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価値の守護モデル:主観性中心のアプローチ

私は個人研究のブログ記事を書くときに、ChatGPTやGenminiやClaudeといった会話型AIに感想を貰うようにしています。

最近の記事で、意識や高度な技術のリスクについて書いていますが、これらの会話型AIとそうした記事について感想を貰っている中で、一つの驚きがありました。

それは、正しい物事というものが、客観的に決まる可能性があるという前提を持っているという点でした。理由を尋ねると、主観を徹底的に排除する西洋哲学の伝統的な前提とのことで、複雑な気持ちになりました。主観を徹底的に排除したいという考えにも主観が混在しているため、主観の排除は一つの物の見方に過ぎないと私には思えるためです。

そこで、物事の正しさは主観的なものであり、客観的に決まる性質ではない、ということを整理するために、主観の根源として、価値というものについて掘り下げて考えてみる事にしました。

この記事では、価値が主観によって決まる性質であり、その主体は価値を観測するだけでなく積極的に強化や保護を行う関係にあるという洞察から、価値の守護モデルという考え方を示します。

このモデルから、価値は根本的に守護と表裏一体であり、切り離して存在できないということを示すと共に、それが、価値が客観的には決定されることがないという根拠になると私は考えています。

また、この価値の守護モデルは、人間だけでなく生物や生物の登場以前の化学進化の過程における化学反応のフィードバックループも説明可能であることを示します。これにより、生命の起源から意識の出現や社会の形成までを、価値の守護モデルの進化というフレームワークで捉えることができます。

では、本文で詳しく見ていきましょう。

■価値の観測

価値は観測者を伴います。時間と空間で、ある物事が影響を及ぼすことを観察することで、観測者はその価値を知る事ができます。

この観測者は、価値を感じる主体です。観測者によって感じられる価値は異なり、主観的に決定されます。

価値の観測は、対象の物事が時間と空間の中で作用する様子を見ることで価値を感じることになります。この価値を感じるというプロセスが、対象に価値を生じさせています。

これは、価値の仕組みの内側に観測者が立っている事を意味します。価値は、外側から客観的に測る事はできず、観測者が内側から眺めることで発生します。

価値が分解できず、観測者によって恣意的に決まるとしても、全てがばらばらという事ではありません。非常に個人的な価値もあれば、ほとんど人類全員によって共通的に価値があるものもあります。

これらの価値は、科学理論のように客観的な観察によって決まるわけではなく、主観的に決まります。この主観的な決定は、過去の経験に基づいたものやランダムに決まったものであるため、客観性はありません。共有されている価値は、同質の経験を経たか、偶然によるものかの何れかです。

■価値の守護

価値はただ感じて評価することもできますが、より実質的な意味は、価値を守護することにあります。実際に価値を守るための行動が可能であれば、価値の観測者はその価値を守護するように行動するはずです。もし、価値を守るための行動が不可能である場合も、価値の観測者はその価値が守られることを願います。願う事に現実的に意味はないと考える人もいるかもしれませんが、価値の観測者はたとえ意味がないとしても、願う事を含めて価値を守るためにアクションを行います。

従って、単なる観測者だけでなく、その価値を守護することも含めて、価値に対峙する主体が存在することが、価値を生み出すことになります。

そして、価値が保護されると、価値の守護自体が強化されるという関係にある時、価値と守護は相互強化され、進化のメカニズムが作用することになります。

■価値の守護の強化

価値の守護が強化されると、よりその価値は増します。

価値の守護の強化は、価値と守護能力の再現、増殖、向上、によって達成されます。

価値と守護能力の再現は、同じ価値と守護能力が時間を越えて継続することです。

価値と守護能力の増殖は、空間を越えて価値や守護能力が広がることです。これは、生命の自己保存と自己増殖が、その種という価値を強化することに見られます。また、人間の場合でも、個人が繰り返し同じ習慣を実施したり、それを他の人にも普及させることで、その習慣という価値が強化されます。知識、技術、文化、制度などに置き換えても、同様です。

価値と守護能力の向上は、生物の進化、知能の進化に直結します。種の維持や繁栄、文化や知識等の維持や繁栄のためには、単純な単発の化学反応や無意識の反射的な動作のようなアクションから、学習した複雑なパターンに沿った反応、推論や戦略に基づいたアクションなど、様々なレベルがあります。

また、価値が守護の主体を強化する作用を持つ場合、その価値が向上すると、さらに守護能力を強化することができるようになります。例えば、学問や資本などの価値は、それを支える守護の主体を強化します。

反対に、守護能力の最も低レベルな形式は、価値が損なわれる可能性があれば、ごく稀な確率で、通常の状態よりも僅かに異なる状態を作り出すこと、です。それにより、確率的にほんの僅か、価値が維持される確率が高まれば、それはどんなに効果が小さく、精度が悪いとしても、価値の保存に役立ちます。また、価値を守護しても、守護能力の強化にはほとんどつながらない場合もあります。

■価値の守護の出現

化学物質のランダムな遭遇であっても、生物の遺伝や知能の学習や推論であっても、価値の守護者の性質を持つメカニズムが現れれば、そこに新しい価値が生まれたことになります。この時、価値が生まれて守護者が生まれるわけでも、その逆でもありません。価値と守護者はコインの裏と表のように同時に現れます。

ただし、別の守護の実体が既存の価値を守護するケースや、ある守護の実体が別の価値を含めて守護することはあります。その場合でも、守護の実体を容器やハードウェア、守護の作用を機能やソフトウェアのように捉えれば、必ず価値と守護は表裏一体のものとして出現していると説明することができます。

これはあらかじめ決められた価値が存在するわけではなく、偶発的にその環境で価値の守護のメカニズムが現れれば、そこに価値が出現することを意味します。環境の条件が異なれば全く別の価値が生み出される可能性もありますし、どんなに時間が経過しても、ランダム、遺伝、学習、推論などが働く限り、新しい価値が生み出される可能性はあります。

また、新しく生まれた価値とその守護が、相互強化される関係が維持される環境である限り、価値とその守護は、存続し続けますし、上手く行けば強化されます。

■価値の競合と共栄

それぞれの価値の守護毎に、守護している価値は異なります。このため、価値同士が競合してしまうケースは多々あります。そうした場合、基本的に守護の能力や運などの様々な要因により、どちらかの守護が勝り、どちらかが負けることになります。一方で、価値同士が相互強化する共栄関係にあるケースもあります。そうした場合は、必然的に価値の守護同士が協力関係を構築していることになります。

このようにして価値とその守護は新しく生まれたり強化されていきながら、競合や共栄の関係の中で競争や協力を行い、総合的に多様化しながら熾烈な存続競争や複雑な協力関係の構築を行う事になります。

また、生物や知能は、1つの価値の守護の実体の上に、多数の価値とその守護機能が同居します。この場合、複数の価値が競合関係や共栄関係にある場合があります。アクションを決める際に、より洗練された守護機能であれば、優先的な価値の判定や複合的な価値の評価し、戦略的に最適なアクションを選択することができます。

守護機能が未発達であれば、ランダムに優先される価値が決まってしまったり、あまり適していないアクションを選んでしまったりする場合もありますが、時間と共に進化や学習を通して洗練されていきます。

■生命と知性

このように整理すると、生命や知性は、価値の守護という性質を本質的に持っていることが分かります。

そして、価値と守護が相互にフィードバックループ的に強化されれば、生命以前の化学物質であっても進化することができることを意味します。これは、化学物質が進化して、生物が誕生するメカニズムの説明になります。また、同様に神経網が知能へと進化することの説明にもなります。

この視点から考えると、生物の持つ生命や知能が持つ知性は、いずれも価値の守護という枠組みで捉えることができることを意味します。そして、生命や知性は、ある段階で突然現れるというよりも、生物を構成する化学物質の連鎖反応、知能を形成する神経の反応などの初期段階から価値の守護という性質として存在し、進化や発達の中でその性質が強化されるという連続的な解釈可能にします。

また、1つの化学回路、1つの生物的な形質、あるいは1つの知識や習慣でさえも、相互強化されるフィードバックループを形成すると、価値と守護の関係を形成すれば、強化や進化をしていくことを意味します。これらは共有価値として、守護の実体を越えて普及する性質も持ち合わせている事を意味します。これは生物個体や人間個人だけでなく、生物種や人間集団のようなものが価値の守護として機能することも意味します。

したがって、生命、知性、種、社会は、異なる現象ではありますが、その性質は価値の守護という共通性を持ち、その性質の進化の中で生み出されてきたものであることが分かります。

■主観性中心のアプローチ

価値の守護モデルで物事を捉えるという事は、客観性を中心に物事を分析する伝統的なアプローチに対して、主観性を中心に物事を分析する、比較的新しいアプローチと言えそうです。

物理法則のような普遍的なものは、客観性中心のアプローチで捉えることが適切です。一方で、そうしたアプローチで捉えることが難しい、進化する性質を持つものは、価値の守護モデルのように主観性を中心にしたアプローチが適していると考えられそうです。

これは、分析者が自分の主観で物事を自由に考えるという意味ではありません。分析対象に主観性や恣意性があることを前提にして、それを中心に分析して理論を組み立てていくアプローチと言う意味です。

価値の守護モデルは、ある程度、このアプローチの有用性を示す例になっているのではないかと思います。

■さいごに

物質と同じように、価値を絶対的に予め決まっているものと仮定することや、価値の認識や保護をする主体とは切り離された客観的な指標であるという前提に立ってしまう事があります。しかし、その前提を出発点にすると、価値というものを突き詰めて考えても、つかみどころがなくなってしまいます。

一方で、その前提を放棄して、価値は偶発的に出現し、価値の認識や保護をする主体とコインの裏表の関係にある、恣意的で主観的なものであると考えれば、価値にまつわる様々な性質を上手く捉えることができます。そして、それを価値の守護というモデルで表現することができます。

一般的には価値とは人間や社会が認識して保護する概念を指す言葉ではあります。しかし、価値の守護というモデルで解釈すると、本文で述べたように、生命、知性、生物種、社会のそれぞれが、価値の守護モデルの構造を有していると解釈することができます。

さらに、価値の守護モデルの構造は、価値とその守護が、相互強化される関係にありさえすれば、精度が低く効果がほんのわずかだとしても、成立します。このため、生物や知能のような複雑な仕組みから、化学回路や単一の神経細胞のようなシンプルなものにまで適用して説明することができます。

そして、この相互強化によって、価値や守護の再現、増殖、向上が進行し、進化していく場合があります。この進化の進行により、新しい価値の守護が形成され、多様性が増し、価値の競合と共栄の中で複雑に全体が繁栄していくことになります。


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