人生で君は涙を流したことがあるか
人生で何回泣いただろうか?
僕はそこまで泣いた記憶がない。
映画でも感動はするが涙を流すまではいかないし、怒られて泣くこともあんまりない。
人生で泣いたのは3回ぐらいではないかと思う。
では今日はなんでそんなことを思ったかというととある一言に出会ったからである。
それは
人が涙をする時は物事が大きく動き出すきっかけとなる
という文章である。
これを読んだ時に僕は今までどんな時に涙を流したのだろうと考えた。
僕が1番最初の泣いたのはこの世に命を預かった時である。
赤ちゃんがこの世に誕生したときに産声をあげるのは脳が赤ちゃんの体になんかしらストレスを抱えた時に脳が泣き声をあげるように仕組み化されているかららしい。
なので泣いていないとちょっと体の仕組みに問題があるのだが、初めて泣いたのはこの時である。
そして、幼少期にも泣いたことあると思うが覚えていないということは多分そこまでのことではない。
次に『あの時は泣いたなぁ』と自覚しているのは高校1年生の時である。
僕は当時、県ベスト16常連高のサッカー部に入部していた。
同年代にはサッカーをするために授業料が全額無料で入ってきたりする奴もいたり、プロサッカーチームの下部組織出身の人も大勢いて僕はその中では圧倒的に無名だった。
それでも無名だったからこそそいつらに負けてたまるかという反抗心で1年生で上級生の試合に関われるようになったし、地域の選抜チームに選出された。
そして、同年代で同じポジションを争っていた選手と一対一という先に相手を抜いて指定されたゴールにドリブル突破をしたら勝ちという練習をしていた時だった。
練習は監督が見ていると試合に出られるかどうか直結してくるのでいつにも増して選手同士のぶつかり合いが激しくなる。
そんな監督が見ている目の前で僕はスタメン争いしている選手に抜かれてしまった。そして『やばい!』と思い、後ろから足を伸ばしたら足を引っ掛けて相手を倒してしまった。試合だったらイエローカードをもらうぐらいのファウルだった。
ファウルをして自分の評価を下げただけならまだよかった。しかし、その選手は倒れたまま中々立ち上がらない。
脛(すね)の骨が折れてしまったのだ。
それで彼はすぐさま救急車で運ばれて全治8ヶ月の怪我を負ってしまった。
お見舞いに行ったものの、『彼は大丈夫気にするな』と言ってくれるが僕の心の中は穏やかではなかった。
だって自分の行いで人の人生を8ヶ月奪った経験なんてないからだ。
僕は家に帰ってその感情をどう表現したら良いかわからなかった。
そしてただひたすらに泣いた。
贖罪だったのか、なんだったのか、頭でも思考や感情を整理できてないのに人は泣くということを初めて知った。ただ、心の中がぐるぐるしていたのを覚えている。
そして最後に記憶に残っているのは高校のサッカー部の引退してしまった試合だ。
僕はそのとき残念ながら努力が実らずベンチで終わりを迎えてしまった。
別に引退をしたから泣いた訳ではない。
試合にでていた後輩に『お疲れ様』と言いにいったら『勝てなくてすいませんでした』と謝られたのだ。
その一言にものすごいを衝撃を受けた。
彼は自分より実力は認められて、高校の代表として試合に出ていたのに自分の力不足で僕達を引退させてしまったことに謝罪してきたのだ。
だったら試合にも出れなかった『僕は3年間何をしてきたんだろう』と急激な後悔という感情が込み上げてきた。
練習の時、『もう少し頑張っていれば』とか『今から1年生に戻れたら』とかいくら考えてももう遅い。
結果が全てなのだ。
引退した時に『3年間よく頑張ったね』と周囲の人に言われたが結果が出てなければ頑張っていないのと同じだ。
僕みたいな凡人はもっと努力をしないといけなかったのだ。
そして、『もっと頑張れた』という自覚があるから涙が止まらなかったのだ。
その言葉を今の自分に投げかけてみて欲しい。
『その頑張りが全力か?もっと頑張れないか?』って。
自分の限界は自分が1番よく理解している。
多分、もっと頑張れるはずなんだ。ちょっとサボっているなと理解しているはずなんだ。
それでいいのか。終わってしまったら何もかもやり直せないんだぞ。
僕はプラスの嬉しいという涙を流したことがない。
こうやって振り返ってみると、悔し涙しか流したことがない。
それは分かっていても行動してないから来る感情だ。
だったら次こそは後悔しないように1日をもっと大切に、頑張って、努力して次は初めての涙を流すときは嬉涙を流せるようにしたい。
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