消費者として生きるか、生産者として生きるのか
食糧危機、という言葉が新聞やテレビでも取り沙汰されるようになってきまして。ま、僕自身は仲間が畑をやっているし、うちの周りは米どころですから、自分の周囲の数十人に関して言えば、何が起ころうと全く問題無いという感じで、基本的に他人事です。
ただ、食糧危機に対して動いている人たちを見ていて思うのは、ほとんどの人が、今、米を買いだめしておこうとか、備蓄するんですね。その備蓄においても、どのような商品は腐りにくいとか、賞味期限が長いとか、保存の袋はこれがおすすめとか、そういう話に終始するわけです。「消費者」だな、と。消費者目線で物事を見ていると、そうなってしまうのでしょう。
現代のほとんどの人は、自分で「物を作る」という経験が無い。たとえ、メーカーに勤めていたとしても、実際の製造をしていない人がほとんど。工場はロボットで作っているわけですし。農家だって、そうかもしれない。化学肥料と、与えられたビニールハウスと、農機具とを使って「生産」することは、大きな農業システムの一部として働いているわけです。そうなると、果たして彼は自力で米やトマトを作っているのだろうか、と。専業農家としても、大きなシステムの中で作っているわけです。
それが良い悪いという話ではなく、社会が拡大していけば、そうなります。大きなシステムの中の、歯車の一つになるしか無い。その結果、ほとんどの人は、物を生産していないのです。
今の時代、物を生産するというのは「仕事」ではなく、「趣味」の領域です。釣りもDIYも陶芸もキャンプも、ほとんどは「趣味」です。人間は物づくりの本能欲求があるのですが、現代社会のシステムでは、それは「仕事」にはならないために、趣味のジャンルになっています。お金を払って物を作るのです。
現代人のライフスタイルは、どこかに就職して、何かよく分からないけれども、社会の歯車の一つとして「働く」。自分が生産している実感も無く、生産のスキルもつかない。そして、お給料をもらい、それを消費して生活する。ほとんどの人は、働くことの決定権は持っていません。ベンチャー企業の社長ぐらいじゃないでしょうか。人口の1%もいないと思います。
99%の人が決定権を持っているのは、ほとんどが「消費」について、です。ですから、いかに消費するか、「賢い消費者」になるかが、人間的な活動のほとんどになってしまいます。
我々は、野山で美味しい木の実を探したり、イノシシを追いかけて捕らえたりして、食料を得ているわけではありません。スーパーやコンビニや外食で「賢い消費者」として、食料を得るのです。生まれてからずっと、そうやっているんですから、そのような行動しか取れなくなります。
余談ですが、美味しい木の実を探したり、イノシシを追いかける「本能欲求」が我々にはありますので、それは、ギャンブルとか、ソシャゲのアイテムコレクションとして発揮されます。ま、そんな社会です。
我々は、脳で情報を得ています。目や耳から、可視光線や音波として入力されていても、脳が「それに意味がある」と判断しなければ、見えないんです。本当に、見えない。そして、我々は「消費者」として生活していますので、消費者としての情報には敏感です。限定品だとか、2割引になっているとか、アマゾンのタイムセールだとか。
でも「生産」には鈍感なんです。見えないんです。生産を、していないから。だから、目の前に生産できるものがあっても、見えない。消費者に生産は見えないんです。
例えば、食料が無いとしたら、どうすればいいか。スーパーに物が無くなった。消費者は、それだとお手上げだから、備蓄するわけです。でも、庭にじゃがいもを植えられないか。近くの人目につかない空き地に植えられないか。用水路にナマズやブラックバスがいるか。公園の鳩を食えないか。椎の実を炒って食べられないか。人から買うのではなく、周囲の環境から何かを得るのが「生産」です。そういう目で、周りを見てみると、初めて見えてくるものもある。
おそらく「生産」の目線で見ると、都会には何もないな、と思うはずです。土もなく、石だらけですから。作物も育ちやしません。川も無い。魚もない。たとえいたとしても、とても臭くて不味そう。生産者の目線になると、田舎の方が豊かです。生産とは、基本的に、土地がなければ出来ません。環境から何かを得ることが生産です。環境は、土地です。土地があった方が良いんです。というか、土地があれば何とかなるんです。
もっと一般的な話として、田舎暮らしは不便だ、という人は「消費者」なんです。消費者だったら、そりゃ不便ですよ。スーパーは遠いし、価格は高いし。病院などの公共サービスを受けようとしても、受けづらい。良いサービスが受けられない。だから田舎は不便、と思うのです。
消費者は、そう思います。生産者の目線になると、田舎の方が便利です。わざわざ買わなくても、大抵のものは、自分でそこらへんのもので作れたりする。いかに周りの環境を生かして生産するかが、生産スキルです。そして、それは土地と不可分のものなんです。
幸いなことに、今の社会はほとんどが「消費者」なので、生産力の高い土地が見向きもされず、ただ同然で手に入ります。日当たりの良い、水のある土地。それが、店から遠くて「不便」という理由で、価格もつかない。
ひとたび、今までの「消費者」の殻を脱ぎ捨てて「生産者」になれば、現代社会は、とても生きやすい社会です。生産力のある「良い土地」に根を下ろし、そこで生産スキル、すなわち、楽に生きるノウハウを身につけていくことが、安定につながります。またあした。
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