法律は行為のみを裁くのか?〜俺ら(katotoorera)の政治信条〜
以下では、俺は法律は行為のみを裁くのかについて述べる。結論から言って、俺は法律は行為だけでなく、状態も裁く。
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1.0 背景
例えば、サッカーの試合が存在して、ある白人の審判が存在する。その審判は白人にはレッドカードを出さないが、レッドカードを有色人ばかりに出す。
ある有色人がハンドをした。その審判はレッドカードを出した。ある白人がハンドをした。しかし、その審判はカードを出さなかった。
この時、感覚的には、この審判は何らかの刑罰を受けるべきであるように感じる。しかし、この審判はレットカードを出さないという状態にある。動詞の否定を状態と仮定する時、もし法律が行為のみを裁くならば、この審判は罰されるべきでない。
2.0 解決案
2.1(解釈による解決)
俺は動詞の否定をある種の状態的動詞と解釈する。
俺は動詞の否定をある種の状態的動詞と解釈する。この時、上記の審判の状態は状態に見えるが、行為である。だから、その審判は罰される。
2.2(思考の規範による解決)
もしある主体がある状態を自己の自由意志で作るならば、その主体はその状態に関しても罰される。
もしある主体がある状態を自己の自由意志で作るならば、その主体はその状態に関しても罰される。この時、上記の審判は罰される。なぜなら、彼はレッドカードを
出さない、つまり〜しないという行為を選択した。
2.3(改革による解決)
法律は行為だけでなく、状態や存在も裁く。
法律は行為だけでなく、状態や存在も裁く。ただし、その状態や存在が自由意志によって作られた場合のみである。この時、上記の状態はサッカーの審判による自由意志によって作られたので、サッカーの審判は罰される。
3.0 応用
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