見出し画像

教員1年目を終えて



「この1年間で一番成長した部分は、ものの見え方が広がって、いろいろな部分で寛容になったことです」


初任者研修を終えて、保体科同期の中で一番多かった意見。

6人中3番目くらいで発表だった自分は「いや意見かぶってんな〜」とか思いながら前の人の発表を聞いていた。


結果、みんな同じようなことを言っていた。笑


きっと、それぞれの学校で似たような経験をしていたに違いない。


思い通りに進まない授業
思い通りに動かない生徒たち
自身の想いが伝わらない時間


そんな時間を重ねるたびにストレスを抱えた。

もっとやれると思っていたからこそ、自分に対しての失望も大きかった。

そんな1年を通して学んだことは3つ。


①どんなことでも起こりうる
②起きた出来事に対してどういう解釈(意味づけ)と対応をするか
③抽象的なGOAL設定


①どんなことでも起こりうる

教員として赴任したら、授業して〜、部活やって〜、進路指導とか事務作業とかもいろいろ大変そうだな〜

くらいに思っていたちょうど1年前の自分。

蓋を開けてみると、想定外が多すぎた。
当時は具体的なイメージが何もなかったのだから仕方ないのだけれども。

授業中目を離した瞬間2秒で席を立つ男子
体育で永遠に壁際に座っている女子

このほかにも、これまでになく「まさか、そんな、あり得ない」と感じる出来事が多く、最初のうちは面食らった。

この状況にずっと晒されていると、年数を重ねるにつれて「ノージャッジで怒鳴る」「もはや何もしない」「その子とその状況にとってより良い対処を考え続ける」の3パターンに分かれていくんだなと思った。

2年目は、なにが起こっても「じゃあ、これからどうするか」のマインドを忘れないようにしたい。


②起きた出来事に対してどういう解釈(意味づけ)と対応をするか

前に書いた通りなんでも起こる。びっくりするくらい。
そして、その事象が起こった背景を想像することはめちゃくちゃ大事だなと思った。

問題行動が起こった際に、なぜそれが起きたのか。

人間関係?
家庭環境?
その時の気分?
人間としてのどの欲求が満たされていないことによるものなのか?

事象には原因が必ずあるし、事象と対応の間には、自分自身の「解釈」が必ずある。

結果、全力で叱ることが必要になるのかもしれない。
話を聞いて一緒に考えることが必要になるのかもしれない。
全ての自分の表現は「色々な想像力を働かせた上で考えられるベスト」でなければならないと思った。


③抽象的なGOAL設定

起こった出来事に対して、そこしか見えなくなる。
特に、問題になるような出来事であればあるほど。
そんなときは心身ともに疲弊するし、若干病む。

そんなときは広く、抽象的なところに思考を向けることが大事だなと思った。

「で、なんのためにこの仕事やってんの?」
「この出来事は最終的にどうなったら最高なの?」

そういう言葉を自分自身に投げかけることで、起きた事象にベッタリ貼りついていた意識が少しだけ剥がれる。「これからどうすればよいか」とポジティブに考えやすくなる。

…いろいろあるけれど、やっぱり仕事は充実したものでありたい。
充実したものであるために、自分がこの仕事をどんな思いでやっているかという「旗」は毎日見て、大事にしたい。

さいごに


1年を通して、教員としてやっていく上で大事なことが少しだけ見えた。気がする。

これからは、それに添える「ことば」や「表現」をもっともっと磨かないといけない。

来年度は仕事が大幅に増える。

「どんなチャンス?」
「最後にどうなったら最高?」

常にこの言葉とともに。
潰れたら潰れたでそのときに考えればいい。
ほかに行くなり休むなり色々ある。
どうせいつかは死ぬ。

大事なのは、未来(どうなったら最高か)と(いま、ここ。この瞬間にやること)。

来年度も記憶に残る時間を重ねていきたい。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?