天職と感じられたのは結局人との関わりでだった
僕はアメリカの製薬会社で働く日本人研究者です。もう少し詳しく言うと、新薬の安全性を評価するトキシコロジストという研究者です。新薬を実際にヒトが使う前に、情報解析や細胞組織・実験動物で安全性を十分確認する仕事です。子供の頃から生き物が大好きで動物のお医者さんになることを夢見て、大学の獣医学科に入りました。それなのに、動物を救うどころか研究のために動物を犠牲にしなければならない正反対の仕事についてしまいました。大学で卒業研究をしているうちに自分にはリサーチが合っていてしっくり来ると感じたからでした。
今でも生き物は大好きだし、必要とはいえ、たくさんの実験動物を犠牲にして新薬の研究・開発を行なっていくことに対しては、それらの動物たちに申し訳ないです。でも僕は自分の仕事を愛してます。本当に患者さんが必要とする薬を、安全に使用できる方法を考えて、できるだけ早く世に出す仕事です。また、安全ではなく世に出してはいけないと判断した薬は、早いうちに開発を中止させこの世から排除する仕事でもあります。
どんな時に今の自分の仕事が天職だと思えるか考えてみました。
どんな時に今の自分の仕事が天職だと思えるか?
存在感・貢献感を持てた時
先週、全社員が一同に集まる大きなイベントがありました。その中で開発中の薬の治験に参加してくださった2人の患者さんが体験を語ってくれる時間がありました。進行癌でしたが薬が奏効し、奇跡的に回復された患者さんです。2人の患者さんともに、最初に癌を知った時の衝撃、既存の治療を受けても再発を繰り返した苦悩、藁にもすがる思いで参加した治験薬で癌が寛解した時の喜びなどを、社員全員の前でビデオ越しに語ってくれました。同じ癌患者さんでも、ひとりは「私は癌という大敵と戦う戦士(warrior)です」と話されました。もうひとりは「癌はこれから一生付き合っていくものになりそうだ。癌と私は一蓮托生(swim together)です」と捉えられていました。普段の仕事の中では、実際の患者さんとふれることもないし、どんな人生・生活を送られているかを想像することも難しいです。仕事でプロジェクトを進めている時は、癌患者さんとひとくくりにしてしまいがちです。でも、実際にはひとりひとり、人生は大きく異なるし、考え方も病気の捉え方も違うのです。こうやってひとりずつの患者さんの人生、考え方、実際の声を聴き、その上で薬が世に出ることを応援してくださり、待ってくれていることを知ると、自分がこのプロジェクトに関われたことに本当に感謝できます。
普段の仕事では、自分のプロジェクトが一区切りつき、出した成果について発表する時にもとても幸せを感じます。ミーティング会場が沢山の人で満たされてくると、「彼らは自分の貴重な時間を使って、僕の話を聞きに来てくれてるんだ」と思い、とても嬉しくなります。「緊張してる場合じゃない! 参加してくれた仲間に良い話が聞けて、素晴らしい情報がもらえて参加してよかったと思ってもらえるよう頑張らねば」と燃えてきます。
達成感を味わえた時
新薬の開発は長い長い道のりです。その間にはたくさんのマイルストンがあります。画期的新薬のタネを見つけて今後より大きな試験を実施していくことを決めた時、動物での検証を終えてヒトでの治験を開始する時、ヒトでの効果と安全性が確認され新薬の承認申請をする時、新薬が承認された時などが大きなマイルストンです。チームで大きなマイルストンを達成し、仲間とそれを喜び祝い合える時、本当にこの仕事をやっていてよかった!と思えます。
祝福を受けた時
先週の全社員が集まったイベントの中でとても嬉しいサプライズがありました。一緒に働いてきた仲間や上司が僕を功労賞のひとりとして選んでくれたのです。もちろん称賛を受けることはとても嬉しいことですし、チームやプロジェクトに貢献するために一生懸命働きました。でも、関わってきたプロジェクトで、苦しいと思ったことや、イヤイヤやらなければならないことはほとんどありませんでした。むしろ自分からやりたいとワクワクしながら楽しんで働いていました。そんなふうに楽しみながらできる仕事につけて、しかもその仕事を通して皆からも感謝されることは本当に感謝すべきことですし、自分にとっては天職なんだなと思いました。
結局は人との関わりでしか感じられなかった
自分が今の仕事に感謝し、今の仕事が天職だなと思えるのは、仲間に貢献したと感じられたり、仲間と一緒に何かを達成したり、仲間から感謝される時でした。何か特別な分野でずば抜けた才能や能力があるといったようなことがない僕のような人間が、仕事で天職と感じることができるのは、結局は周りの人との関わりがあってのことなんだなと感じました。
人と関わりながらも自分の人生を生きたい
人との関わりで仕事ができているとは言え、いつも人の反応ばかりを気にして生きるようになれば、それはすぐに天職とはいえないものになってしまうでしょう。自分の強みも弱みも全て認め、それでも自分は自分と自己肯定し、他人の価値観ではなく自分の価値観で自分の人生を生きて初めて天職と呼べるものになると思ってます。