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松本トラヴィス(ryujitravis)は日本人(大和民族)であるのか?〜あんな(annaPHd9pj)とハーフ〜

https://twitter.com/ryujitravis/status/1560487844975886336

 以下では、俺は上記の呟きに対する俺の認識を文明的、かつ宗教的な観点から提示する。この種の中間種は一人でない。また、大和民族はトラヴィスのような発言をしないので、彼の発言こそがトラヴィスが大和民族でないことを暗示する。

また、上記の質問は「民族」を尋ねているのであり、「国民」を尋ねていない。だから、トラヴィスが日本人でないのは民族的には間違っていない。彼は「俺は日本国民である」と返答すれば良い。

画像:https://unsplash.com/photos/f6Xv0xs9JWg

1.0 松本トラヴィス

1.1(東洋文明における儒教系統の認識)
松本トラヴィスは父系中央アジア的中間人の日本国民である。

人種を遺伝的な分岐と仮定すると、トラヴィスの人種は存在しない。トラヴィスは父系コーカサス人種と母系モンゴロイド人種の中間種である。トラヴィスの民族も存在しない。トラヴィスは大和民族でない。

トラヴィスは日本国籍を持つ可能性があるので、トラヴィスは日本国民である。トラヴィスの所属文明は不明であるが、彼は西欧文明に所属しているように思える。トラヴィスの語族は印欧語族である。トラヴィスの宗教はおそらくキリスト教であるので、その場合、彼はキリスト教徒である。

また、松本トラヴィスの "トラヴィス" は西欧文明における欧州系統、または西欧キリスト教系統の名前であり、東洋文明系統の名前でない。ただ、松本は東洋文明、かつ天皇から授けられた名前である。松本トラヴィスという名前は東洋文明に所属していない。小野田紀美と異なり、松本トラヴィスは名前的にも大和民族でない。

2.0 民族と国民

2.1(民族と国民)
大和民族は民族と国民の違いを認識していない、かつ彼らの民族認識や人種認識はデタラメである。

大和民族は民族と国民の違いを認識していない、かつ彼らの民族認識や人種認識はデタラメである。彼らの民族認識は「自称スペイン系フィリピン人」や「私の白人夫と中間種の子供を自慢したいので、大和民族にしてほしい」のような本当に適当な民族認識である。

https://twitter.com/nanakoyk/status/1560922583562072065

上記が典型的であるが、安心に飛びつき、不安を回避しようとすると、上記のような民族認識が生じる。彼女は日本人と日本国民を誤魔化したい。なぜなら、彼女は白人のような顔をした中間種の子供を見せびらかして、ちやほやされたい。

しかし、彼女らは白人に関する歴史的な義務や責任を負いたくない。原子力爆弾の投下や黒人奴隷、アメリカ先住民の虐殺に関して質問されたくない。なぜなら、彼女は歴史それ自体に不安を覚える。要するに、自慢したいが、不安は嫌。

白人のような顔をした中間種を "日本人" と呼ぶことで、美男美女になった気分を味わい、醜いモンゴロイド人種である事実から逃避したい、かつ歴史的な義務や責任に関する不安からも逃避したい。この時、民族認識が「ノリ」や「その場の雰囲気」でデタラメに決定される。

3.0 民族的背乗り

3.1(民族的な背乗り)
松本トラヴィスがやってることは民族的な背乗りである。

俺の印象では、松本トラヴィスのような父系中央アジア的中間人は西欧白人に人種的に背乗りしないが、モンゴロイド人種には背乗りしようとする。おそらく、彼らの中には、有色人に対する潜在的な見下し意識が存在するのだろう。彼らは白人にはなれないが、日本人(モンゴロイド人)にならなれると考えているように思える。

彼らは民族と国民を誤魔化し、彼ら自身を日本国民でなく日本人と呼んで、大和民族になりきろうとする。そして、彼らは日本人をそのまま入れ替えようとする。しかし、なぜか西欧白人ごっこを繰り返す。上記の「日本人という言葉の本質を我々は見直す必要がある」という表現がそれである。

一般的に、民族的な背乗りや人種的な背乗りは未開人がやる行為である。東洋文明では、朝鮮民族による偽名制度(通名制度)が存在するが、これが代表的な民族的背乗りである。朝鮮人が日本人になりすまして、大和民族の父系社会に入ってくるように、松本トラヴィスは大和民族を装い、大和民族の父系社会に入ってくる。

https://twitter.com/oxomckoe/status/1106251687797223425

松本トラヴィスは自己の人種も民族も国籍も宗教も文明的な所属も何も他者に伝達しない。だから、俺はある種の不気味さを彼に覚える。その不気味さとは、「得体のしれない人が混じっている」ような不気味さである。知らない人間が俺らの家族の中に入り混じっていて、その人が俺の家族を批判しているような不気味さである。

4.0 民族と宗教及び文明

4.1(俺の儒教系統の認識)
一般的に、人種や民族に対する自己認識(アイデンティティ)はx文明におけるa宗教系統の自己認識によって決定される。

例えば、大和民族に対する認識は東洋文明における神道や仏教、儒教系統の自己認識によって決定される。この時、その民族認識は東洋文明における神道や仏教、儒教系統の自己認識である。

西洋文明では、ユダヤ教徒の白人は「ユダヤ教徒」でなく、なぜか「ユダヤ人」になる。この種の自己認識もまた西洋文明におけるキリスト教及びユダヤ教系統の自己認識である。このように、人種や民族や文明や宗教が異なると、人種や民族に対する認識それ自体が異なる。民族認識はある民族やある国家が決定するものでなく、宗教や文明によって決定される。

だから、たとえ松本トラヴィスが日本人を自分勝手に定義し直すとしても、もしその定義が東洋文明に一般化されないならば、または漢民族や朝鮮民族やモンゴル民族やチベット民族がそのように認識しないならば、その定義は機能しない。大和民族は東洋文明における東洋人同士の相互的な認識によって特徴付けられる。

5.0 国民国家

5.1(俺の儒教系統の認識)
国民国家は西欧文明における西欧キリスト教系統の侵略的な国家概念であり、それは欧州人が有色人の自然な生息地と彼らの先祖と子孫を否定する。

言い換えると、国民国家とは、西欧キリスト教徒の欧州人が有色人の自然な生息地を奪い、彼らを消滅させるための概念である。一部の中間種は彼らを日本人と認めないのは、多様性の否定であり、遅れていると感じているように見える。

けれども、欧州人がアメリカ大陸やオセアニアで我が物顔で生活している状態それ自体が不自然であり、おかしい。大和民族が松本トラヴィスを日本人と認識しないことの方が文明的であり、国民国家の危険性をよく理解している。

大和民族は自己の宗教を持っていないので、彼らは自己の善悪を持っていない。そのため、彼らは善悪の判断の基準を持っていないので、彼らは物事の善悪を判断できない。その結果、善悪があべこべになっている。本来であれば、欧州人がアメリカ大陸でアメリカ人(アメリカ国民)を名乗っている状態が白人帝国主義的であり、アメリカ先住民を不可触民にしていて、悪い。

6.0 東洋的な思考の規範

6.1(東洋的な思考の規範)
もしある主体が東洋人的でないならば、その主体は日本人的でない。
 6.11(対偶)
 もしある主体が日本人的であるならば、その主体は東洋人的である。

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