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基礎的な価値の保存

自然や技術などの周囲の環境が変化する限り、その環境の中に存在するものは、その変化に適応しなければ存在し続けることができません。

そのため、変化に適応するために、変化することが必要だったりします。

ただし変化する必要があると言っても、あらゆる部分を変化させる事が求められるわけではありません。

もちろん、できるだけ柔軟に変化できる部分を持つ方が適応可能性が高まります。しかし基礎的な部分や根本的な部分が容易に変化するようでは、環境の変化に適応するどころか、変化によって自壊してしまうでしょう。

表面的な部分は柔軟に動かしたり変化させたりできるようにしておく方が良いはずです。一方で基礎的な部分や根本的な部分は、自壊しないように変化しにくくしておくことが重要です。

■ソフトウェアとDNAの例

例えばコンピュータシステムでは、OSの中心にあるカーネル部分は、一般のプログラマに簡単には改変できませんが、アプリケーションプログラムは自由に開発できます。また、設定パラメータや設定ファイルならプログラマではない一般ユーザが変更することができます。

生物の遺伝情報を保存しているDNAは、環境変化に適応する事ができると理解されています。

それでも、生命を維持するために重要な根本部分は、変化しづらくなっているはずです。進化の基礎の頃に獲得してずっと利用されている基礎や根本の部分の遺伝情報は、進化の過程で多重化やエラー訂正の機能を獲得して、新しく獲得した部分よりも変化に強い耐性を持つと考えられます。

■基礎的な価値の保存

このように基礎的な機能は、そのシステムや生物にとって高い価値があります。こうした価値の高い機能を変化から保護して維持するための仕組みを持つことは、環境の変化に適応するために重要です。

環境の変化への適応には、自身を変化させる能力だけでなく、基礎的な価値の保存能力も必要なのです。

■社会的な価値の保存

技術の進歩に適応するように、社会も変化します。その変化の中であっても、基礎や根本となる社会的な価値は変化せずに保存されることが望ましいでしょう。

社会的な価値の中で、学問や技術、産業や経済的なものは、直接的な実益を生み出します。こうした実益に繋がりやすいものは、堅牢であり、保存されやすい傾向にあります。

一方で文化的なものや理念的なものは、脆くて失われやすいため、何かの拍子に消えてしまう恐れがあります。このため、大きな人手をかけて、その価値の維持や保護を行う必要があります。

大きなものとしては、世界平和や環境問題への意識、人権やSDGsなどがあります。

このため、こうした価値の保存にかかる労力を軽減しつつ、価値が失われるリスクを軽減する仕組みが重要になります。

もしもこうした仕組みが開発されず、現状のままであれば、技術の進歩と実益に直結した価値の変化に引きづられて、文化的なものや理念的なものも容易に変化してしまうでしょう。そして、これらの価値の安易な変化は、社会の自壊につながるかもしれません。

■社会の規模と問題の複雑さ

社会の基礎的な価値の中で、文化的なものや理念的なものの維持が難しいことの原因を、人間の特性にあると考えたり、非倫理的な個人や集団にあると考えたりすることがあります。しかし、それは誤解です。原因は、社会の規模や問題の複雑さと、人間の能力のミスマッチにあります。

大海原を小舟に二人で乗って流されている様子を想像してください。

その状況で、自分たちの生活を豊かにするために、小舟の木の部材を外しておもちゃを作ったり、知的好奇心から小舟をバラバラに分解して別の形にしてみたりするでしょうか。

また、二人で協力して食料や水の確保ができている状況だとします。その状況で、意見の食い違いや過去の恨みがあって口論や喧嘩が起きるとしても、相手を徹底的に排除したり海に突き落としてしまったりするでしょうか。

もちろん、そうした人もごく一部いるでしょう。しかし、大多数の人は、そのようなことをするとは私には思えません。

また、船の上でなくても、小さな集団で生活していたとして、その集団の維持を危険にさらすほどの遊びや研究や争いが起きることが、どんな集団でも必然的に起きるでしょうか。集団内の人の需要を満たす水や食料が手に入っている限りは、そういう事は発生しにくいと私は思います。

一部、非倫理的な個人やグループがいるとしても、集団内の大多数の人によって、彼らの行動は制限可能なはずです。

しかし、地球規模の環境問題や技術進歩や国際紛争に関しては、私は楽観的ではありません。これらの問題が、私たちの社会全体を大きな危険にさらす可能性は高いのだろうと考えています。

二人の小舟や小さな集団では起きにくいことが、地球規模になると起きやすくなるということですから、ここにはギャップがあります。

そのギャップを説明するとすれば、集団の規模と問題の複雑さの違いです。そして、規模と複雑さが増すと、人間が適切に問題を管理できる能力の限界を超えてしまうのだと考えられます。

■人間の能力

人間個人の能力は、限界はあるものの、教育や訓練によりある程度伸ばすことができます。集団の能力にも限界はありますが、組織的な仕組みを上手く構築することで大きく伸ばすことが可能です。さらに道具や技術が進歩することで、個人や集団の能力を飛躍させることもできます。

問題を適切に管理するための能力も、教育や訓練、組織的な仕組み、道具や技術により、大きく向上させることができます。

世界平和や環境問題への意識、人権やSDGsなどの基礎的な価値の維持について、人間の特性上困難だと考えたり、誰か悪者がいると決めつけたりすることは誤解ですし、建設的でもありません。私たちは、問題を適切に管理する能力を向上させることに、意識を向けていくべきです。

小舟の例に戻りましょう。もし、小舟の上の二人が、お互いに上手くコミュニケーションが取れないという制約があったらどうでしょう。言葉が通じず、文化の違いからジェスチャーの意味がバラバラで全く反対の意味を持つものも混ざっていて、仮面によりお互いの表情がわからないとしたら、どうでしょうか。

こうしたコミュニケーションの困難があると、何かトラブルがあった際に、疑心暗鬼に陥る可能性が高くなります。相手が失敗しただけなのか、故意に自分の資源を横取りしようとしているのではないか、あまり積極的に生き延びるつもりがないのではないか、など、様々な憶測が頭の中に浮かぶでしょう。

この小舟での生活が長く、トラブルを何度か乗り越えてきた経験があれば、コミュニケーションが困難であっても、お互いの間に信頼関係が生まれて、このような憶測を打ち消すこともできるでしょう。しかし、その経験が乏しければ、憶測により恐怖が増大したり、理性的に考えて相手を排除した方が自分が生き残る可能性が高いという考えに至ったりするでしょう。

そのように考えると、表情、ジェスチャー、言語というコミュニケーション手段は、この小舟の上の二人が協力し合うために重要なツールであることが明確に理解できます。

また、ジェスチャーの意味の差異などを埋めるために、お互いの文化の理解をすることも重要です。さらに、経験を重ねて信頼を蓄積しておくことが、コミュニケーションと同等かそれ以上に重要であることも理解できます。

従って、コミュニケーション能力、相互理解、信頼の蓄積が、二人が協力関係を維持して問題を適切に扱う能力を高める事になります。これはより大きな集団にも同様に適用できます。地球規模でも、この能力を高めることで、今実現が難しいと考えられている問題への対応も、不可能ではなくなるはずです。

■信頼の蓄積

世界規模でのコミュニケーション能力や相互理解は、インターネットによる情報通信の発展に加えて、昨今の自然言語を理解する会話型AIのような技術により、飛躍的に高まる可能性があります。

信頼の蓄積については、技術的にはブロックチェーンによる非中央集権化の仕組みに期待しています。非中央集権化は、既存の政府や大企業の否定ではなく、そこで出来ないことを補完するためのものだと捉える方が適切です。NGOやNPOといった非政府、非営利の団体に、政府や大企業と同等かそれ以上の力を持たせることができる技術です。

政府や大企業は、その考え方にシンパシーを持っていたり、投票権や株式を保有してある程度の意見を反映させることができる人にとっては信頼性が高いものかもしれません。しかし、それ以外の人たちにとって、あるいは自分が投票権や株式を持つことができない相手としては、不気味で信頼がおけないものに見える可能性があります。

それは、政府や大企業が中央集権的で、一部の人間の意志で動いているように見えるためです。その一部の人間が私たちに悪意を持っていたり、私たちを軽視していると考えれば、その大きな影響力が脅威に映ります。

ブロックチェーンによる非中央集権化は、その行動原理や意志決定が透明です。どういったプロセスで意志決定がなされているかを、私たちは確認できます。また、基本原理自体はプログラムとして書かれており、それを容易には変更できず、かつ誰かの気まぐれで基本原理とは異なる振る舞いをすることもありません。誰かにそうした力が集中しないということが、非中央集権化の本質です。

例えばビットコインは、誰にもその数を勝手に増やすこともできませんし、発行数のルールを変更することもできません。これがビットコインに信じられないほどの信頼性を与えており、その結果、ビットコインは実物のゴールドや各国の政府が発行する通貨のように、高い経済的な価値を持つ物として扱われています。

経済的な価値や信頼だけでなく、社会的な価値や信頼にも、ブロックチェーンによる非中央集権化は応用できる可能性が高い技術です。非中央集権化により、NGOやNPOといった団体にビットコインのように信頼を与える仕組みが構築できれば、誰にも変更ができないことが保証され、誰もが無条件に信頼できるようになる可能性があります。そして私たちは、そうした信頼ができるものを世界に蓄積しながら増やしていくことができるかもしれません。

■さいごに

ブロックチェーンによる非中央集権化により、誰もが無条件に信頼できるものを世界に蓄積できる可能性は、大きな希望です。

小舟の例を思い出すと、信頼を蓄積していくことは、コミュニケーション能力や相互理解に加えて、私たちが問題を適切に管理する能力を飛躍的に高めることを可能にします。

そして、社会における信頼の蓄積は、この記事の前半で挙げていた、基礎的な価値の保存の話に強く結びつきます。

技術の急速な進歩により、私たちの社会も急速に変化し、それに個人が追いつけなくなるような未来は、多くの人は望んでいないはずです。それでも技術の急速な進歩を止める事には多くの困難を伴います。

基礎的な価値の保存は、その状況を緩和したり、防いだりするために、私たちの社会の中で変化させない方が良いものを規定して維持するということです。それを政府や大企業が担う事は困難です。なぜなら、政府や大企業は、他の政府や企業との競争にさらされているためです。そのため、私たちは基礎的な価値の保存を、政府や大企業に頼る事は難しくなります。

そこで、非中央集権化による信頼の蓄積が解決策の一つになる可能性があります。信頼の蓄積と、コミュニケーション能力や相互理解の高度化により、これまで困難だと思われてきた世界規模の問題に適切に対応する能力を私たちは獲得できるかもしれません。

それが達成できれば、政府間や企業間の競争を適切に抑制することも可能になるという好循環も期待できます。そうして、保存するべきものと柔軟に変化するべき部分を上手く管理できるようになれば、技術の進歩により社会が自壊することなく、持続的に発展することができるようになるという道が見えてきます。

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katoshi
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