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かなやたなは(@sousanusi)と政治及び統治の欠如

以下では、俺はかなやたなはに対する違和感を提示する。なお、この違和感は大和民族へと一般化される。それは政治及び統治の欠如である。

#かなやたなは

1. 説明

儒教系統の認識 かなやたなはは説明や分析ばかりを繰り返して、政治及び統治を言語的にもしようとしない。

かなやたなはは説明分析ばかりを繰り返して、政治及び統治を言語的にもしようとしない。男女問題や移民、大学や外資に関しても、彼は問題点を説明したり、悪い未来を予言するだけである。個人的には、俺は彼の説明や分析は的確であると認識する。

2. 政治

儒教系統の認識 かなやたなはは自分の単語を使用して、政治的に有利な立場を言葉で構築しようとしない。

言い換えると、かなやたなは言葉による政治すらしようとしない。悪く言うと、彼は政治という汚れ行為を自分ではやるつもりはなく、文句ばかりを言っているようにも見えてしまう。

例えば、かなやたなはは人種的に侮辱された後、彼は「モンゴロイド人種に対する侮辱だ!」と言って、政治的に有利な状況を言葉で構築しようとしない。彼は日本人よりも西欧白人の方が差別は酷いのにも関わらず、それに賛成している日本人が日本の癌などと言ったりする。そして、それは事実。

かなやたなは差別という単語もそれを使用する人々も嫌っているように見えるが、彼らの行為は一種のポリティクス?(politics)であり、社会的な行為である。ううまい言葉を使用して、相手にレッテルを貼り、政治的に有利な状況を作ろうとするのがポリティクスである(と俺は認識している。)

3. 統治

儒教系統の認識 かなやたなはは自分の単語を使用して、社会システムを言葉で設計しようとしない。

例えば、かなやたなはは移民を統治するシステムや移民を入れないシステムを彼の言葉で構築しようとしない。彼は移民を入れるとこうなるぞと予想するだけである。俺は彼の予想は実際であるだろうと認識する。

もしかなやたなはが移民を防ぎたいならば、彼はそれを防止するようなシステムを彼の言葉で作る必要がある。またはシステムを代理で設計できる主体を求める必要がある。そして、彼は移民を言葉で適切に管理、統治(govern)して、移民を防止する必要がある。しかし、現実的には、彼は何も言葉で表現しない。

当然、上記で述べたように、かなやたなははポリティクス?(politics)も実行するつもりはないので、移民の話に関しても、アメリカ大陸におけるモンゴロイド人種の歴史を持ち出さないし、自己の人種をモンゴロイド人種と言わないし、自己への侮辱をモンゴロイド人種に対する侮辱と糾弾したり、罪悪感を相手に植え付けて、有利な立場に立ったり、相手を言葉でゾクっとさせたり、萎縮させようとしたりもしない。

かなやたなはは上記を嫌がるだろう。結局、彼はポリティクス?(politics)も統治(govern)も嫌がっているように見える。悪くいうと、言語に関して、彼は政治的にも統治的にも怠惰である。


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