【“原理”を羅針盤に】公教育の本質は「自由の相互承認」の実質化
訪問いただきありがとうございます、教育探求家・ビデオグラファーの加藤聡です(元・日本テレビアナウンサー/報道キャスター)。
前回までのnote では、日テレでの歩み、NPOカタリバでの歩み、個人としての取り組み、教育にフォーカスする問題意識について記してきました。
今回は、教育のあり方を考える上でキーワードになる「自由の相互承認」について、私なりに整理してみたいと思います。
大注目の哲学者・教育学者 苫野一徳さん
「自由の相互承認」を考える上で、その代名詞と言っても過言ではないのが哲学者・教育学者の苫野一徳さんです。
ご存知の方も多いと思いますが、熊本大学教育学部の准教授であり、多くの自治体や学校の教育アドバイザーを務められ、ポッドキャストも人気を博している、いま大注目の方です。
私が苫野さんのことを知るきっかけとなったのは、NPOカタリバが制作した、校則の見直し(ルールメイキング)に関する動画教材でした。
(私は映像制作ディレクションの立場で参画)
生徒が主体となり、先生や保護者、地域などの関係者と対話を通じて校則など身近なルールを見直す「ルールメイキング」
動画教材にも出演・解説いただいた苫野さんは、「ルールメイキング」の意義や実践における留意点など幅広い視点で支援・伴走いただいている、プロジェクトの理論的・精神的ないわば支柱です。
「哲学」について、それまでは難しいイメージで“食わず嫌い”でしたが、苫野さんを知り、その明快な解説と優しい語り口にどんどん引き込まれ、すっかりファンに。
教育に関する様々な論点・具体的な実践と、社会の本質・正当性といった抽象的な概念とが有機的に結びつき、自分がぼんやりと考えてきた思考がクリアになっていく感覚を覚えたのです。
先に掲げたリンクからポッドキャストを覗いていただき、興味がわくタイトルの放送回を聴いていただければと思いますが、苫野さんの発信されてきた多くのコンテンツの中でも、特にご紹介したいものがあります。
『どのような教育が「よい」教育か』という著書です。
(この記事のサムネ画像で私が持っているものです)
フッサールやヘーゲル、自らの師である竹田青嗣といった哲学者たちの“思考のリレー”を踏まえながら、教育の本質や正当性などについて、非常にわかりやすく解説されています。
以下、正確性が失われてしまうリスクを自覚しつつも、私なりに理解したエッセンスを記してみます。
フッサール「現象学」 “確信”を持ち寄り議論を前に
フッサールの「現象学」を援用すると、私たちは「よい」教育を論じ合うことが可能になるといいます。
すなわち、何らかの教育論が「絶対に正しい」とは言えないけれども、私たちが何らかの教育を「よい」と確信する時に、「自分にそうした確信が訪れていること」自体は、疑うことも相対化することもできない。
こうした確信を出発点に、「よい教育」と感じるものの成立条件や構造を他者と問い合い、共通了解を見出す議論が可能になる、というのです。
ヘーゲル哲学 「自由の相互承認」が社会の原理
ヘーゲルによれば、人間的欲望の本質は「自由」であり、それを達成するための根本的な社会条件として「自由の相互承認」が近代社会の原理だといいます。
つまり、1人1人が自由でいられるためには、自分の自由が他者から認められると同時に、自分自身も他者の自由を認める必要がある。
そのためには、お互いが自由な存在であることをルールとして認めあい、お互いの自由のあり方を調整し合う社会を構想することが必要になる、といいます。
公教育の本質は「自由の相互承認」の実質化
こうした先人たちの思考のリレーを土台に、苫野さんは教育の本質について、次のように解説されています。
ここでいう教養=力能としては、「自由の相互承認」の感度や、知識、コミュニケーション力、自制力などがあり、公教育でそうした力を育くむ、と。
そして、様々な教育理論やアイデアは、「各人の自由および社会における自由の相互承認の実質化」という目的における、状況に応じた実践理論として捉えることができる、と述べられています。
教育は、個人のためであると同時に社会のためでもある。
こうした考え方は、教育基本法にも明記されています。
「自由の相互承認」というキーワードを、教育政策のど真ん中に掲げている自治体も。例えば、岐阜市の教育大綱には以下のように記されています。
コテンラジオも「民主主義」をテーマに
ここまで見てきた哲学アプローチに加えて、歴史をひもとくことで、民主主義の成り立ちや現状を理解する解像度をいっそう高めることができます。
タイムリーなことに、人気ポッドキャスト「コテンラジオ」の最新テーマも「民主主義」でした。
フランス革命、イギリス議会制度、ワイマール共和国、アメリカ、そして日本。各国の歴史を振り返りながら、どのように民主的な国家が形成されてきたのか、俯瞰することができました。
ポッドキャスト最終話の中で、COTEN代表の深井龍之介さんが民主主義の難しさと教育への期待に触れていたのが印象に残っています。
「自由の相互承認」を羅針盤に、社会実装を
教育に関する議論の難しさの1つは、「誰もが一家言をもっている」ことだと思います。自分が受けてきた教育と照らして「こうあるべきだ」と、誰もが議論を展開できてしまいます。
しかし、個々の経験をベースに議論した時、その正当性や再現性には疑問符がつきますし、価値観がぶつかりあった時に共通了解を見出すのが難しくなってしまいます。
だからこそ、先人たちが積み重ねてきた“思考のリレー”を活用したいのです。
「果たして、この教育のあり方は、社会の原理である“自由の相互承認”の実質化に寄与するだろうか?」と立ち返ってみる。
自由の相互承認の「感度」を育む観点からは、例えば校則の見直しに象徴される学校運営に生徒が主体的に関わっていく。
画一的で一方通行の自由度が低いスタイルから脱却し、デジタルも活用した個別最適な学び、プロジェクト型学習を通じて、多様性の尊重や他者との協働といった価値を体得していく。
そうした実践は、各地で芽吹き始めているとも感じます。民主主義がピンチのいまこそ、本質的な価値に立脚した教育のあり方を模索し、実装していきたいものです。
次回予告 「メディアリテラシー」
noteを始めて、5回にわたり、自己紹介や教育への問題意識、価値観などを整理してきました。次回からは、より具体的・実践的な知見をシェアしていきたいと思ってます。
そのスタートとして、次回は「メディアリテラシー」を取りあげたいと思います。
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