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性行為は悪である!

どうも、さすらいの狂人、渡邉坊です。
本日は、性行為が悪であるという話をしたいと思います。

以下の記事が、そのきっかけとなります。

AVは殺人と変わらないとか、AV禁止という文言が飛び交っておりますが、私はこの考えに一理があると思いました。

立憲批判の声は多いものの、頭から切り捨てるような考えではないと思います。

私自身、考えが古い人間なので、性行為とは秘め事であり、悪であるという考えを持っています。それが、この考えに共鳴した理由です。

しかし、それは建前に過ぎない

ただ、それをもって、法規制に賛成するというわけではありません。私はあくまでも、「建前」としての、「性行為=悪論」を支持するわけであって、何らかの強制力を伴う法律に基づいて、この論を現実に当てはめようとすることには賛同いたしません。

純潔思想という「建前」の役割

いわゆる純潔思想の理想、その建前の必要性には、あくまでも賛同します。その古い建前自体が、一定の抑制を働き、結果として、性的な被害やトラブルを未然に阻止するような側面はあると考えています。

昨今の、性に対する軽薄な風潮については賛同できかねます。しかし、その理想は、あくまでも建前としてです。その理想を、無理やり現実に当てはめることには賛同できかねます。

理想は現実の一要素に過ぎない

崇高な理想を現実に当てはめようとして、失敗した例は数多あります。スターリンが行った共産主義にしろ、毛沢東の行った大躍進政策にしろ、ポルポトが現実化した共産主義の手法にしろ、そのすべては最後に、悲惨な結末を迎えました。

高すぎる理想は、むしろ現実との乖離を可視化させ、強制力のある理想は、人々を疲弊させるものなのです。こういった急進的な手法は「革命思想」であると思います。いくら素晴らしい理想も、それをそのまま現実にすることはできないというのが、これまで人類が得てきた教訓であろうと思います。

理想はあくまでも、現実の中の一要素として、緩やかに目指す指針として、運用していく必要があるかと思います。

しかし、理想は現実の一要素ではある

しかし同時に、私は理想論をあざ笑い、リアリストを気取るような軽薄な風潮にも与するつもりはありません。

理想は所詮、現実の一要素にすぎませんが、されど、理想とは現実の一要素ではあるのです。

程よい、緩やかな理想が存在しない現実などは有り得ず、理想を切り捨てたリアリズムなどは既に、現実とは乖離しているものだと思います。人は、目指すべき理想があるからこそ、活力を得られるのだし、日々日々、努力を積み重ねることができるものだと思います。理想の急進的な現実化にはあくまでも反対致しますが、かといって、理想を冷笑し、お手軽リアリストを気取るつもりは、この私にはありません。

私は「漸進主義」を志向する

急進的な、革命的な理想実現に対しては、私はあくまでも反対します。
崇高な理想、純潔な理想を掲げて、そこに向けて緩やかに歩んでいくことを、私は支持します。

守旧的に、古臭い建前に固執するでもなく、革新的に、古い建前を足蹴にするわけでもない。それが私の理念であり、目指すべき姿であります。

立憲執行部の見解を待ちます

しかしそもそも、この記事では立憲民主党自身の方針として、AV禁止を決めているような書きぶりがなされていますが、よく見てみると、単に一議員による見解に過ぎないようにも読み取ることができると思います。

脊髄反射で、立憲を否定するムーブメントにも与するつもりはなく、立憲執行部の正式な見解を私は待ちたいと思います。

「性行為は悪である!」以上となります。
お読みくださりまして、ありがとうございました。


CM

恋愛小説も書いてます。以下がまとめとなります。性や恋などについての私の考えを込めた小説なので、よろしければお読みください


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