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場の『価値』とは何かについて語る21歳の記事

こんばんわ。

今日もある記事を紹介させていただきます。

こちら▽

読んだ感想としては僕の現在のレベルでは言語化できない何か心の中が『モヤっと』したものが発生してなんだかもどかしい感じになりました。(読んでいただければ僕の言っている意味が分かるかと思います)

僕が生きている日常を改めて考えされる記事でしかも高校生が書いているという事で言語化のレベルに驚愕して今日の記事を書く自信がなくなってしまった石川勝巳です。

さて、今日は『場の価値』について書いていきたいと思います。場の価値とはここでは『オフライン』のことを指していきたいと思います。

書こうと思った経緯といたしましてはやはりコロナの影響があります。当たり前のように続いていた日常でしたが突如大学ではオンライン授業が、会社では在宅勤務が始まりました。

そこで見たものは今までオフラインの価値として成り立っていたものが全てオンラインに奪われてオフラインはもぬけの殻状態になってしました

そうなった時、僕は思いました。元々価値として成り立っていたオフラインのものが全てオンラインに奪われた時、オフラインの価値はなんだろうと。

これからの時代なんのためにオフラインで集まるのだろうと。当たり前が当たり前でなくなった時、考え直さないといけないと思ったのです。

何かをオンラインでできるようになった時、わざわざ遠くから電車に乗って大学に行くこともなくなりました。わざわざ無駄な会議のために満員電車に揺られて出勤することがなくなりました(全部例えが電車ですいません、、、)

どちらも本来の『目的』であることはオフラインからオンラインに代替する事ができました。

大学だったら勉学、仕事だったら例えば会議とそれぞれオンラインでできるようになりました。

でも何か『物足りなさ』を感じている人も少なくないと思います。『確かに授業はできているものの、、、』『会議できていますが、、、』と言ったような物足りなさがあった皆さんにもあったのではないでしょうか。

そこで僕はオフラインにしか感じられない価値があるはずだと思い考えました。そしてついにボケーっと考えていたら腹落ちした言語化がありました。

それがオフラインは『共感』と『協働』の起こりやすいということです。

大学に入ったのって『勉強』するためですよね?それがオンラインになって家が遠い人からしても『マジオンライン感謝!!』ぐらいな歓迎を受けて良いのに『オンライン授業つまらない』から今となっては『大学つまらない』と言った声が聞こえてくるようになりました。

ということは大学に授業を受けに行っている時に皆が大学(オフライン)に楽しさ(価値)を感じているのは勉強ではないのです。

勉強はあくまで大学に行く『目的』であり皆が大学に価値を感じているのはたわいもない世間話なのです。

『あの、先生うざいよね』『分かる分かる喋ると唾が飛んでくるんだよねぇ』とか『今日の課題難しそう〜』『4限まで空きコマだから一緒にやろう〜』という声が大学では日常茶飯事で聞こえてきます。

オフラインには『協働』と『共感』が無意識のうちに何回も繰り返されているのです。

1日を振り返っても覚えていないような『会話の内容』に皆価値を求めて大学(オフライン)に足を運びます。

この『協働』と『共感』がオフラインでの価値でわざわざ人に会いに行く理由です。それがオンラインでは発生しづらいのです。

なぜならオンラインによって物理的な境界線はなくなったものの心の境界線ができてしまったからです。

つまり『共感』と『協働』に必要な『物語』が見えなてこないのです。

例えば、めちゃくちゃ家遠い子が始発で乗っていつも1限ギリギリで走ってきている子がいたとします。その子がいつも『1限疲れたよー』って言ったら友達は家が遠いことを知っているし、走っている姿も見ているから『共感』して会話が盛り上がったりしたりします。(お前んち本当に遠いよぁ、バイトとかで疲れてない?課題間に合ってる?とか。)

でもオンラインだと『画面上』のあなたしか見えてきないから『共感』できる部分が少なくなります。『共感』が少なくなると次のアクションに繋がる『協働』が発生しなくなります。(オンラインでは上の会話が丸ごとなくなる)

つまり人と何かをする機会が圧倒的に減るのです。

そこに人は『物足りなさ』を感じているのではないかなと僕は思うのです。いくら熱のこもった話をしようともオフラインであったら『聞いてねぇよ』とか『ふーん』ぐらいの興味がなくても反応が必ず帰ってきます。目には見えない強制力がオフラインには働いているのです。

それに対してオンラインは『会う前提』ではないので価値がないなと思ったら『他人』になる事が可能です。心の距離が遠くなっています。(はい、ミュートみたいな。)

この人間的な感情の正体が「場の価値」の正体だったのです。

オフラインは自分のことを『共感』してもらいたい、『協働』して欲しいそんな人間の見えない願望を満たしていたのです。

オフラインにはオフラインの価値がある。これが今日の収穫です。

こうやって書いてみて『だから大学行けないと物足りないのか』など理解しながら書く事ができました。

少し難しい内容だったので眠くなってきましたが自分なりに腑に落ちた言語化だったので理解していただけるとありがたいです。

寝る前からは以上でーす!




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