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幼少期の奇怪行動が今の自分に大切だったこと

小学3年生の時、僕は絶対に宿題をやらないと決めて、幼馴染のゆうちゃんと昆虫採集に明け暮れることを優先しました。なぜ、そこまで徹底して宿題をやらなかったのか? どうしてそこまで遊ぶことにプライオリティを置くと決められたのか? 思い返すと不思議なくらいですが、その後、生き物が大好きで獣医となり、生物の不思議を求めて研究者の道に進んだ僕としては、小学3年生の時にとった自分の奇怪行動に感謝したい気持ちです。

冬が明けて昆虫が飛び立つようになると、幼馴染のゆうちゃんと河原や近所の空き地に繰り出して昆虫採集に明け暮れるのが、幼少期の僕の毎日でした。小学3年生の時は、なぜかそれが徹底的になり、宿題をやる時間がもったいない、昆虫採集を優先すると自分の中で決めたのです。小学校では若い女性の先生が僕のクラスの担任でしたが、徹底的に宿題をやらない僕に困り果ててました。どんなに立たされても、頭をひっぱたかれても、明日は宿題をやってくると約束させられても、徹底的に無視して宿題をやらなかったのです。周りの友達からも、ひとりで立たされて笑われても、どう思われようと、ぜんぜん気にしなかったのです。

保護者面談の時期が来て、困り果てた先生が、僕の母親に、宿題を絶対にやってこない僕のことを相談しました。僕はそれまで母親に「宿題やったの?」と聞かれると、「もうやっちゃったよ」とか「今の先生あまり宿題出さないんだ」とか適当に答えて、いそいそと昆虫採集に出かけてました。保護者面談の時期が来てしまいました。僕は、学校の先生から宿題を一切やらないことを母親に告げられると予想してました。保護者面談から帰ってくると、母親は僕に「あなた宿題を一切やってこないんだってね。これからは気をつけてよ」と言いました。僕は、めっちゃ叱られると覚悟していたので、母親のあっさりした反応にちょっと拍子抜けしました。妹をいじめた時とかにはひっぱたかれて怒られていたのに、この時はぜんぜんだったのです。

母親があまり怒らなかったこと、父親にも伝えなかったことをいいことに、僕はその後も宿題は一切やらない、昆虫採集最優先の方針を貫きました。その後も母親は、「ちゃんと宿題やったの?」とは聞きますが、「急いでやっちゃったよ」などと僕は言い返し、噓をつき続けました。今思い返すと母親は全部わかっていたと思います。

僕は昆虫採集でとってきたバッタやカマキリを、アパートのベランダで飼ってました。昆虫を捕まえて帰ってくると、いつも母親は迷惑そうに「私は昆虫は嫌いだから、自分で全部やってね」といちおう嫌そうな態度を示しました。しかし、母親は、子供で飽きっぽく次の昆虫採集の方に興味が向いてしまい、捕まえてきた昆虫の世話をしない僕の尻ぬぐいをして、昆虫の世話を文句を言いながらもしてました。今思い返すと、母親は実は生き物が大好きで、学校の宿題よりも昆虫採集に明け暮れる僕をサポートしてくれていたと思います。

そんな母親は、僕が小学5年生の時に、癌で亡くなりました。僕の生き物好きはその後も変わらず、念願だった大学の獣医学科に入りました。その後、生物の研究に興味を持つようになり、今は母親の命を奪った癌の新薬を作る研究に携わっています。

小学3年生の時は、ただただ昆虫採集で遊ぶことが自分の中で一番大切なことで、宿題をやらなかっただけでしょうが、この徹底した奇怪行動が今の自分形成に大切だったと感じてます。それを何も言わず、こっそりサポートしてくれた亡くなった母親に感謝です。


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