現在の生き方は幼少期の延長線上である

おはようございます。このnoteの発信を決意して5記事目の突入しようとしています。この記事を書くには(2000字程度)現在の僕のレベルだと1時間30分ぐらいかかってしまいますがいずれは1時間、30分とどんどん時間を短縮出来たらなと、できるように頑張っていきたいと思っている石川勝巳です。

前回はBBQの繁忙期を舐めており、4日目の記事を書く前日が9:00~23:00ぐらい現場に入らないといけなくてnote初心者の僕が記事を書く時間(1時間30分)を確保出来なくてあえなく撃沈。やってしまったものはしょうがないので次の対策をしっかり考えて引き続き頑張っていきたいと思います、、、、、

さてさて本日で5記事目。前回の記事はこちら

今回は自分の過去を振り返りながら自己紹介ができればなと思いながら書きます。(ついにネタ切れか、、、、、)なぜ急に書こうと思ったかというと現在店長をこうしてやっているのも子供の頃の経験が少なからず影響していると思ったからです。

僕は神奈川県の大磯町出身で3兄姉の一番下に生まれました。要するに末っ子です。僕は末っ子でかなり甘やかされて生きてきたと思います。洋服もお下がりがあるし、兄姉の影響で習い事をたくさんしたしものすごく影響を受けてきました。ピアノも水泳も塾もいきました。あと、こう見えて中学3年間指揮者やってました。

そして、僕が小学生3年生くらいの頃、母親が子育ててで一時期辞めていた仕事が再開しました。いきなり物心着く頃から家に帰っても誰もいない生活がスタートしたのです。家に帰ってもいるのはペットのワンチャンのみ(柴犬)

僕や家族を養って行く為に仕事を再開したのは重々わかっているつもりでしたが僕も小さかったのでやはり寂しかったです。その当時ぐらいから家族と共に過ごす時間は夜の2〜3時間程度だったと思います。

僕も小さかったので、色々褒めてもらいたいわけですよ。例えば、幼稚園からサッカーをしていたので『今日点とったよ』とか『〇〇できるようになったよ』とか一緒に家にいられる数時間で僕はありったけの報告をしました。

『すごいねー!』とか褒められるかと思いきや『まだまだその程度で満足していたらダメだね』とか『試合で出来ないと意味ないよ』って小さいから頃からど正論をぶつけられてましたw兄もよく喋るので同じように言い返すことが出来ない言葉を浴びてあえなく撃沈。

ああ言えば、こう言われる方程式が僕の頭の中に植え付けられ遂に僕はあんまり家で報告をしなくなってしました。小さいから頃からこう言ったらこう言われるんだろうなぁみたいな考えになってしまい、国語力が低い石川勝巳が誕生しました。そして認めてもらうには、と負けず嫌いにもなったのもこの時だと思います。

会話がダメなら、行動で認めてもらおうと思ったのが中学生ぐらいからです。言い返せないから行動でという単細胞並の思考回路です。

行動で示すと言ってもまだまだ中学生なのでただの目立ちたがりや。クラスで意見を出すときは僕はものすごく喋りますし、誰もやらなそうな委員会の長もやりました。全校の生徒の前でたくさん話しました。中学のチームではキャプテンもやりましたし大学でもキャプテンを努めました。(高校は相変わらず指揮者をやってクラスで意見を出しまくってましたがスポーツでは特に実績なしw)

寂しい→認められたい→論破できない(致命傷)→目立ちたがる→そしてそうやって気付いたら人の上にやつ機会が多くなって責任感というものが芽生えました。

こうやって振り返ると僕の現在の店長も子供のことの影響からきていたのかなって思わされます。上に立つ機会が結果的に多くてその分学んだことも多かったです。『何を学んだか』を書こうと思ったのですがちょうど文字数が良い感じなので次の投稿に書きたいと思います。

本日も読んでいただきありがとうございました。これにて5記事目終了です。



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