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なぜ地元大好きマイルドヤンキーは幸せなのか

 人間集団が100人ぐらいと小さければ、自分はそこに属しているということに、何の疑問も抱かない。全て知っている人だし、特にアイデンティティが問題になることも無いと思う。でも社会が大きくなってくると、さて、何をもって自分が自分であるかというアイデンティティを、どこに求めるか、という問題が出てきます。で、これが民族によって違ってくる、というか、同じアイデンティティを抱いている集団を「民族」と言うかもしれないので、卵か鶏どっちが先か問題みたいなものですが。

 世界を見ていると、経過はどうあれ結果として、西洋は職業に、中華は血縁に、そして日本は地縁にアイデンティティを委ねているんじゃないかと思います。苗字が、欧米人って、職業的な苗字が多いでしょう。シューメーカーさん(靴作り)とか、ポーターさん(運び屋)とか、ファーマーさん(農民)とか。日本で、職業が名字になっているというのは、ものすごく少ないと思います。

 日本の苗字はというと、地名です。西川さんとか、山田さんとか、森さんとか。僕の苗字の「加藤」にしたって、加賀(石川)に赴任した藤原氏ということなので、地名でしょう。で、中国の苗字はよく知らんのだけど、血縁をめっちゃ大切にしますし、血縁が強いと思います。中国文化の影響が強い韓国も、同じ苗字(遠い血縁)だと結婚できないとか、あるそうだし。ま、これは、地形が平原だし、戦禍に巻き込まれるし、定住しにくかったのでしょう。

 日本文化が地縁が強いのは、地形が山がちで複雑だから、農業といっても、その土地でのノウハウがあるんです。田んぼに水を引いたりとかも、よその人がきて、さぁやろうと思っても難しい。これが中華の北のような小麦地帯であれば、平原での小麦栽培ですから、土地に依存したノウハウが少ないんです。という意味で、大切なのは人間になる。人が動く、というか、動けるからこそ、血縁が大切になる。だから海外に一族で移住してチャイナタウンを作ったりできるわけです。彼らは地縁じゃないから気軽に動ける。

 欧米も、ま、知らないで適当に言っていますけど、基本的に塀で囲った都市国家という文化が発展した。そうなると、これまた土地のノウハウというのは無いわけです。都市ですから。都市というのは一次産業ではありません。すると、職業がいくつも発生する。ものづくりです。そこがアイデンティティになるのでしょう。だから職業ギルドなんですよ。ゴールドスミスからの金融業も、そうです。フリーメイソンも石屋の組合ですしね。職業なんですよ。

 このように、文化によって何にアイデンティティを委ねるかは違うんですが、これを表面だけ見ると、というか日本は欧米の表面だけを見ますから、職業意識とかプロ意識を見習わなきゃ、みたいな話になるんですが。そちらの方向でも、あまり幸せにならない。というのは、文化というのはあらゆる方面に根を張っており、社会制度、常識、宗教(的なもの)、言語、食事とか腸内環境なども、全て関係します。その中で、職業意識だけを変えようなんていうのは、違うんです。

 日本の伝統的な「百姓」というのは、農家というよりも、何でもやるよという人です。夏に米を作り、冬は木こりや大工をするというように。これは職業じゃないんです、その土地で必要なことを全て、やれる限りやる、ということです。土地に依存しているからです。これは、さっきも書きましたが、国土が山がちで、気候も千差万別で、その土地でのノウハウというのが大きいからです。だから、職業として、どこでも米を作る農民というのは、生まれない。特定の土地での生き方、ということになるんです。

 そういう文化を何千年とやってきていますので、今さら、新しい生き方として、職業にアイデンティティを抱くというのは難しい。血縁も、そうです。親戚付き合いとか薄くなっていくでしょう。そもそも、そういうものなんです。その一方で、地域の盆踊りとかは根強く残っていく。そういうものなんです。遠い親戚より近くの他人、というのが日本文化です。

 ですから、最も日本的な生き方というのは、生まれた町で知り合いをたくさん作り、その時代に合わせて、何となく会社員になったりバイトとかしながら、町内会の役なんかも引き受けて、その土地に根を張って生きていくことなんです。この、都市化が進んだ現代でも、地元大好きマイルドヤンキーがとても幸せに生きているように見えるのは、それが最も、伝統的な日本文化です。ある職業のプロになったり、一家で海外移住するよりも、地元大好きマイルドヤンキーが幸せになりやすいのが日本文化です。またあした。

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