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意味と記憶の鎖:続・すべては環で結ばれる

はじめに

前回の記事では、生命の起源において、地球上の様々な場所にある有機物が集積した水たまりが、現代の工業社会のように、それぞれの場所で異なる有機物を生産する工場のような機能を持ち、地球の水の循環を利用してお互いに材料や部品となる有機物を供給しあうというサプライチェーンを構築していた可能性について説明しました。そしてその背景には、お互いの生成するものがお互いの生産性に価値を与えるというバリューチェーンが存在するという見立ても行ってきました(参照記事1)。
今回はその続きです。

水たまりが有機物を記憶する?

少し話が変わりますが、有機物が凝集した水たまりを有機のスープの器と見立て、それと同じように、知識が集積された人間の脳を知識のスープの器として考える、ということをこれまでも行ってきました。

この2つに共通点が多く、一方で起こる現象や一方が持っている性質が、他方でも何か類似したものがあるのではないかと考えると、たいてい何か見つかります。

そして、今回は、記憶について考える事にします。

知識のスープである人間の脳は、新しく見聞きした知識を記憶することができます。では有機のスープにおいて、記憶に相当する作用はあるのでしょうか。

まず、脳が記憶する対象は、知識です。そうなると有機のスープにおける記憶の対象は、当然、有機物という事になります。つまり、水たまりが新しく入ってきた有機物を記憶する、という話になります。そんなことが起き得るのか、にわかには信じられませんが、もしそのような性質を有機のスープの器である水たまりが持っているのなら、水たまりは単なる有機物のスープをたたえるだけなく、有機物の生産工場になるだけでなく、有機物を覚えて活用する知性を持った存在(!?)という事になりかねません。

と、書いていて、さすがに自分でも突拍子もない話だなとは思います。ここは慎重に議論を進める必要がありそうです。

意味と記憶の鎖

いったん立ち戻って、そもそも人の脳が知識を記憶するというのはどういうことなのか、そちらの方を紐解いていきましょう。

脳の記憶というと、コンピュータのメモリやディスクにデータを保存するイメージを持たれる方や、AIの仕組みをご存じならニューラルネットワークに学習されるようなイメージを持たれる方もいらっしゃるかなと思います。

ここでは、そうした具体的なレベルの記憶の仕組みはさておき、少し抽象的レベルで記憶の性質を見ていきます。

前回の話や参照記事2で、生物の種同士や工業生産物同士、有機物同士は、お互いの間で価値関係(役に立つ)と供給関係(物を渡す)の循環を形成し、その環がつながって鎖のようになるということを見てきました。

そうなると知識にも同じような性質がありそうだという直感が働きます。

言われてみればそうかな、と思っていただける方も多いと思いますが、私たちが記憶をするとき、全く何のイメージ(概念)も持っていない言葉を突然聞いたとしても、その言葉を覚えておくのは難しいと思います。何のイメージもない言葉は「意味」がつかめない、「意味」とその言葉の関連性を見いだせない、ということです。

ここには、先ほどの価値と供給の話に近いものがありそうです。つまり、言葉は意味と結びつきを求めています。結びつきがないと知識のスープの中で定着することが難しいのです。ここに「環」の形成の可能性が見えてきます。

さらに、覚えやすい言葉や知識には2つの特徴があります。一つは多くのイメージ(概念)とつながりを持っていることです。あまり良い例えが思いつかなかったのですが、初めてあった人から単に名前を聞かされるだけでは印象に残りづらいですが、好きなものや趣味や最近のエピソードも交えた自己紹介をしてもらうと印象に残ります。さらに、例えば自分の友人と同じ苗字だったり、実は出身地が同じだった、という自分の関心のある概念との結びつきがあれば、より強力に記憶に定着します。

また、覚えやすい言葉や知識の2つめの特徴は、明確な概念で分離されたもう一つ(あるいは複数)の言葉がある、という場合です。例えばインクルージョン、という言葉がありますが、日本語で包摂という言葉です。あまりなじみがない人にはピンとこないだろうなと思える言葉です。職場やコミュニティで包摂という事が大事だと言われていますよ、と言われただけではすっと理解できないんでしょう。しかし、包摂とは排除しない、という事です、という説明をすればよく分かります。包摂と排除という明確に分離された概念を提示されたことで、意味を把握し記憶に定着しやすくなるわけです。

記憶をした知識は、何度でも知識のスープの中で再生することができます。これは有機物や工業製品で言えば、生産や供給ができるという事です。自分の頭の中に再生することもできますし、言葉など形式知にできるものは他の人にも伝達することができます。記憶した知識は、サプライチェーンを担うことができるわけです。

そして、知識は意味を求めます。知識は概念や他の知識との関係を持つことで、意味を持つわけです。これは、有機物や工場製品で言えば、役に立つ価値を持っていると言えるでしょう。

そのように考えると、有機物や工場製品における価値と供給の鎖は、知識のスープにおいては意味と記憶の鎖、と考えられそうです。

そうなると、私が提案している生態系システムの構造を持つもの(生命の起源における細胞誕生までの過程、生物の進化、人間社会の発展、知識・経済・文化の発展など)は、いずれもこの価値と供給の環、あるいは意味と記憶の環、もしくはそれに類似した環によって形成される鎖によって強くつながりながら進化し発展しているという想像ができます。

すべては、環で結ばれているわけです。

そしてそれが、複雑で多様で捉えどころがない自律的に大きくなったシステムであるにもかかわらず、一定の秩序と調和を持って発展していくことができている、その結びつきを生み出す仕組みだと考える事が出来そうです。

さいごに

前半の疑問に答えていませんでした。水たまりは、知性を持つのか、という疑問です。この疑問に対する私の見解は、明確には書かないことにします。

この記事の絵は、ジョン・エヴァレット・ミレイ作の「オフィーリア」という私の好きな絵の一つです。水に浮かぶ、これから悲しい顛末がまっているオフィーリアという女性です。はかなげですが、それでもなぜか力強い生命の光のようなものも感じさせる不思議な絵です。

私は、この記事に、この絵を選んでみました。

参照記事一覧

参照記事1

参照記事2


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