新地球とは? 近未来への妄想(四)
§6 新地球を選ぶ人、選ばない人
「なになに? 神様がどうしたって(笑)?」
「キミ、頭、大丈夫?」「おめでたい人だ」
「だめだこりゃ」などと、
途中で離れた方が多いかと思われるが、
一方、理屈抜きで「なるほど、おもしろい」と
思われた方は、もしかしたら、
「新地球」に近いかもしれない。
どうぞ、この先も、お楽しみいただければ。
*****
本稿の印象が読み手によって
2つに分かれるであろう事について、
大部分の方々は、そのどちらというわけでもない
かもしれないけれど、ここでは、
この両極端の人間を想定してみる。
思うに、両者の違いは、生まれ持っての
生き方の違い、スタンスの違いであり、
理屈ではないだろう。両者は初めから水と油。
お互いに相手を説得しようなどと
考えないほうが良いと思う。
前者の方々(肯定派)は、無意識の内に、
直感・霊的感性に従って行動するタイプかな。
チコちゃんに叱られそうなぐらい、いつも、
ボーッとしている。ボーッとすることで
守護靈・指導靈からのメッセージを
何となく感じ取っているのかもしれない。
後者の方々(否定派)は、てきぱきと
ロジカルシンキングでテクニカルに世渡りする
人生を正しいと信じているのだろう。
前者の方々は、目に見えない世界に寛容だが、
後者の中のロジカルシンキング信奉者は、
目に見えるもの、報道されているものしか
判断材料にしないのだろう。
後者の方々は、前者を頭の悪い人生の落伍者
のように思っているかもしれないが、
前者から視れば、
「勝ち組」を是とする後者は、失礼ながら
支配者に都合良く飼い慣らされていると
見えなくもない。
たとえば、ワクチンに関して言うと、察するに
前者の方々は、ワクチンを嫌悪・忌避するが、
後者の方々は、何の疑いも持たずに
進んで接種された場合が多いのではなかろうか?
とはいえ、どちらもどんぐりの背比べだ。
後者がロジカルシンキング重視と言っても、
彼らもロボットではなく、人の子だ。
人間である以上、
どんな場合も実は感情が行動を決めている。
「いや、俺はちゃんと考えて行動を決めるさ」
という声が聞こえてきそうだが、
そんな彼も、先に感情が行動を選択していて、
次の瞬間に選択した理由を組み立てるのだ。
後者は、ロジカルシンキングという営みに
快感を見出し、
もしかしたら、ロジカルシンキングを使いこなす
自分に酔い痴れているのかもしれない。
ともかく、
お互いに説得するのは無駄であるけれども、
後者の方々は、今後、EBS に直面することで、
頭の中がパニックになるかもしれない。
このセクションは、無駄話のようなものだが、
本題につながる話をしているつもりだ。
更に言うと、
後者のような「勝ち組」を目指すような生き方を
されている方々には、新地球は馴染まない。
ロジカルシンキングも良いと思うけれど、
何のためのロジカルシンキングなのか?
人を出し抜いて「勝ち組」になるためか?
それとも、皆の幸せを願ってのものなのか?
「勝ち組」って何だ?
お金がガボガボ入ってくる人生のことか?
では「落伍者」「負け組」って何だ?
《人の価値ひっくり返りますのぞ》
――『大日月地神示』後巻 二十二
2016.1.28
筆者に言わせれば、
チコちゃんなんか蹴っ飛ばせ!――だ。
そろそろ本題に入りたい。
お金をどうする、などという話は
前回ご紹介した宇宙のダイナミズムに比べれば、
ほんのちっぽけな事に思えるが、そうは言っても
人類の生き方を左右する最大の狂言回しが、
実は、お金の存在だったのかもしれない。
だから、触れないわけには行かない。
先に結論めいたことを言うとするなら……
貨幣経済とは、社会の「在り方」としては、
かなり靈性の低い状態であろう。
正確に言うと、貨幣経済自体が人々の靈性を
低下させるのに一役買っているということか。
最近は「靈性」という言葉を使わずに、
「波動が低い」とか「周波数が低い」とか
いろんな言い方があるようだが。
ある程度、靈性が高い場合でも、
「平等」「均等」にこだわる人が多ければ
貨幣経済からの脱却は、無理かもしれない。
真に靈性の高い人々、
つまり「足るを知る」人々、
与えっぱなしが喜びである人々だけの世界なら
ボランティアだけで社会が成り立つであろう。
そこでは、貨幣はむしろ邪魔に違いない。
――という話に共感・納得くださる方には、
もはや理屈は要らないと思う。
次のセクション以降はお読みいただく必要など
ないかもしれない。
§7 お金も経済学も巧妙な人類奴隷化ツール
朝起きて窓を開け、思いっきり深呼吸する。
この時、大気はあなたに
「君、今空気を吸ったな。金を払いたまえ」
と要求するだろうか。
「朝日を浴びたな、代金を払いたまえ」
と太陽から手が伸びてくるだろうか。
谷川上流の清らかなせせらぎにて。
水をすくって一口飲んだ時、
川は何かを要求するだろうか。
農夫が自分の畑から大根を引き抜いた時、
土からニョキッと手が伸びて「手数料払え」と
金を要求してきたらホラー映画だ。
いきなり極端な(下手な)たとえ話をしたが、
大自然は我々に対して、時には厳しくもあるが、
基本的には「与えっぱなし」だ。
人が生きて行くのに必要な「空気」「光」「水」
という、何にも代えがたいものを、
大自然は、ひたすら「与えっぱなし」だ。
これが実は本来の姿ではないのか?
それに引き換え、
人間同士には「お金」という何やら不思議な
ルールがあって、これに縛られているのでは
なかろうか?
人間だけが、おかしなことをやっている。
お金のやり取りなど、見慣れた光景なので、
「おかしなこと」には見えないかもしれないが。
今まで「普通」「当たり前」と思っていたこと
について、その意味を一度、
問い直してみようではないか。
《人民の考えからひっくり返すのであるぞ。
物無くいたすのであるぞ。
物要るだけあれば良い世にいたすのぞ。》
――『大日月地神示』後巻 十八
2016.1.13
*****
お手数をかけて、たいへん申し訳ないが、
ここから先をお読みいただくに当たって、
その前に、お読みいただいておくと、ありがたい
ブログ記事を別に用意してある。
「お金とはなにか?」についてわかりやすく
まとめた記事で、この記事をお読みいただくと、
おそらく99%以上の方々は「え?」と
驚かれるのではなかろうか、そういう記事だ。
筆者(=経済の素人)が書いた記事なので、
ゆっくりお読みいただければ、どなたでも
ああなるほどと理解できるかと思う。
そんなに長くないので、ぜひ……。
「お金とは? 固定観念を取り払い、
二重三重の誤解を解こう」
https://note.com/katoyamato/n/nbb44b0f982b9
↑お読みいただいた方、いかがだろう?
このあと、どういう話の流れになるのか、
およそ察しがついて来られたのはなかろうか?
「お金には価値がある」は嘘であるし
「お金の量は有限である」も嘘だ。
お金とは、人々の勤労の成果を世に回すための
整理券に過ぎない。
「なるほど。だったら、お金無くせるかも」
「お金って、余計な媒体かも……」
――と予感していただけたら嬉しい。
*****
みんなお金が大好き。
たくさん貯めれば良いことだらけ。
生活に必須で便利な「人生の友」だと
思っていたお金が実は、
われわれを支配し、身動きを取れなくするための
ツールだったという話がこのセクションだ。
お金集め競争、という必死のカードゲームの
試合に参加させることで、
支配者は人類にさまざまな修羅場を作り、
まるで
生きること = 金を稼ぐこと
であるかのような世の中を作り上げようとした。
お金の便利な性質に
集めて貯めることができる
という機能がある。これこそが曲者ではないか。
この便利な機能があるために、
「生きる」とはどういうことなのか、
自分は今、何のために生きているのか、
明確な志を持たぬ限り、
分からなくさせられて来たのではなかろうか。
《金儲けならんぞ。要らん金生むなよ。
要るだけ貰えばよい。
要るだけあれば、後〈あと〉は要る所へと
廻ってゆくぞ。
誠の金とは、要るだけあればそれで
良いのじゃ。
溜めるなよ。奪うなよ。世に廻せよ。
世界中の民に廻せよ。
溜める者いよいよ笑われますぞ。
見て分かるとは、そのことぞ。
次第に要らなくなるぞ。
要るのは、もう暫くのことじゃ。
金は、人民縛る道具でありたぞ。
便を装い生んだ縛りの仕組み。
魔物の仕組みに、
いつまでも縛られておるなよ。
無き物いよいよ無くいたすぞ。
要らん物いよいよ無くいたすぞ》
――『大日月地神示』前巻 よの巻
2007.6.14
経済学も、人々を混乱させるために
そこに一役買っていたに違いないと思う。
経済学特有の雰囲気と「権威」によって、
お金というものが、何か神聖なものであるかの
ように人々を錯覚させる。
ますます、人々はお金に対して
目の色を変えることになってしまう。
もちろん、経済学のすべてが嘘だったという
ことではなく、正論の中に巧みに嘘を混ぜ込む。
特に根本的・本質的な部分にもっともらしく
嘘を織り込み、結果として人々を幸せにしない
学問に仕立て上げられている。
経済学に限ったことではない。
医学をはじめ、他の学問にも同様のパターン
が多く見られることだろう。
《教え真〈まこと〉と嘘を混ぜこぜにいたし、
滅茶苦茶にされましたのぞ》
――『大日月地神示』後巻 十八
経済学のほとんどの学派は、
お金には「価値」があり、しかも
それ故に、お金の量は「有限」である。
その量の限られた貴重な「価値」を国民から
税金として徴収することで国家は運営される…
式の誤った貨幣観を自明のこととし、
基礎に置いているようだが、
ほとんどの国民も、そう信じていたわけだ。
経済学者や、彼らから経済学を
まじめに学んだ弟子たちほど、厄介なことに、
この固定観念が色々な形で刷り込まれており、
頭の切り替えができず、素人よりもタチが悪い。
「◯◯先生の直弟子」という
高いプライドも加わって、結果として、
人々の生活の足を引っ張ることに加担してきた。
結局、経済学という学問も実は、
DS(※)の御用学問だったと筆者は理解する。
※) DS:Deep State:直訳すると「深層国家」
となるが、各国政府を背後から
コントロールしてきた闇の存在のこと。
学問とは、何かの固定観念を国民に植え付け、
誘導するためのものでもあるわけだ。
経済学で言えば、それを破ろうとしたのが、
MMT(経済理論の一つ)だったのだが、
壁は厚かった。
2019年頃、MMTが世に知られ始めた当初、
世間からどれだけ嘲りを受けてきたか。
DSは、マスコミをかなり動員して、MMTを
叩きまくっていたものだった。
まあ、そんなMMTも、新地球においては
無用の長物と化すわけだが……。
「富」とは、すなわちお金のことだ
――という間違った観念・イメージを、
国民に植え付けてしまった経済学の罪は大きい。
《お偉いさん、鼻折れますぞ。
知識、邪魔いたして苦しみますぞ。
無駄な知識、手放せよ。しがみつくなよ。
執着いたすな。変われぬ元ぞ。
世は変わりておるぞ。大きく変わるのぞ。
人間の科学、知識小さいぞ。
悪に縛られた知識、科学、仕組み、習わし、
捨てなされ。
捨てれんのは、己洗脳されておるからぞ》
――『大日月地神示』後巻 二十
2016.1.25
《学に騙されるでないぞ》
――『大日月地神示』同上
せっかく受験勉強して、学費を払って大学で
勉強したのに……みたいな声も聞こえてきそう
だが、金を払う事と、本物を得る事とは
別の話なのは、誰もが経験すること。
金を払わなくても、隣人からも自然からも、
多くを学べるのは、誰もが経験している
はずなのに、どこかで “ 金の魔力 ” を
期待してしまう。
鼻先にぶら下がった人参を追い駆ける
馬のように、我々は、常にお金の存在を気にし、
振り回されて生きている。
無意識の内に、お金の奴隷になっていないか?
《人の意識変わらねば、
世の中は変わらんのぞ。
人の意識操られておるから、
己〈おのれ〉気づかなければ
操られたままであるぞ。
人民、己が操られておること
信じられんであろうなれど、
悪魔は簡単に人を操れるのであるぞ。
悪魔の力どれほど強いか、ずる賢いか、
人民知らんのぞ。
負の感情与え続け、
好き放題に操っておるのぞ。》
――『大日月地神示』後巻 七
2015.12.29
この引用、必ずしもお金の話ではないのだが、
お金の話としても、意味が通ってしまう。
蛇足だが、更に言うと、
人権思想も、負の感情と人間同士の対立・分断を
生むという意味で、実はこれも
「支配ツール」なのではと筆者は考えるが、
この件は、今回のテーマではない。
「負の感情」とは、例えば不安心理だろう。
“ お金がないと生きて行けない ” という不安は、
常にわれわれに付きまとう。
不安どころか、多額の借金で絶望のあまり
ホームから電車に飛び込む人まで現れる。
不安から少しでも遠ざかるために、
お金をどんどん貯め込みたい……
そういう欲求へと誘導される。
現状、お金の存在は大きく厄介である。
いくら「本当はお金には価値がない」などと
理解しても、実際のところ、お金が無いことには
生活できないように仕組みができあがっている。
だからこそ逆に、ヤツらにとっては、
お金は人々を操るのに効果絶大なツールだろう。
更に効果を大きくするためには、つまり、
より効果的に人々を苦しめるためには、
お金とは「価値ある」特別な存在であり、
しかもその「量は有限」であるという演出を
加えると、「数量限定!」に弱い我々人間には、
より効果的なわけだ。
これ、意図的に仕組んだとは
普通は思わないかもしれない。
「何を言ってるんだよ、誰かが仕組まなくても
お金に価値があるのは、当たり前じゃないか」
普通は、こう考える。いや考えさせられる。
そこが《悪魔》のすごいところなのだと
『大日月地神示』は語っているわけだ。
《悪魔》は神のごとく、人の心理を見透して
コントロールできる仕組みをこしらえるのだ。
貨幣経済 ―― 実に厄介である。
(つづく 次回以降の予定 ↓)
§8 QFS と貨幣の Gold Back は
貨幣経済を終わらせるための狂言
§9 全員がボランティアなら、
社会は機能する
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