好きなものに溺れて息苦しくなる感覚について
夏休みもそろそろ終わり。
夏休み、時間めっちゃあるじゃん!とか思っていたものの、なんやかんや部活に明け暮れて終わりそうな感がある(汗
「明日は土曜で学校開かない。部活もOFF。今日の試合の映像見て、そのあと初任研の課題進められるな」
なんて考えながら、OFFまで仕事関連のことに頭を使っていている自分に気づき、ちょっとだけ不安になる。
まぁ好きでやっていることなので、良く言えば「仕事がそれだけ楽しい」ということなんだけど、OFFの日にしたいこととして仕事関連のことがまず頭に浮かぶのってどうなんだろうなぁとか考えたり。
中学生くらいから今に至るまでずっと考えていることがある。
それは「いったん保健体育、サッカーから離れてみたら自分はどういう存在なんだろう。何をしたくなるんだろう」ということ。
いかんせん「自分=保健体育、サッカーの人間」という図式が自分の中で強く強く出来上がっているので、どうなるのか想像もつかない。
自分の自己実現も、それら(保健体育・サッカー)をツールとしてどうしていきたいかということが前提になっている。
結局仕事している時間そのものが楽しいし、人生の多くを費やしてきているぶん自分が持っているものの中では多少なりとも他者に貢献できる度合いが大きいので続けているけれど、あまりにも多くの時間同じテーマについてずっと考え続けていると息苦しくなる。
例えが適切かわからないけれど、水泳がめちゃめちゃ好きな人が、息継ぎをさせてもらえずずっと水泳をしているような感じ。楽しいけど息苦しい。楽しさよりも息苦しさに意識がいってしまう。好きな対象に向かう「好き」エネルギーの矢印が息苦しさに負けてちょっとだけ小さくなっている感じ。
この「好き」という感情はパフォーマンスを高めるためにとても大事なエネルギーであり、パフォーマンスを高めることは結果的に他者貢献、ひいては自分の幸せにつながる。だからこの感情と、エネルギーの大きさは大事にしたい。
自分自身今の仕事は大好きで、気に入っている。
これだけ自分の裁量があって充実した仕事はないと思っている(と同時にどれだけ規則に縛られてるんだ、、とも感じるなんとも不思議な職業。笑)
もっと「好き」の矢印を太くして、パフォーマンスを上げて貪欲に、夢中に、我を忘れるくらい仕事に没頭するために、仕事の内容や仕事と仕事の「あいだの時間」の使い方を考えていきたい。
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