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ブロックチェーン:過去と未来を決定的にする技術

ブロックチェーン技術は、ビットコインを始めとするデジタル通貨や暗号資産のための技術として知られています。また、スマートコントラクトのようなデジタル上での取引や契約に関わる技術にもなっています。

私はこの技術をより広い文脈で捉えており、特に改変不可能な記録を行える点と、事実上変更不可能な形で未来の時点でプログラム的な処理を実行することができる点に着目しています。それは、過去と未来を決定的にする技術として私の目には映っています。

一般に、過去は一定であり、変化も改変もできないと考えられています。また、未来は不確定であり予測はできないが、変化させることはできると捉えられています。

この記事の前半で、この考え方について別の見方を提示します。その上で、この記事の後半では、ブロックチェーン技術による過去と未来の概念への変革について、私の考えを説明していきます。この過去と未来の概念の変革は、私たちの社会における信頼の概念に対する変革につながります。この変革が社会に大きなインパクトを及ぼす可能性について考えていきたいと思います。

■客観的な過去と主観的な過去

まずは過去について見ていきます。

経験上、現在経験した事が、未来を決定しており、現在は一定であることを私たちは知っています。そこからの類推で、自分が経験していないほど遠い過去や、自分が直接見聞きしていない場所で起きた出来事も、同じように一定であると考えていることになります。

それは、証明することはできませんが、客観的に見れば真実でしょう。過去が一定ではなく複数あったり、ブレているという証拠も提示できないためです。

しかし主観的には、過去は一定ではありません。私たちが過去を主観的に認識する時、記憶や記録に頼っています。経験的に、私たちは自分の記憶が一定でないことや曖昧でブレがあることを知っています。また、記録も一定ではなく、誤解や捏造が入り混じっていることがよくあります。

このため、記憶や記録を複数集めて、過去を一定のものであるという前提に立ち、つじつまが合うかどうかという客観的な基準を用いて、過去を決定しようとします。

したがって、客観的に見れば過去は一定かもしれませんが、私たちの主観の上では、一定になるように自分たちで調整を行っているにすぎないことが分かります。そして、情報が不足していたり、確定させることが困難な複数の異なる情報がある場合、主観的な過去はブレや複数の可能性を持ちます。

■客観的な未来と主観的な未来

未来についても見ていきます。

考え方にもよりますが、未来も客観的には一定で確定している可能性がある一方で、主観的には不確定でブレを持ちます。

客観的に未来が確定しているという考え方は、決定論とも言われます。物理的には、例えば、真空中にある物体がある速度を持っている時、1秒後にどの位置に移動するかは正確に予測することができます。つまり、そのボールの未来は既に決まっています。

この考え方を、宇宙にあるすべての原子やエネルギーに適用すると、1秒後の未来は既に決定しており、その次の1秒後も既に決定しており、どこまで未来に伸ばしても既にすべては決定していると考える事ができます。

もちろん、それを私たちが予測できるという話ではありません。全ての原子やエネルギーの予測を行うための計算は事実上不可能ですし、現在の位置や速度を全て正確に把握することも不可能です。しかし、予測できるかどうかと、決定しているかという話は別の話です。

一方で、主観的には未来は不確定であり、ブレを持ちます。なぜなら、仮に決定された未来を予測できた場合には、その予測された情報を元に、私たちは自分の行動を変える可能性があるためです。そうすると、予測された未来とは反する未来が形成されることになります。このため、たとえ客観的に未来が決定しているとしても、私たちの主観的な未来は常に未確定で、ブレを持っています。

■過去と未来の理解の整理

以上を整理すると、過去も未来も、客観的には一定であり決定されている事になります。一方で、主観的には、過去も未来も一定ではなく、未知やブレを持ちます。

主観的な過去と未来の未知やブレは、現在から遠く離れれば離れるほど大きくなります。これはちょうど三次元空間上で離れたものは見えづらくブレて見えることと同じです。今、ココにいる私という主観からは、時間的にも空間的にも近い物は一定に近いものとしてはっきり捉えることができますが、遠いものは不定でブレた状態でしか捉えることができないという事です。

反対に、客観的には、空間上でも時間軸上でも、今、ココという主観とは独立して、全ては決定されているということです。

なお、話の整理の都合上、量子力学的な不確定性の話は伏せました。もし量子力学の不確定性について言及するのであれば、決定しているのは物理的な位置ではなく、確率分布です。客観的には、過去も、未来も、確率分布が決定していることになります。そして、主観的には、確率分布にも未知やブレがあるという事になります。

■確定された主観的な過去

ここで、過去と未来の整理をしたのは、ビットコインの技術の真価を明確にしたかったためです。

ビットコインに使われているブロックチェーン技術は、過去の履歴を改変不可能にするための技術と言えます。ブロックチェーンに記録されている情報は、もちろん人間が記録しているのですから、完全に改変が不可能という事ではありませんが、ビットコインのネットワークに参加している全てのサーバのうちの過半数を改変する事ができなければ、改変が成立しない仕組みになっています。

ビットコインのネットワークに参加しているサーバの管理者は、世界に多数存在しています。これらの人々の多くは、ビットコインが改変されない事が、利益につながる人たちです。そして、社会的な背景が異なる人々が参加しています。

このため、たとえ大国の政府が要請しても、その要請に従う必要がある人が過半数を超えていなければ、改変する事はできません。複数の国の政府が手を取り合って、各国にいるサーバ管理者に要請をしたとしても、それはサーバ管理者の利益に反するため、素直に従うとも思えません。このため、複数の国が協力して、かつ、要請レベルでなく強制をすることで、ようやく改変が可能になります。つまり、ビットコインのブロックチェーンの情報の改変は原理的には改変は可能なのですが、現在の社会体制においては事実上不可能なのです。

ビットコインが巧妙なのは、純粋に技術的に高度であるだけでなく、社会の仕組みを利用して改変不能性を達成するというアイデアです。これは純粋に技術の側面だけで考えていたら不可能な発明です。

そして、この社会的な仕組みを利用して、事実上の改変不能性を達成したビットコインは、過去の在り方に根本的な変化をもたらす技術となります。先ほどまで整理したように、主観的には私たちの認識できる過去は、未知やブレを持っています。

しかし、少なくともビットコインのブロックチェーン上で行われた過去のやり取りは、全て正確に改変されたり欠損したりすることなく記録されています。これまで人類が過去について知るための情報であった、脳での記憶も、文章での記録も、忘却やブレや誤解や改変の恐れがありました。だから、私たちの主観的な過去は、不確定だったのです。

しかし、少なくともビットコインのブロックチェーン上に記録された、ビットコイン取引の履歴情報については、漏れもブレも誤解も改変も事実上行われていない情報です。ビットコインの取引履歴というごく狭い範囲の情報ですが、人類が過去について持っている情報の中で、これだけ確定された確実な情報は、他に存在しません。

従って、ブロックチェーン技術は、主観的にも確定された過去を形成する仕組みを作る技術となりえるポテンシャルを持っているという事です。

ただし、ビットコインの取引履歴は、ビットコインの仕組みそのものと密接であるため、記録時点での誤記や意図的なフェイク情報が混入しないことが保証されているから、信頼できるという点に注意が必要です。そうした保証がなく単に情報をブロックチェーン上に記録しても、もともとの情報がフェイクである可能性があれば、意味はありません。

このため、確定された過去を形成するという事は、単にブロックチェーンに記録すれば済むという単純な話ではなく、また、現実に起きたことを、主観的にも確定された過去として記録することができるかどうかは、分かりません。少なくとも、メタバースのような世界での、もののやり取りの記録であれば、応用できる可能性は高いでしょう。

■確定された主観的な未来

ビットコインを取り上げたもう一つの理由は、主観的な未来についても確定させることができているためです。

ビットコインは、ビットコインの履歴が改ざんされていないことを保証するために参加しているサーバに膨大なチェック計算をさせていることが知られています。そのチェックのためのサーバの運用費用も膨大なものになりますが、チェックを行うとビットコインが貰えるという仕組みが内在しています。これにより、サーバの運用費用よりも貰えるビットコインの価値が高い限り、チェックするためのサーバを動かして稼ぐということが事業になるため、ビットコインの仕組みが運営し続けられることになります。

この報酬として提供されるビットコインの量が多すぎると、ビットコイン1枚の価値が下がってしまう懸念があるため、予め未来における報酬の量が減少するようにビットコインの仕組みは設計されています。この報酬量を自由に変更できてしまうと、ビットコイン1枚あたりの価値を操作できてしまいますので、それを防ぐために、報酬の減少量は初めから決まっており、誰にも変更することはできません。

これは、ビットコインがブロックチェーンによって過去の履歴を変更不可能にしているのと同じように、未来も変更不可能にしているという事を意味します。人間が作ったものの中で、その未来の変更を不可能にするというのも、私の知る限りビットコイン以上に強力な仕組みは無いように思えます。

これは未来が予見できるということと、予見できてもそれを変更するように行動しようとしてもできないという二重の意味で、確定的な未来だと言えます。

原理的には全てのサーバのビットコインのアルゴリズムを変更すれば不可能ではありませんが、社会的な仕組み上、事実上は変更が不可能です。未来の変更不可能性にも、社会的な仕組みが利用されています。

このように、ビットコインの報酬の減少量というごく限られたものに過ぎませんが、人類が自ら作ったものの未来を変更不可能にし、主観的にも確定された未来を作る事ができている事になります。

これは、確定された過去と同様に、確定された未来を形作ることができるという可能性を示唆しています。もちろん、これも物理的な現実世界への応用は困難と思われますが、ビットコインのような情報資産やメタバースのような仮想世界の範囲であれば、確定された未来の形成に応用できる可能性があるという事です。

■スマートコントラクト

ビットコインの次に人気のある暗号通貨であるイーサリアムは、スマートコントラクトという仕組みが取り入れられていることで人気を得ています。これは改変不能な履歴というブロックチェーンの性質を応用した、動作する契約書です。そこに書かれたプログラムが、イーサリアムのブロックチェーンに対して動作します。

これにより、例えばある期日までに契約したAさんがBさんに決められた金額のイーサリアムを支払うと、自動的にBさんが持っているNFTトークンがAさんの所有物になる、といった取引契約を結び、それを確実に執行することができます。

そこに付け加えて、Aさんが期日までに支払わなければ、ペナルティとしてAさんからBさんに自動的に違約金に相当する額のイーサリアムが支払われるとか、その違約金は予めAさんが持ち出せないように差し押さえておくと言ったことも、プログラムとして記載できます。このようにして、複雑な契約も、確実に執行することが可能です。

スマートコントラクトは、ブロックチェーン上の暗号通貨や暗号資産の範囲に限定されますが、紙の契約書よりも確実に機能します。これも、ビットコインの報酬の減少と同じく、確定的未来を形成しているという事を意味します。そして、ビットコインの報酬の減少とは違って、多くの人が自由に追加することができる確定的な未来です。

■ブロックチェーンの技術の真価

ビットコインやイーサリアムが主観的にも、過去や未来を確定させることができるという点が、ブロックチェーンの技術の真価です。

これは、ブロックチェーンに記録されるデジタル的なものだけが、その対象範囲です。しかし、ビットコインが現実の通貨との換金性を持つという意味で、現実世界にも間接的に大きな影響を与えています。また、NFTのような仕組みで不動産や実物のアートの所有権の管理を行う試みや、紙の契約書をスマートコントラクトに移行するという試みが進展すれば、より深く現実社会に影響を及ぼすことになるでしょう。

このような形で、デジタル上の出来事とは言え、主観的に確定される過去や未来を形成する技術を人類が手にしたという事の意味は、おそらく現時点で私たちが考えているよりも広範です。私たちの現在の社会は、主観的には不確定な過去や未来しか存在しないことを前提に、形作られてきました。

ここへ、確定可能な過去や未来が形成できるという画期的な進歩が出てきたことは、例えるなら言語を発明する以前と以後の人類の変化に匹敵することかもしれません。言語を発明したばかりの人類が、その意味と可能性について想像できた範囲はおそらく、言語が実際にもたらした意味と未来に比べて、とても狭かったに違いありません。

私は、サッカーの試合にビデオ判定の仕組みが導入されたことで、選手たちが審判の目を盗むラフプレーをすることを控えるようになって、サッカーがフェアプレイに推移して面白くなったという話を聞きました。ブロックチェーン技術の真価を考えた時、このサッカーのエピソードは、私には希望に思えます。

過去が正しく記録され、誰の目からも明確に判定されるようになることはある種の不安がありますが、このような素晴らしい効果を生む可能性もあるという事です。

未来についても、現在、私たちが悩まされている環境問題への足並みのそろわない非協力的な状況や、社会の分断の懸念についても、この確定可能な未来の形成という技術が、何らかの思わぬ良い効果へと応用できるのではないかという期待を、私は持っています。

■さいごに:過半数の善意への信頼

非協力や分断の本質は、お互いの悪意ではなく、他者や多文化への理解の困難さに起因している可能性があります。公式に文書化された条約でさえ、その言語的な不完全さに起因してブレが生じる余地があり、そのブレがお互いの言語表現の差異や常識の相違による誤解や認識違いや曲解によって拡大されるという例は多くあるようです。

公式に文書化された条約でさえそのような状況であれば、私たちの日常的な取引や交流において誤解や認識違いが起きることは当然です。そうした経験は、私たちに異文化への苦手意識や不信感を醸成してしまうでしょう。利害関係や損失の低い平和的な場であれば多くを許容できたとしても、シビアな場面ではその誤解や認識違いが、相手には悪意と受け取られることもあるでしょう。

厳密に決定可能な過去や未来を形成できるという事は、こうした誤解や認識違いを防ぐ事に繋がります。もし誤解があったとしても、それは相手の悪意によるものではなく自分のミスという事が明白です。もちろん、あえて厳格化しないで曖昧さを残しておくという交流の仕方もあり得ますが、お互いが合意の上で厳格化する手段があり、それを選択できるという事は大きな進歩です。

現実には悪意を持った人々もいます。しかし、通常の集団において、そうした人々の存在は少数です。圧倒的な多くの人は基本的には善良です。一部の悪意が社会に不信感や警戒感をもたらし、誤解や不信感が集団を分断します。これまでは、こうした悪意と善意を見分けることも、誤解や不信感を抑えて信頼を構築することも困難だったのです。

しかし、こうした厳密に決定可能な過去や未来を形成する技術を適切に使いこなすことができれば、こうした状況を覆すことができる可能性があります。ビットコインは社会的な仕組みと経済的な仕組みを活用して過半数のサーバの書き換えを事実上不可能にしました。これを応用すれば、過半数の善意があれば、悪意による操作を許さず、そこに人間同士の信頼以前に、厳密に決定可能な過去や未来という信頼の起点を作り出すという仕組みが実現できる可能性があります。

そのような仕組みができれば、社会の過半数以上が善意を持っていれば、信頼関係を容易に構築できるという世界が実現できるかもしれません。私は先ほども述べたように、社会の過半数の善意という条件は容易に達成できると考えています。このため、こうした仕組みさえ実現できれば、異文化や異なる考えの人たちとの間ですら、容易に信頼関係を構築できるという、今まで人類が体験した事のない状況が、社会にもたらされるのではないかと考えているのです。

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