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連日、とある企業の新卒採用に面接官として携わっている。
当然、志望動機だったり就職活動の軸みたいなことを全ての就活生に聞いている。

過去の経験だったり、その人の課題意識によって答えは千差万別・・・と思っていたのだけれど、意外と?「日本を良くしたい」的な言葉を耳にする。割合としては1割強ぐらいの学生がそういう発言をしているので、なんとも驚かされている。

こういうのは比較することに意味はないのだけれど、私自身が就活生だった頃を思い出してみる。記憶のどこを探ってみても、当時の私からは「日本のために」なんて発想は出てこない。周りの友人たちにも、そういう意識を持っていた人はいなかったように思う。ひょっとしたら言葉にはしないだけで秘めた思いはあったのかもしれないけれど。


とにかく、現代の「日本を良くしたい」という言葉の正体を掴み切れずにいる。

この言葉を額面通り受け取っていいものだろうか。
彼らがウソを言っているとは微塵も感じていないのだけれど、どこまでシリアスに考えているのか、その程度が測りきれていないという感じだ。

この辺りは、思想信条ともつながってきそうな部分なので、面接の中での掘り下げも慎重にならざるを得ない。というか、そもそも志望動機自体を深掘りして聴くことをあまり重要視していないので、採否判断には不要としてそこまで深く突っ込むことはしない。
だけど、気になる。


もちろん自分たちの母国である日本を良くしようとすることに何の異論もない。ただハタチそこらの若者が、自分の将来の選択をするときに「日本のために!」と考えること自体が、壮大過ぎて理解が追い付かないという感じだ。

時代をさかのぼれば、明治維新の志士たちはハタチそこそこの年齢で、日本を変えるために立ち上がり、実際に行動も起こしてみせた。さらに歴史をさかのぼっていくと、若くして時代を変えてしまった英雄と言うのは数えきれないくらいいる。

それは頭では分かっている。

ただ、今の日本でそこまでの課題意識を本当に抱いているとすれば、そこにはどんなストーリーがあるのだろうか。

ここ数年のコロナ禍による情勢の変化やウクライナ-ロシアの戦争を発端とする世界情勢の変化か。確かに諸所の問題は枚挙にいとまがない。そんな暗いニュースから「どげんかせんといけん」と若者たちが意識高く立ち上がっているのであれば、素晴らしいことだし、私ものほほんと暮らしている場合ではないと思えてくる。

日本を良くしたいと考えながら岐路に立つ彼らが、実際にこれからどんなキャリアを描いていくのか。期待と好奇心で追いかけてみたい。(無理だけど)



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