訴訟した方がいいんじゃない?」

そんな言葉が飛び交うが、もう裁判で勝つのは至難、という事情はわかっていたから、曖昧に返すと仕事を始めた。ここは、プレ準備の場であって、僕の同情を買う場ではないのだ。やがてその場でしばらく仕事をして気づいたのが、

人と話していると尿意や不快感を感じなくなる

という事実だった。これはいい気づきだった。人間はどこまでも、感情の生き物なのだ。

その日の打ち合わせが終わり、帰宅の途につく。やはり、歩き出した途端に尿意や鈍痛が襲ってくる。普段、歩きながら帰るときは駅までの道すがら企画とかご飯とかコピーとか色んなことを考えながら帰るのだが、この頃は常に、

「トイレがどこにあるのか?」

を考えていた。トイレの場所を常に確認しないと不安になるのだ。銀座駅に着く。ホームで足が止まった瞬間に少し不快感は弱まる。だが、電車の少しの揺れも多少の影響はあるのだ。だんだん、尿意が首をもたげてくる。

自宅の駅に着いた途端、走ることはできないが、ゆっくり急ぎながら多目的トイレに向かう。が、誰かが使っている。程なく出てきたのは中年のスーツを着た普通のサラリーマンだった。

「あなたはこのトイレが本当に必要な人なのか?」

と腹立たしく問い質したくなるが、その余裕はなく、慌てて中に入る。
そう、既に僕は気づいていた。

この時点の僕は、「身体の不自由な人」になっていたのだ。

バリアフリー。ハンデを超えて、健常者も障がい者も手を取り合う社会。

これまでの仕事で、幾度も耳にした言葉だ。人間には想像力がある。だから、多くの「身体が健康な人」は「そうでない人」の痛みや苦労を想像する。だが実際は個人の痛みを正確に想像する、分かち合うなど無理な話だ。

ましてや見た目が「普通」の場合、その人に何が特別なこと起きているかもしれない?などと想像することもないだろう。あの時の僕は普通の見た目だが、身体に異物を宿し、苦しみながら日常を生きていた。

ところで電車の優先席。あなたは座るだろうか?近寄りもしないだろうか?
僕は普段から座らないと決めている。
昔の話をしよう。かつて大学生だったの頃の話だ。その日、具合が悪かった僕は帰宅中、優先席に座ってじっと吐き気を耐えていた。と、目の前に6、70代くらいの老人と、その知人と思しき高齢女性が現れて、

「あなたはなぜ、そこに座っているの?立ちなさい!」

と僕に言ったのだ。何か返答しようとしたが喉も痛くてその元気が無く、ただ立った。そこで、自分の病状をいうのは何か言い訳がましい気がして、

「この席はあなたのように他人の事情を一切考えずに、誰かを座らせる席じゃないと思います」

と老人に向かって掠れた声で意見をした。老人は面食らって目を丸くしたあと、真っ赤な顔をして、

「いいえ、ここは私たちが座る席で、あなたが座ってはいけないんです。非常識な若者だ。さ、あなたが座りなさい」

と同伴していた女性を座らせたのだった。僕はさっと車両を移動して、電車を降り帰宅すると38度近く熱があってそのまま寝込んでしまった。そのとき以来、どれだけ電車が空いていても優先席には座らないと決めた。

優先席は、専用席ではない。

そして、そこに座るべき人の条件を決めるのは、簡単なことではない。年齢はある程度わかるが(それすら主観だが)、目に見える障がいもあれば、目に見えないものや内的疾患もあるのだ。それらを精査して、優先順位を明確に、公平に決められる人物などいるだろうか。だから、前述の駅のトイレから出てきた、見た目は普通のサラリーマンも、何かを抱えた人物だったのかもしれないのだ。人を見た目で判断してはいけないのだ。

あの12月、僕は電車が混んでいて優先席が空いていると、キツさに座り込みたい欲求に何度も駆られた。結局、座る事はなかったが、ある時そこに見た目が普通のスマホを手にした若者たちがいた。しかもカップルだ。だが、そのカップルすら内的疾患や、障がいを抱えてそこに座っているかもしれないのだ。他人の事情を決めつけてはいけない。あの老人たちから得た教訓は、今の時代ますます示唆があるかもしれない。
思い余って、もしもの時のために「ヘルプマーク」を手配しようかと考えたが、なんとか耐え抜いた。

カテーテル

話を戻そう。夜もまた、しんどかった。
風呂場でカテーテルの蓋を取り、採尿バッグの管に連結し直す。キャップと比べて圧力は弱まり、入院患者と同じ状態になるから不快感は低下するが、常に管が体から出ている状態になる。その先にあるバッグを目視するのが嫌だから、肩がけカバンを改造してそれを入れ、ずっとかけて過ごしていた。
夜、パジャマ姿に肩がけカバンをかけて部屋をウロウロする。その奇妙さを想像できるだろうか。また私はずっと布団派だが、管より下の角度にバッグがないと尿が落ちていかないから、布団を3枚ぐらい重ねて高さをつくり時代劇のお殿様のような寝床で休んでいた。これは唯一の笑い話である。

やがて、朝起床し、管を踏まないように起きると、バッグにはすごい量の液体が溜まっている。この時僕は痛感した。

人間は、生きたろ過装置なのだ。

退院から1週間、飲み会もあれば、編集の仕事もあった。アルコールは禁止されていたから飲み会といっても、食べ会になる。初日の不快感から、全てをキャンセルしようと考えたが、あえて全て変わらずスケジュールを消化することにした。不運、不運と嘆いていても仕方ない。ここで年末の記憶を全て真っ白にしたら本当に運命に負けることになる。意地になって、毎回、移動時の苦痛や不快感と戦いながら、シラフの状態で参加したのである。

そして、クリスマスは自宅でほぼ一日中、動かないまま過ぎていった。
思い余って、あの不幸自慢番組「明石家サンタ」に電話をしてみたが、当然のごとくつながらなかった。あれは「電話がつながるかもしれない」という期待感で視聴を引っ張る、一種の詐欺なのだろう。言い過ぎかもしれないが。

ソファに座ってなるべく動かないように、パソコンを膝に乗せ、ペットボトルを横に置き、ひたすら仲間とやり取りをした。皆一様に同情し、励ましてくれた。それがテキストのやり取りであっても、友との会話は一瞬、苦しみを忘れさせてくれた。

退院の時と同じように、抜去予定の前日、日曜の夜はもうはやくこの管を抜いてほしい、バナナストロー状態を解消したい、その一心で身悶えするほどだった。
その頃、ついにバナナからの出血が止まった。いよいよだ。

月曜日の朝は、待ちに待ったイベントに向かう心境で起床した。風呂場で管を外し、キャップに付け替え、細心の注意を払って自宅を出た。ほどなく、不快感と尿意が襲ってきた。不快四十奏が鳴り響く。

「大丈夫だ、この不快楽団とは今日でおさらばだ」

そう言い聞かせ、病院に下腹部を抑えながら到着する。少し具合が悪いが、もうすぐだ。あの退院時のカンファレンスの席で、

「当日、受付機に診察券を通していただいたら、泌尿器科にすぐ上がれるようにしておきます」

そう事務員たちは言っていた。まさか、此の期に及んで手続きされていないなんて事はないだろうな…

「ピーッ、データがありません」

が、不安は的中した。無情にも受付機は僕の診察券を撥ね退け、焦って何度やっても返答は同じだった。僕はふらつきながら総合受付まで行き、

「すいません…、10時から泌尿器科の予約があるのですが、診察券が機械を通りません」

「はい、すぐお調べしますね…えーと、そうですね。データがないので…初診の列に並んでいただいて受付をしていただけますか?」

一瞬、何を言ってるのか耳を疑った。信じられなかった。具合の悪さが一気に進行した。事もなさげに言っているがとても受容できない話だ。

僕はカンファレンスで渡された予約票を見せながら、

「これ、予約票です。予約が無いなんてありえません。杓子定規に言ってないで調べて、泌尿器科に上げてください」

憮然とした口調に慌てたのか、受付係はバタバタと再度調べだす。

「も、申し訳ありません。そうですね…予約票のデータはあるにはあるのですが泌尿器科が『初診』と出ますね…ちょっとお待ちください」

はやくしろ…と心で思うが、受付横のバックヤードに駆け込んで行く係員を黙って見送る。ほどなく、別の責任者らしき年配女性が出てきた。

「すいません。お調べしたところ予約はあるようなのですが、循環器ではなく泌尿器の診察を受ける場合、規定で初診の手続きをしていただきたいんですね」

「いえ、僕、入院したとき循環器科でしたが、手術が中止になって泌尿器科に運び込まれて治療され、その場で書類をたくさん書きましたよ?」

「はい、ただ…それでも泌尿器は初診になるので手続きをしていただきたいのですが、番号票を取っていただいて…」

初診受付の列を見やった。ここは大病院だ。ざっと数えても30人以上が並んでいる。その瞬間、自分の中で何かが切れた。常に冷静でなければならない。その禁を破ってしまった。

「いい加減にしてください!こっちはおたくの医療ミスでこんな体にされて、泣く泣く通院してるんです。前回、確実にそんな手続き無しに泌尿器科に上がれると言われています。絶対、初診の列になんか並びません。はやく確認して上にあげてくださいっ!」

責任者の顔色が変わった。そして再び、バックヤードに駆け込んで行く。なんなんだ。これが大病院なのか。こんな無礼を受け入れないと医療サービスは受けられないのか。

「す、すいません。今確認が取れましたので、泌尿器科に上がっていただいて大丈夫です。ご迷惑をおかけしました」

重ね重ね、なんなんだ。強く主張して、通してくれるならなぜ最初からその努力をしてくれないのだ…。ただ、もう具合は最悪だったから無言でとにかく泌尿器科へ向かった。

診察室で待っていた当番医師は、また初めて見る人物。事故当初から何人かの泌尿器科の医師が僕に関わってきたが、毎回違う人物だった。きっと大病院らしく分業されているのだろう。

「こんにちは。担当医の○○と申します。えーと、勝浦さんの状況は、手術前の尿道カテーテルの挿入時に看護師がミスをして、膀胱に入る前にバルーンを膨らませてしまい尿道が損傷して出血した、とお聞きしております」

僕は目を見開いて仰天した。
え…?認めた。この人、病院側のミスって認めたぞ…。

きっと、ここに至るまでの連絡の杜撰さをみるに、
「ミスを認めない」
という申し送りすら徹底されていなかったのだろう。とんだ笑い話だ。どっと疲れが出た。

「それでは、検査も問題ないようなのでカテーテルを抜きますね」

ベッドに寝かされ、医師の手によってゆっくり私の体の中の異物は抜去された。一瞬の不快感の後に、体が軽くなった。

「うん、血も出ていませんね。回復は順調だと思います」

その一言で、全身が脱力していった。
ようやく、最悪の年末が終わったのだ。

「約10日でカテーテルを抜くのは本来ちょっと早いんです。年末年始はカテーテルを入れておいた方が、安全は安全なのですが…」

「すいません。それはお断りします」

医師の言葉を食い気味に断り、薬を受け取ると私は病院を後にした。自動ドアを抜けると冬の青空が広がっていた。寒々しいはずなのに、まるで春の澄み渡った空に見えた。

人間は感情の生き物であり、心の生き物なのだ。

そのまま仕事に向かうと、そこでの空き時間、私はとうとう一度も顔を出すことはなかった「主治医」に以下のメールを送った。

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○○先生

お世話になっております。

本日、泌尿器科外来にて○○先生に留置された尿道カテーテルを抜いていただきました。

現在、血尿はなく、やや頻尿気味なのと鈍痛が少しある状態です。

なお○○先生より診察時「出血、および手術中止の原因は看護師のミスによりカテーテルが膀胱に入りきる前にバルーンを膨らませてしまい尿道を傷つけたこと」とのお話を受けました。それを受けて現在の私の考えをお伝えします。

A:これは明らかな医療ミスであり、本来なら賠償金を請求すべき事案である。(この期間の仕事に支障をきたしいくつかの会議をキャンセル、年末の旅行の予定もキャンセル費がかかるが泣く泣く解除、自力排尿ができなかった事の精神的苦痛…)

B:先ずは、前入院およびこの尿道修復にかかる全ての費用(○月○日再診予定、その後も通院が必要かは不明)をゼロにすることを前提に話を進めたい。それができない場合は、別の手段を講じる。

C:担当の看護師は一切謝罪に出てこないが、個人を責めるつもりはない。その段階は過ぎた。

D:ABが納得のいく決着をみた場合は、速やかに損傷箇所の修復を待って不整脈の治療に移行したい。

E:知人医療従事者、別病院の院長クラスから情報を取ったが、「あり得ない事案である、速やかに補償されるべき」とのコメントあり。

<以下、診察オペレーションについて>

F:退院時の状況説明会において、○○医師、○○事務員、〇〇婦長らの前で「当日は診察券を機械に通し泌尿器科に上がってきてください」と全員の前で説明していたが、本日、機械に診察券が通らず、受付に申し出たところ30人以上並んでいる「初診」の列に並ばされそうになり、事情を話したが、声を荒げるまで「初診です、並んでください」を繰り返し、話にならなかった。不快感と鈍痛を抱えながら通院した挙句、案の定、何の連絡も通っていなかった事に憤りを感じる。本日の会計自体は「会計保留」のコメントが確認できてそのまま帰れたが、極めて今後のオペレーションに不安を感じる。

G:〇〇事務員には(名刺にメアドが書いていないので)この旨をよくお伝えいただきたい。

最後に余談ですが、入院中の看護師さんたちの態度や行動は素晴らしく、
慈愛に満ちたものと感謝している事をお伝えしておきます。

上記、ご確認ください。よろしくお願いいたします。

勝浦

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浮かれていてはいけない。まだ傷つけられた身体は修復の途中であり、
マイナスがゼロになろうとしているだけだ。その後、泌尿器関連の費用は病院で持つとの連絡があったが、入院関連の費用については討議中だそうだ。やれやれ、である。

何度思い返しても最悪な年末だった。

僕の人生訓として「悪い事が起きた時はそこから得られる良いことを探す」

というのがあるが、この惨劇を

「これから医療を受ける皆さんのために書き記す」

ことぐらいしか「これが起きてよかった」と思えるものは無かった。だって、これは不可抗力のもらい事故なのだ。

ずいぶん長文になってしまったが、それでもこうやって詳細に書き記す事ができて、自分の客観的な心の動きを知る事が出来たのは成長につながるかもしれない。

また著書の校了は残念なことに深夜の病院で迎えたが、発刊される前に体調が戻って良かったと思う。あの惨事が長引き、ネガティブな気持ちで発刊日を迎えずに済んだのは、不幸中の幸いだったと言えるだろう。

さて、過ぎ去った年末の悲惨な記録もこれで終わり。きっと、いつか「ああ、あんな事もあったね」くらいの出来事として風化していくのでしょうけど、自分が感じた医療ミスのショックや感想、心をどう保ったか、という観点で記憶が鮮烈なうちに書いてみた。

皆さんの今後の判断や、行動の一助になれば幸いである。そして、いろいろあったが、やはり医療従事者には感謝しかない。感染症の早期終息を心から願って、このシリーズを終わります。

最後に一つ。実は退院時の関係者が集められたあのカンファレンスの席で僕は、

「このミス、事故が起きる確率ってどれくらいですか?」

と後学のために聞いたのだ。担当医師から返ってきた答えは驚愕だった。

「本当にほぼ起きる事のない事案でして…手術件数と事故の報告例から考えると0.2%程度となります」

0.2%!
そう、僕は奇跡的な確率の医療事故の被害者となり、復活したのだ。これは2022年、この反動で途轍もない良い事が起こる前兆に違いないのである。

さあ、0.2%の男が書いた「つながるための言葉」。ようやく明後日、発刊!

<終わり>

「つながるための言葉〜伝わらないは当たり前」1月19日発売。
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*このコラムは実体験及びそれによって得た情報によって書かれていますが、医療知識の正確性を保証するものではありません。また特定の医療機関や個人を糾弾したり、何らかの主張、要求を目的として書かれているものではありません。すべての医療従事者に対して、尊敬と感謝の念を抱いております。

サポートしていただいたら、そのぶん誰かをサポートします。