成長とはなんぞや? なぜ人は情報を発信するのか? 効果的なコミュニケーション(前編)
なんというか、
構想も練っていないくせに、
「コミュニケーション」というビッグワードを見ただけでヒヨって1回ではまとめられないと思って(前編)とか書いてしまった。
ここ最近「成長とはなんぞや?」をテーマに掲げてnoteを続けています。
成長にはいくつかの種類がありますが
「人格的・精神的成長」を構成する要素として、社会技能の成熟があると分かりました。
さらに、
社会技能の中には大きく10のスキルがあり、今日のテーマはその中の1つである「効果的なコミュニケーション」です。
「コミュニケーション」という巨人に挑む その前に。
一言でコミュニケーションと言っても、その言葉が意味するところが広すぎて、どこからアタックしていけばいいのか、途方に暮れそうになる。
こういう時は、出来るだけシンプルに考えるように意識してみる。
コミュニケーションが何か問われると、
まず、受信 と 発信に分けて考えてみようと思う。
受信 とは、外部からの情報を受け取ることだ。
一番、基礎となる動作でいうと、たぶんこれらのことだろう。
・聞く
・見る
・感じる(触れて感じる、シックスセンス的に感じる)
・匂う
・味わう
逆に 発信 をシンプルな動作で表すとどうだろうか?
・話す
・示す(動作、目線、踊り、歌)
・触れる
・思う(念じる や 祈る の方が適切かも)
これらは、自分の中にある考えを外部に向けて表現することを意味している。
それらが「効果的」というのは、どういうことだろうか。
受信であれば、誰かが発した情報をその意図した通りに正確に受け取ること。つまり、誤解であったり、認識の相違がなく、且つ意図したものを全て一滴残らずマルっと全部受け取れることが、完璧な受信と言える。
対して、発信であれば、
自分が発した情報が意図した通りに、意図した相手に届くということ。
受信とどうように、誤解や、認識の相違がなく、且つ意図したもの全て、一滴残らずマルっと全部が相手に伝わることが、完璧な発信になる。
それらが「効果的」というのは、どういうことだろうか。
少ない労力でより多くの情報のやりとりが出来ることだろうか?
そもそも、
「なぜ情報のやりとりが必要なのだろうか?」
#最近、このnote ちょっと哲学チック過ぎない?
#それが 真理 に迫るということなのだろうか。
なぜ情報を発信するのか?
誰かに情報(メッセージ)を送るときはどんなときだろうか。
・自分のことを理解ほしいとき
・相手に何かしらの行動を期待するとき
・
・
・
脳内ブレストをしようと思ったけれど、2つめに挙げた「相手に何かしらの行動を期待するとき」が網羅的過ぎて、それ以外のものが出てこなくなってしまった。1つめの「理解してほしい」というのも、理解 という行動を期待するものだから、2つめの「行動の期待」に包括される。
そうか、極端な表現になってしまうけれど、
誰かを自分の思った通りに動かしたいときに、情報を発信するのか。
動かしたいといっても、何かしらの具体的なアクションを伴うとは限らない。先ほどの例のように、ただ「理解する」「認識する」「受け止める」「承認する」みたいな、大きなリアクションは求めないけれど、脳内ではわかっていてよねということも、相手に期待する行動に含まれる。
ということは、
効果の高いコミュニケーションというのは、
発信においては、どの程度正確に自分の意図した通りに誰かを動かせるかといった、正確性であったり、或いはどれだけたくさんの人を動かせるかといった規模の大きさなどが、効果の高さと言える。
逆に受信については、どれだけ相手の意図を正確に理解し、リアクション出来るかという正確性が効果の高い情報の受け取り方となるのかな。
或いは、相手からの情報が断片的であったり、限定的である場合に、どれだけその真意に近づけるか?といった解釈の精緻さといった点も、効果に含まれるのかもしれない。
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「コミュニケーション」という正体不明の巨人に対し、
初手はなかなかいい感じのアプローチが出来たような気がする。
明日は、さらに具体性を上げて、
効果的なコミュニケーションについて、
どのような発信、受信の方法が効果を高めるといった具体例みたいなものについて考えてみたい。
#ちゃんと着地できるのか。不安。
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