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会社は誰のもの? 裏切りの加害者・被害者を経験して

会社は、出資者である株主のもの。でも、日本にいる頃、もう20年以上も昔、自分の所属する会社は自分のものだった。少なくとも心情的には。その頃の日本人は、社長以下、かなりの社員が、「俺たちの会社」と会社を自分たちのもののと心情的には考えていたと思う。

俺たちの会社

1991年バブル末期に日本の大手製薬会社に入社した。4月にいっせいに入社した同期は200人ほどもいた。新入社員研修が終わると、配属先が決まり、新入社員は各配属先に散っていく。バブル期で大学時代は遊びほうけていた。当然、即戦力としては全く使い物にならない。入社後、上司や先輩から配属先の仕事を手取り足取りゼロから叩きこまれる。何とか使えるようになってくると、次の新入社員が入ってくる。次の年、また次の年と、新入社員が入ってきて、今度は先輩面して、仕事を教える側に回る。運命共同体「俺たちの会社」の中で後輩の数が増えていく。配属先で、使い物にならないと、あの部署なら使えるかも?と別の部署に飛ばされる。あるいは、こいつはこの部署に眠らせておくのはもったいない、もっと重要なあの部署でも十分使えるはずだと、花形部署に移されることもある。左遷や栄転だ。でも、相当なことをやらかさない限りは、会社をクビになることはない。何とか新卒採用した社員の中でやりくりする。典型的なメンバーシップ型雇用だ。

グローバル化が押し寄せてきても、何とかメンバーシップ型雇用を守り、対処しようとする。数年の期限付きで社員を海外赴任させる。期限が終わると日本に呼び戻し、別の社員を赴任させる。そうやって、海外経験を積んだ社員を増やして、グローバル化の波に何とか乗っていこうとする。

すべての部署が、同じように足並みそろえて成長できればいい。でも、そんな都合よくは変化しない。変化はどんどん加速し、しかもイビツで予測不可能だ。ある部署は、仕事が激減し、人が余る。極端な場合、部署ごと不要となる。別のある部署は仕事が激増し、人が足りなくなる。仕事の中身も激変する。上司や先輩が若手に仕事を教えようとしても、仕事の仕方が時代とともに加速度的に変化する。過去の経験で教えられなくなる。無理に時代遅れの仕事を叩き込まれると、成長の可能性があった若手までダメにしてしまう。新卒社員を様々な部署に配属させ、上司や先輩が配属先で若手に仕事を叩きこみ育てるメンバーシップ型雇用が通用しなくなる。人手不足の部署に即戦力を投入するジョブ型雇用を取り入れなければ対応しきれない。

人が足りない場合より、人が余ってしまった場合はさらに厄介だ。あなたの部署の仕事は激減し、人が余っちゃったので、あなたはクビです、とは簡単にできない。仕方がないから余った人を人手不足の部署に移す。でも部署によって仕事内容は異なるから、そんな配置転換が可能な部署はごく僅かだ。ならば、早期退職制度などで自主的に辞めてもらうように促す。でも、会社の思い通りに都合よくは減らない。やめてほしい人は辞めず、辞めてもらっては困る人が辞めてしまったりする。ますます会社の組織が、イビツになっていく。日本の会社が、グローバル化の波に乗り、メンバーシップ型からジョブ型へ移行していくのは、本当に大変だ。

裏切りの加害者と被害者を経験して

「俺たちの会社」の上司の立場から見ると、せっかく育てた部下が浮気して他の会社に転職することは、裏切りだ。裏切りの加害者を体験した。夢だったアメリカ赴任中に別の日系企業のアメリカ支社に転職した。赴任期間が切れても、アメリカに残りたかったからだ。自分の夢を優先させ、会社と上司を裏切った。アメリカ赴任を実現させてくれた日本の上司を失望させた。使い物にならなかった自分を何とかアメリカ赴任できるまでに育ててもらった。アメリカで蓄積した経験を日本に帰って還元するために赴任させてもらった。帰国せずに辞めてしまったら上司が失望するのは当然だ。上司から見たら凧あげの糸が切れたようなものだ。空高く挙げた凧。でもちゃんと糸でつながっている。っと思った途端、糸がプツリと切れて凧は遥か彼方へ飛んでいってしまった。自分がそんな凧になった気がした。裏切りの加害者として罪悪感を持った。

「俺たちの会社」の社員の立場から見ると、貢献してきたのに、会社の都合でクビにされるのは裏切りだ。裏切りの被害者も経験した。アメリカで転職した僕は、別の日系企業に移った。社長さんは日本から赴任していた日本人だった。他にも日本の本社から赴任していた日本人が10名ほどいた。この会社で僕はプロジェクトに貢献した(つもりでいた)。でもプロジェクトは失敗に終わった。プロジェクトの終焉とともにレイオフされた。日本から赴任した日本人は、プロジェクトが失敗しても、日本へ帰ればよい。でも、僕はアメリカ現地スタッフとして採用されていたので、他のアメリカ人と同じようにプロジェクトが終焉すれば、仕事はもうない。おさらばだ。共にプロジェクトの成功を目標に頑張ってきた日本人の社長さんは、僕がレイオフされる前に、日本に帰任されていた。後で知ったが、僕の危うい立場をとても危惧し、何とか僕がレイオフされないように、日本の本社で人事の決定に働きかけてくれたらしい。僕のレイオフが決まると、僕に謝りのメールを送って下さった。「私の力が及ばず、こんな形になってしまい、本当に申し訳ございません。貢献した社員に、会社は何というむごい残酷な仕打ちをするのか。私がアメリカ支社の社長をしてきた期間の人事の全てが否定されたようで、残念でありません。」 日本へ帰ってからも僕のことを心配してくれてた社長さんの温かい人柄に感謝感激した。とても嬉しかった。それと同時に、そんな謝りのメールをもらい、僕がクビにならないように懸命に人事に掛け合ってくれたことを知り、ビックリした。社長さんから見て、僕は裏切りの被害者だった。

これはメンバーシップ型雇用の会社として見たから裏切りとなる。ジョブ型雇用の会社として見たら、裏切りでも何でもない。当たり前のことだ。会社は、プロジェクトのある部分を遂行する人として僕を雇った。その任務を全うした。そこはしっかり評価してもらった。その分の報酬もいただいた。しかし、残念ながらプロジェクトは終わった。なので、もう僕は必要とされていない。だからレイオフされた。すでに裏切りの加害者となり、メンバーシップ型雇用とは決別している僕には当然の報いだ。いや、報いでも何でもない。ジョブ型雇用では当然の正当なプロセスだ。

ジョブ型とメンバーシップ型

日本のメンバーシップ型雇用には、温かさがある。仕事がなくなってしまった社員も、これまでの貢献を踏まえて、何とか雇用を維持しようとする。だから「俺たちの会社だ」と思える。傷ついた兵士には、手厚く看護しながら、無理なく働ける仕事を与える。元気で有能な兵士には、それらの傷ついた兵士の分も余分に頑張ってもらう。それで運命共同体「俺たちの会社」が成り立つ。

ジョブ型雇用は容赦ない。人員が足りない部署があれば、即戦力を雇い、補充する。雇った挙句、必要がなくなったら、今度は容赦なくレイオフする。日本のメンバーシップ型雇用のような温かさや恩義は微塵もない。とても冷たく、人間味がない気がする。だから心底「俺たちの会社」とは、もう思えない。

そうであれば、ジョブ型雇用が中心となった今の社会は、仕事に対して何も熱くなれない、仲間意識も生まれない、冷めた世知辛い世の中になってしまったのか?

俺の仕事

僕はそうは思わない。「俺たちの会社」から「俺の仕事」へ情熱がギュッと凝縮されただけだ。会社には旬なプロジェクトが存在する。そんな旬なプロジェクトがあるから、会社は存続できる。自分が関わりたいと思える恋したプロジェクトがあれば、そこへ飛び込む。そこには「俺たちのプロジェクト」に熱くなった同士がいる。「俺たちの会社」と思えるような会社はもう存在しない。でも、同士が集まって熱くなれる「俺たちのプロジェクト」が会社の中にある。そして同士が集まる「俺たちのプレジェクト」の中に自分ならではの「俺の仕事」がある。会社は、自分が情熱を注げる「俺の仕事」を抱えている一時的な乗り物に過ぎない。

上:メンバーシップ型雇用の大型船「俺たちの会社」
下:ジョブ型雇用の「俺の仕事」を乗せた様々な乗り物「会社」

「古き良き時代?」の一見、温かそうな「俺たちの会社」には、たくさんの副作用があった。メンバーシップ型雇用の「俺たちの会社」は、社会に出てから定年まで乗り続ける大型船のようなものだ。途中で降りることはできない。途中で降りたら負け。と思い込まされる。辛くて逃げだしたくても、乗り換える乗り物は用意されていない。八方塞がりと思い込まされる。上司・先輩が仕事を教えるため、不健全な上下関係が生まれやすい。年長者が威張り散らし、若手が自由に意見を言えない。新しい空気が入らず、空気が澱んでしまう。澱んでも気づかない。それが普通と思い込まされる。成功と失敗は、大きく明暗を分ける。だから、失敗は許されない。失敗が怖いから行動が起こせない。

「俺たちの会社」がなくなり、「俺の仕事」だけが残された世界は、一見、とんでもなく厳しい社会に見える。会社も仲間も助けれてくれない。頼れるのは自分だけ。メンバーシップ型雇用からジョブ型雇用への移行期に生きているのだから、痛みを伴って当然? 歯を食いしばって、この苦しい時代を生き抜くしかない? でも、そんな苦しい生き方は、メンバーシップ型雇用の「俺たちの会社」目線で見ていたから、そう見えたに過ぎないかもしれない。ジョブ型雇用の「俺の仕事」目線でみると風景は全く違う。マインドセットさえ変えればずっと楽しい生き方ができる世界だ。

目の前の「俺の仕事」に情熱を注ぐ。行動を起こせば、結果がついてくる。ある時は、成功する。ある時は失敗する。でも、成功と失敗はそれほど問題じゃない。行動を起こした過程の方がずっと大事だ。失敗しても行動の過程の中で自分が成長すれば、次の「俺の仕事」で大成功が待っていたりする。失敗しても、この世の終わりではない。失敗しても、自分の意志で起こした行動の末の失敗なら、何かが得られる。何かが学べる。それを糧に何度でも挑戦できる世界だ。自分に合わなかったら、逃げ出せばいい。飽きたら、次に移ればいい。寄り道してもいいし、一時休戦も許される。入社から定年まで大型船に乗っていることはできない。どの乗物に乗り、その乗物からいつ降りて、どう乗り継ぐかは、人それぞれバラバラだ。自分の頭で考えなければならない。でも、だからこそ本当に自分に合った自分の人生が生きられる。

「俺たちの会社」で得られる入社から定年まで一蓮托生の親友はできないかもしれない。でも、それぞれの会社で、「俺たちのプロジェクト」の熱い同士と出会う。情熱を燃やして一緒に働く。その中で「俺の仕事」を全うすれば、次に移っても、同士との繋がりはずっと続く。そんな同士が、「俺の仕事」の数だけ増えるのだ。「俺の仕事」にフォーカスすれば、ずっと同じ会社にいるか?、転職して会社を変えるか?、会社を飛び出してフリーランスになるか?、は大きな問題でない。一時的に乗物を変えるだけに過ぎない。

会社は誰のもの?と問われたら、もう誰のものでもないと答える。もう「俺たちの会社」と呼べるような温かい家族のような会社は存在しないかもしれない。そんな時代は、見方次第では、途方もなく厳しく、孤独で、苦しい時代に見えるかもしれない。でも見方を変えれば、自由で、失敗が許される、やり直し気がきく、自分の人生が生きられる世界だ。「俺たちの会社」はなくても、自分とともに熱く働ける同士がいる「俺たちのプロジェクト」は存在し、その中に「俺の仕事」がある。


#COMEMO ##会社は誰のもの

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