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外部環境の変化をどう捉えるのか。

今日も終日面接官。

学生の話(ガクチカなど)を聞いていると、多かれ少なかれ「コロナ禍」という言葉が出てくる。

それもそうだろう。

現在、就職活動を行っている大学生の多くは、2020年(コロナが感染拡大した年)あるいは、その前後に大学に入学しており、入学と同時にリモート環境にシフトせざるを得ず、対面での学生活動が制限されていたのだ。

昨年ごろからある程度規制が緩和されたり、活動範囲がオンラインからリアルにシフトしたという、そんな世代を生きてきた方たちなのだ。


しかし、そんなコロナ禍という状況に対する捉え方は人によって大きく異なっている。

対面での活動ができなくて、辛かった、積極的な行動ができなかった、人間関係を築くことが出来なかった、焦りと不安を感じていた、、、などなど、どちらかというとネガティブに捉えている学生。

逆に、オンラインという環境下で出来ることを模索しながらチャレンジを続けた学生もいる。

さらに、オンラインから対面へと環境が変化した際にも、
「オンラインが続いて対面に慣れていない」と環境の変化に戸惑いを隠せなかった学生もいれば「いよいよ動き出せる」と一気にスイッチが入った学生もいる。


これは特定の事象に対する捉え方、認識の仕方なので、何が正解ということではない。一人ひとりによって感じ方が異なることは、言わずもがなだ。


しかし、ビジネス的な視点で捉えるとどうだろうか。

「コロナ禍」というのは、要するに外部環境の変化だのことだ。
社会や経済の仕組みを一変させてしまうほどの、大きな環境変化だった。
実際に、その変化の大きさに政府は右往左往したし、市井の人々もあおりを受けた。

ただ、コロナ禍を追い風にして事業を成長させた企業も数多くある。


つまり、外部環境自体を変えることが出来なかったとしても、その環境下でどのように振舞うか、自分の行動や意識についてはいくらでも選択肢を創ることが出来るし、選ぶことが出来るのである。(もちろん制約はある)

すごく厳しい言い方をすると、外部環境の変化はきっかけであって、結果の決定要因ではない。従って、行動しないことの理由にはならないのである。


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コロナのような感染症、自然災害、戦争など、自分ではコントロールできないほどの環境変化というのは、いつ発生するか分からないが、日本では数年に1回はどこかの地方で発生している。

渦中に巻き込まれてしまったとしたら、何も考えられなくなってしまうようなこともあるかもしれない。

それでも、なんとか足掻こうとするのか、静かに流れの中に身を潜めるのかは、自分で選べることなのである。


なんて、ちょっと熱っぽく書いてしまったが、
一方で人間には動きたくても動き出せないタイミングがあることを知っている。私自身にもそういうことがあったし、他の誰にでも起こることでもある。
だから身体が動き出せないときは、思考を深めたり、違う何かにベクトルを向けておけばよいのだと思う。
人生には何度も「ココ!」というタイミングがあるし、その何度かあるタイミングのどれかに向けて力をためておけばいいのだから。


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