数字で事実は把握できるのか。
今日、ある企業の中途採用の実績について資料をまとめていた。
もともとこういったレポートを作成するのは好きで、素データを集めるところから、集計するところ、見やすい資料にまとめるところなど、どの工程をとってもなぜだかわからないけれど、好きなのである。
おそらくは、感覚的に捉えていた物事が具体的な事実として、自分の中で置き換わっていくのが気持ちいいのだと思う。
というのも、私は色々なことに対して猜疑心が強い・・・というわけではないのだけれど「それ、本当?」と疑問を感じてしまうことが度々ある。
これは誰かの意見や、ネットニュースのようなものに対してだけではなく、自分がふと考えついた意見やアイデアに対しても、一様に「それ、本当?」と問うてしまうので、なんというか、そういう 性 みたいなものなのだろうと受け止めている。
そんな私にとって、数字というのは、誰かの主観を排除した客観的な事実であるので、実態を捉えやすいという点がどうにも心地よい。
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しかし、妄信的に数字を信じすぎるというのも危険が伴う。
というのもマーケティング業に就いていた友人からよく言われた言葉がある。
「数字は嘘をつかない。けれど、数字で嘘はつける」
中々トリッキーな言葉だと思う。
確かに、数字自体が意思をもって嘘をついたり誰かを騙そうとしたりすることはない。しかし、数字を扱う人がなんらかの意図をもって、見せ方(伝え方)に工夫をするということは十分にあり得る。
例えば、ある学生が数学のテストで90点を取ったと母親に「すごいでしょ」と報告をしたとする。
すると母親は「90点、すごいね!」あるいは「もうちょっとで100点だったのに惜しかったね」などと賞賛に近いようなリアクションをするかもしれない。確かにテストで90点というのは、優秀そうな成績に感じられる。
しかし、そのテストが実は200点満点だったとしたらどうだろうか。
或いは、他のクラスメイトが全員100点を取っていたとしたらどうだろうか。
少年は何も嘘は言っていない。「すごいでしょ」というのはあくまで主観であるし、それを否定することは出来ない。
これは単純な例ではあるけれど、前提条件や比較対象がなければ、数字自体に意味はなくなってしまうか、いかようにも解釈を変えることが出来てしまう。
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話を採用実績の資料作成に戻すと、思っていた以上に異業種からの転職希望者が多くいたという事実が分かったのだ。しかも似た業界などではなく、全くの異業種から。
これは二つの可能性を感じさせてくれた。
一つはまだアプローチ出来ていない母集団プールが存在する可能性。
これまで意図的にプロモーションしてリーチ出来ていなかった層がいて、今後さらにその領域を開拓できる可能性があるということだ。
もう一つは現在行っているプロモーションの妥当性に関する懸念。
意図していない母集団が集まっているということは、採活動におけるプロモーション(ブランディングや広告など)のメッセージングに何かしらのエラーがあるということだ。この場合は、速やかに現状を見直して何かしらの策を講じなければならない。
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今回は自分で素データを集めるところから行っていたので、とりあえずは誰かのバイアスによって操作されたものではない。あるとすれば私自身のバイアスだけだ。
数字をもとに事実を確認したり、状況を把握するというのは、非常に大きな意味がある。
一方で、どこまでいっても数字は数字だ。大切なのはその数字をどのように活用するのか。そこにどんな意味付けをするのかというのは、あくまでそれを扱う人の意志だと思う。
さぁ、この材料をどう調理しようか。
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