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積極的に将来に憧れよう

子供のころに「将来の夢」という作文を書いたことがあるだろうか?

私は、小学校六年生のときに卒業文集で書いたことがある。
しかしながら「将来の夢」と言われても、まったくピンとこず、適当に書いてしまった。


なりたい職業ランキング なるものに、Youtuberがランクインしてしばらく経つが、子供のころから憧れの職業をイメージしているというのは、すごいことだと思う。


私は、社会人になって10数年経つまで、というか昨年の秋に脱サラするまで、やりたい仕事 や 理想の自分像みたいなものがなく、常に「運と縁とタイミング」と、ちょっとした好奇心や衝動に任せて、わりと行き当たりばったりな人生を生きてきたように思う。


結局、
15年くらい、普通のサラリーマンとして、ほどほどに過ごしていたけれど、だんだんと自分の中で「このままでいいのか?」という疑問が大きくなりすぎて、サラリーマンというレールから、降りてしまった。


今のところ、
その決断に、全く後悔はしていないけれど、思いのほか、大変な道を選んでしまったのかもしれないと、自分を嘲笑的に見てしまうこともある。


キャリアというのは面白いもので、
「正解」があるようでない。

よく日本の教育というのは、プロセスよりも結果(正解)を重視しすぎると言われることがあるけれど、学校選びや就職といったキャリアにおいても、正解を求めがちな風潮があるようにも思う。


しかし、実際には、
幸せの定義なんてものは、個人によっても違うことだし、年齢だったりライフステージによって変化していくものなので、絶対的な唯一解を求めるというのは、出口の無い迷路を行ったり来たりするようなことに思える。


働く、研究する、創作する、育む、精神世界に没入する、、、
選択肢は一つではないし、どの道の先に個人としての幸せがあるかは誰にも分からない。

お金はあるけれど不幸という人もいれば、
お金がなくて不幸という人もいるし、
お金がなくても幸せという人もいる。

広い意味でのキャリア(職業)というのは、自分の幸せを実現するための、一つの手段でしかない。
幸せのカタチが人によって変わる以上、その実現手段も人によって変わる。


私は、自分にとっての方向性がおぼろげに見えるまでに、40年近い時間がかかった。それにやっと見えたように思っていても、数年後、またモヤの中にいる可能性だってある。

そういう意味で、
人生の早いタイミングで、何かしらの憧れや目標をもって、そこを目指すことは素晴らしいと思うし、一度目指した後に、また方向を変えて別のことを目指すのもよいと思う。


多様性を認めようという風潮は強まっているとはいえ、少数派の道はいつだって険しい。使い古された言い回しになってしまうけれど、一人で行く荒野の道に風よけはなく、道は舗装されていない。だからこそ感じられるドラマ的なものもある。


まぁ、要するにあれですね、
自分のやりたいことは、ささやかでも大切にした方がよさそうということです。

そんなことをふと思った、日曜の夜。

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